神の法則
少女は銀の髪を揺らし、館の中庭に佇んでいた。
館の庭先には多様な草花が手入れもされずに咲き乱れている。どこからか飛来した草花の種子が好き勝手に根を生やした造園などとはほど遠いそれは、父が管理する研究室の冷徹な幾何学とは対照的な、生命の無秩序な喧噪だった。
少女は一つ一つの花の名前も、花に群がる虫の名前も知りはしない。
彼女の瞳に映るのは、色彩の美しさや、花の香りの甘さではない。映るのは、太陽光を光合成という非効率なプロセスでエネルギーに変換する植物のシステムと、そのエネルギーを求めて飛び交う昆虫たちの生存戦略のデータだった。
少女は、その美しさゆえに近隣の集落で「天使」と囁かれるが、その内側は感情という名の熱源が欠落した真空だった。
彼女の銀色の髪は、まるで月の光を閉じ込めたように静かに揺れ、その完璧な容姿は、周囲の有機的な熱を反射し、さらに冷たく見せた。
彼女は、しゃがみ込み、土の湿気と匂いを解析した。指先で、無作為に咲いた小さな紫色の花を摘み取る。その行為に、ためらいも罪悪感も伴わない。
「光と水から、自らを構成する分子を合成しする極めて複雑な自己維持────」
少女は、花の茎を静かに、しかし容赦なく引きちぎった。プツッという微かな断裂音。
彼女の脳には、その瞬間に花が発するであろう「生命の警報」が、一切記録されなかった。少女は、蝶の翅を指で挟んで止めることも躊躇しなかった。彼女の指のわずかな力で、その命の活動は瞬時に停止する。
彼女にとって、その行為は残酷でも、快楽でもない。ただ、自らの存在が、いかに簡単に、複雑な生命のシステムを停止させることができるかという、優位性。
彼女の指に宿る、この小さな生命を停止させる優位性こそが、彼女にとっての支配における絶対的な真実だった。
彼女は、自身の指先に宿る力が、この小さな生命にとっては絶対的な法則、すなわち『神』に等しいことを知っていた。
その思索の延長線上で、少女は中庭の空を見上げた。広大な青空、そしてその先に広がる無限。
自分は、蝶や花を支配できる。
しかし、もし、その圧倒的な存在が、自分自身の背後にもいるとしたら?
少女は、この世界における力の構造について、ある種の感覚に至る。自分は、蝶にとっては支配者。
自分自身の命、感情、そして探求までもが、その超越的な存在の手のひらの上にあるとしたら?
少女にとって、現時点での支配者と呼べるのは恐らく父であった。
少女の考察は、その「超越的な存在」の気配を、ぼんやりと感じるだけだった。それはまだ、具体的な探求の対象ではない。
ただ、少女はその思索の果てに何かを予感していた。
少女哲学-Leviathan- ガリアンデル @galliandel
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