第2話「零階電話局で鳴る声は未来を告げる」



## I. 着信


佐古田玲央の携帯電話が鳴ったのは、羽佐間の葬儀から三日後のことだった。


七月二日、午後十一時四十七分。


佐古田は自宅のソファで、缶ビールを傾けていた。テレビは点いているが、音は耳に入ってこない。


羽佐間の死が、まだ信じられなかった。


心不全——そう告げられた。だが、羽佐間は健康そのものだった。前日まで、普通に話していた。なぜ、突然。


携帯電話が震える。


着信画面を見て、佐古田は息を呑んだ。


発信者名:**佐古田玲央**


「……は?」


自分から、自分への電話?


佐古田は画面を見つめる。着信は鳴り続ける。


手が震える。応答ボタンに指が触れそうになる——が、佐古田は電話を放り投げた。


「冗談じゃない」


着信音が止まる。


佐古田は深く息をつく。疲れているんだ。羽佐間のことで、頭がおかしくなっている。


そう自分に言い聞かせた。


だが——


再び、携帯が鳴った。


発信者名:**佐古田玲央**


「……やめろ」


佐古田は電話を無視する。だが、着信は止まらない。


十回。二十回。三十回。


佐古田は耐えきれず、電話の電源を切った。


静寂が戻る。


佐古田は額の汗を拭う。


「……大丈夫だ。もう鳴らない」


だが——


固定電話が鳴った。


佐古田の顔から血の気が引く。


受話器を取る手が震える。だが、好奇心が勝った。


ゆっくりと、受話器を耳に当てる。


『——三日後、あなたは零階で消えます』


声は、佐古田自身のものだった。


---


## II. 無視


翌朝。


佐古田は寝不足の目をこすりながら、国会図書館へ向かった。


昨夜の電話のことは、考えないようにしていた。幻聴だ。疲労だ。そう自分に言い聞かせる。


だが——


職場のデスクに着くと、机の上の固定電話が鳴った。


佐古田は凍りつく。


周囲の同僚は誰も反応しない。まるで、聞こえていないかのように。


佐古田は恐る恐る受話器を取る。


『三日後、あなたは零階で消えます』


佐古田は受話器を叩きつけるように置いた。


「……おかしい」


佐古田は立ち上がり、トイレに向かう。冷水で顔を洗う。鏡に映る自分の顔は、青ざめていた。


ポケットの携帯が震える。


見ると——またあの名前。


佐古田は電話を便器に投げ込み、水を流した。


「……もう、鳴るな」


だが、その瞬間——


トイレの個室すべてで、携帯の着信音が鳴り始めた。


佐古田は耳を塞ぎ、トイレから逃げ出した。


---


## III. 階段


佐古田は職場を早退した。


家に帰る。だが、玄関のインターホンが鳴り続けている。


モニターを見る——誰もいない。


佐古田は家に入らず、近くの公園に座った。ベンチに腰を下ろし、空を見上げる。


「……俺は、どうすればいい」


その時、隣に誰かが座った。


振り向く——黒いコートの男。


「佐古田さん、ですね」


男は静かに微笑んだ。白い髪が、夕日に照らされている。


「あなたは……」


「九条透と申します。あなたに、話があります」


佐古田は警戒する。


「何の話ですか」


九条は空を見上げたまま、言った。


「"零階"について」


佐古田の心臓が跳ねる。


「……零階?」


「ええ。羽佐間さんも、そこで死にました」


佐古田は立ち上がろうとした——が、九条が腕を掴む。


「逃げても無駄です。電話は、もう止まりません」


九条は佐古田を見つめる。その瞳は、深い闇を湛えていた。


「あなたには、二つの選択肢があります。一つは、電話に出ること。もう一つは——」


九条は立ち上がり、公園の隅を指差す。


そこには、見覚えのない扉があった。


「——零階へ、自ら降りることです」


---


## IV. 電話局


佐古田は、九条に導かれ、扉を開けた。


階段が続いている。下へ、下へと。


「羽佐間は……本当にここで死んだんですか」


「ええ。彼は、自分の死を理解しました」


「理解……?」


九条は答えず、階段を降り続ける。


やがて、たどり着いた。


零階電話局。


広大な空間に、無数の電話ボックスが並んでいた。すべてが、鳴り続けている。


赤いボックス。青いボックス。透明なボックス。


それぞれの電話が、異なる着信音を奏でる。まるで狂ったオーケストラのように。


佐古田は圧倒される。


「これは……」


「未来からの電話です」


九条が説明する。


「ここに並ぶ電話は、すべて"誰かの未来"を告げています。出る者はいません。出れば、未来は確定するからです」


佐古田は、最も近い電話ボックスに近づく。


透明なボックス。中の電話は、黒い受話器を震わせている。


ボックスの上部には、小さなプレートがあった。


《田中花子 2026年7月15日 交通事故死》


佐古田は息を呑む。


「この人は……」


「出なければ、未来は確定しません。しかし——」


九条は、電話局の奥を指差す。


「——出ないことを選んだ者もいます」


---


## V. 囚われ人


佐古田は、九条に連れられ、電話局の最奥へと進んだ。


そこには、小さな部屋があった。


部屋の中には、一人の女性が座っていた。


髪は伸び放題。目の下には隈。だが、生きている。


「彼女は、三年前にここに来ました」


九条が説明する。


「彼女もまた、未来からの電話を受けた。しかし、彼女は電話に出なかった。そして——ここに留まることを選んだ」


女性は、佐古田を見る。その目は、どこか虚ろだった。


「……ここにいれば、未来は来ない」


女性が呟く。


「外に出れば、電話に出たことになる。だから、私はここにいる」


佐古田は震える声で尋ねる。


「あなたは……ずっと、ここに?」


「ええ。もう、時間の感覚もない。でも——生きてる」


女性は笑った。それは、狂気の笑みだった。


九条は佐古田に向き直る。


「あなたも、選べます。電話に出て、未来を知るか。それとも——」


九条は部屋を示す。


「——ここに留まるか」


---


## VI. 対峙


佐古田は、九条を睨んだ。


「なぜ、あなたは止めないんですか!?」


九条は表情を変えない。


「止める権利は、私にはありません」


「権利?人が死ぬんですよ!?」


「死ぬことが、世界にとって必要な者もいます」


佐古田は拳を握る。


「羽佐間もそうだったんですか?」


九条は、初めて目を伏せた。


「……羽佐間さんは、自分で選びました」


「選んだ?死ぬことを?」


「ええ。彼は、愛する者を守るために」


佐古田は言葉を失う。


九条は続ける。


「あなたにも、守るべき者がいますか?」


佐古田は、妻の顔を思い浮かべる。子供の笑顔を。


「……いる」


「ならば、電話に出てはいけません。あなたの未来を知れば——あなたは、羽佐間と同じ道を選ぶかもしれない」


佐古田は震える。


「じゃあ……俺は、ここに?」


九条は頷く。


「それが、"生き続ける"方法です」


---


## VII. 選択


佐古田は、自分の電話ボックスの前に立った。


赤い電話ボックス。中の電話は、鳴り続けている。


プレートには、こう記されていた。


《佐古田玲央 2026年7月5日 失踪》


佐古田は、受話器を見つめる。


出せば——すべてがわかる。


出さなければ——ここに、永遠に。


佐古田は、深く息をつく。


そして——


受話器には、触れなかった。


「……俺は、ここにいる」


九条は、静かに頷いた。


「そうですか」


佐古田は、電話ボックスの前に座り込んだ。


「家族には……なんて伝えればいいんだ」


九条は答えない。


ただ、佐古田の肩に手を置く。


「——あなたは、生きることを選びました。それだけで、十分です」


---


## VIII. 三人目


九条は、電話局を出た。


階段を上り、地上へと戻る。


国会図書館の裏口で、九条は立ち止まる。


空を見上げる。星が、静かに瞬いていた。


九条は、小さく呟いた。


「——これが、三人目です」


誰に言うでもなく。


九条は、懐から古い写真を取り出す。


写真には、三人の人物が写っていた。


一人は、先ほどの女性。


一人は、見知らぬ男性。


そして——もう一人は、若き日の九条自身だった。


九条は写真を懐にしまう。


「……いつまで、続けなければならないのか」


九条の声は、誰にも届かない。


ただ、夜の闇に溶けていった。


---


## IX. 残響


翌日。


佐古田の妻のもとに、警察から連絡が入った。


「佐古田玲央さんが、行方不明になっています」


妻は泣き崩れた。子供は、母親にしがみついた。


「パパは……?」


妻は答えられなかった。


その夜、妻の携帯電話が鳴った。


発信者名:**佐古田玲央**


妻は震える手で、電話に出た。


『——ごめん。もう、帰れない』


「玲央……!?どこにいるの!?」


『……俺は、ここにいる。ずっと、ここに』


「ここって……どこ!?」


電話は、切れた。


妻は、泣き続けた。


---


## X. 終幕


零階電話局。


佐古田は、電話ボックスの前で膝を抱えていた。


電話は、まだ鳴り続けている。


佐古田は、受話器を見つめる。


「……出さない。絶対に」


その時、隣の部屋から声が聞こえた。


「——新しい人?」


先ほどの女性だった。


佐古田は頷く。


「……ああ」


女性は、微かに笑った。


「ようこそ。ここは、時間が止まる場所」


佐古田は、何も言えなかった。


ただ、電話の音だけが、永遠に響き続ける。


---


零階電話局。


そこは、未来を拒んだ者たちの、終わらない牢獄。


生きることを選んだ代償。


それは、生きながら、世界から消えることだった。


---


第2話 終


---


## 次回予告


《零階動物園の檻は観測者を選ぶ》


「この生物を、あなたはどう見ますか?」


九条には——人間の子供に見えた。


水無月には——黒い影に見えた。


録画された映像は、見る者によって異なる。


「これは、何ですか?」


「——可能性の、生き物です」


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