記憶がない
命野糸水
ここはどこ
「お兄さん、ちょっと起きてください。お兄さん」
体を揺らされながら声が聞こえてきた。おそらく知らない人の声。なんだ、一体俺に何のようだ。
俺は閉じていた目を開けた。俺は目を開けた時自分が今まで目を瞑っていたことに気がついた。俺はいつ目を閉じたのだろうか。
目を開けると目の前に3人の男がいた。3人のうち2人は俺を見ていた。俺の正面に1人とその隣に1人。後の1人は背を向けていた。3人とも知らないやつだ。
まぁ背を向けている人は顔を見ていないため本当に知らないやつとは限らないが、おそらく知らないやつだ。
正面にいる男は俺と同じくらいか俺より少し歳をとっているように見えた。紺色の洋服に紺色のズボン、帽子をかぶっていた。洋服には金色の何かが付いている。ボタンだろうか、それとも缶バッジか、ワッペンか。とにかく金色の何かが付いていた。
その男の隣の男も背を向けている男も同じような服装をしていた。紺色の洋服に紺色のズボンといった格好を。
この3人の男性は一体何者だ。なぜ俺に話しかけている。俺は訳が分からなかったが、背を向けている男をよく観察してその訳がうっすらと分かった。
その男の背中には文字が書かれていた。それは平仮名でもカタカナでも漢字でもなくアルファベットで書かれていた。Policeという6文字。
俺は学に関しては自信がないがその英単語を知っていた。確か中学で習ったはずだ。それも早い段階で。意味は警察。
3人とも同じ格好をしているということは3人とも警察だということ。
俺は3人の警察を相手にしている。それほどのことをしたのか。ただ残念ながら記憶がない。
そもそもここはどこだ。俺はなぜここにいるのだろうか。
「お兄さん、起きてください。大丈夫ですか」
俺は再びゆすられた。起きてくださいと言われている。ああ、そうか。俺は今どこかで横になっているのか。
俺は起きあがろうとした。しかし体に力が入らず起き上がれなかった。俺は何回も起きあがろうとした。しかし何度やっても起き上がれない。
「ダメだ。起きあがろうとしない。仕方がないから引っ張ろう」
俺の正面にいる警官が隣の同僚にそう言う。同僚は分かりましたと返事をし正面の警官と共に俺を引っ張った。
俺は警官2人の力を借りてようやく起き上がることができた。起き上がれたおかげで目線の高さが高くなり俺は今まで見えていなかったものが見えた。よく見るサイズの洗面台に洋式トイレ、スライド式のドア。
これらのことからどうやら俺はどこかの多目的トイレにいるらしい。どこかはまだ分からないし、なぜここにいて横になっていたのか、それも分からない。
「お兄さん、名前分かるかな。ちょっと教えて欲しいんだけど」
警察が俺に聞いてきた。その聞き方は東京の街で若い女の子にナンパをする若い男に似ているように思った。もしくは幼稚園の先生が園児に名前を聞くときか。
バカにしているように感じたがこれは職質のようなものだ。
「あいああえいえう」
俺は素直に名前を言った。
警官は俺が名前を言うとはぁーと小さなため息をついた。名前を言えと言われたから俺は素直に名前を言ったのに。言ったらこの対応だ。訳が分からない。
「すいませんがお兄さん。もう一度名前を聞いてもよろしいですか」
警官はそう言ってきた。なんだよ、名前を聞き取れなかったのかよ。それならそうと早く言ってくれ。
「あいああえいえう」
俺はもう一度言った。正面にいる警官はそれを聞くと後ろを向いた。背を向けている警官を呼びばつ印を見せた。
背を向けていた警官はその印を見ると胸元から機械を取り出した。その機械を口元に当てると
「ええ、獅子舞駅の駅中トイレで倒れている男について連絡です。男意識あり、呂律回らず。保護した後に身元が分かるものがないか確認し再度報告します」と発言した。
どうやら警官が取り出したのはトランシーバーらしい。内容から俺は獅子舞駅の駅中トイレにいることが分かった。獅子舞駅は俺の家の最寄駅。
ということは俺はどこかに行ってこの駅に帰ってきた。その後にこのトイレを利用して眠ってしまったということだろうか。それかこれからどこかに行こうとしてこのトイレを利用して眠ったか。
俺はなぜこのトイレにいるのだろうか。それに警官はこんなことを言っていた。呂律が回らないと。そんな訳ない。俺はしっかり伝わるように名前を伝えたのだから。
「お兄さん。とりあえず保護対象だから私たちと一緒に保護室に来てもらえますか。おそらく自分では歩けないと思いますから私たちの方を借りて歩いて下さい」
保護対象?俺が。そんな訳ない。俺は自分の名前も分かる。ここがどこかも分かる。ここが最寄駅だから家までの道筋も分かっている。
ただ、自分で歩けないというのは正しい。なぜか分からないが足に力が入らない。起き上がることが出来なかったのだから。
そうか、ここはトイレなのだ。皆が使う共用の場所。歩けないやつがいつまでもここにいれば邪魔になる。だから一時的に保護してここから離れる必要があるのか
「ああいあいあ」
俺は警官の肩を借りながら保護されて保護室に行った。
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