『俺達のグレートなキャンプ161 悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読』
海山純平
第161話 悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読
俺達のグレートなキャンプ161 悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読
「さあああああ!今日もやってきましたグレートなキャンプ!第161回!」
石川の声が、長野県南部の山間にあるキャンプ場全体に響き渡る。その声量たるや、おそらく標高差100メートルくらいは余裕で届いているだろう。近くの木にとまっていた鳥が驚いて飛び立つ。バサバサバサッ。
午後3時。秋の日差しが心地よく降り注ぐ中、石川は自分達のテントサイトの前で両手を大きく広げ、まるで世界の支配者にでもなったかのような堂々たる姿勢で仁王立ちしていた。彼の顔は興奮で紅潮し、目はギラギラと輝いている。口角は耳まで裂けそうなほど上がっていた。
「石川さん!声!声がデカすぎます!」
富山が慌てて石川の腕を掴んで引っ張る。彼女の顔には既に深い諦めの色と、「また始まった」という疲労感、そして「今回は一体何をやらかすつもりなんだ」という不安が複雑に混ざり合った表情が浮かんでいた。眉間には早くも深いシワが刻まれ、目は半分虚ろになっている。
「いいじゃねえか!俺達は『グレートなキャンプ』をしに来たんだぜ!」
石川が富山の肩をガシッと掴む。その握力、たぶん本気で痛い。富山の顔が一瞬歪む。
「もう161回もこのノリを見てるんですけどね、私は...」
富山が遠い目をする。その視線は虚空を彷徨っている。過去160回の奇抜なキャンプの記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡っているようだった。目は焦点が合っていない。肩がガクリと落ちる。
「うおおおおお!今日もめちゃくちゃ天気いいですね!空気美味しい!木の匂いがする!最高!」
千葉が両手を天に突き上げて、その場でぴょんぴょんと跳ねる。その動きは完全に小学生が遠足に来た時のそれだった。目はキラッキラに輝き、頬は興奮で赤らんでいる。口は常に開きっぱなしで、歯が全部見えている。新人キャンパーの千葉にとって、毎回のキャンプは未知の冒険なのだ。
「その調子だ千葉!」
石川が千葉の背中をバンバンと叩く。その勢いで千葉の体が前に2、3歩進む。
「で、今日の『奇抜な暇つぶし』は何なんですか...もう聞きたくないけど聞かないといけないから聞きますけど...」
富山が深く、深く、深く溜息をつく。その溜息の長さは優に8秒を超えていた。肺の中の空気を全て吐き出しているんじゃないかと思うほどの長さだった。両肩が大きく上下し、背中が丸まる。目を閉じて、まるで神に祈るような表情。
「ククク...」
石川が怪しく笑う。その笑顔には確信犯的な悪戯心が満ち溢れていた。ゆっくりと、演出たっぷりに、リュックに手を伸ばす。まず取り出したのは、手のひらサイズの小型Bluetoothスピーカー。黒くて丸い、なんの変哲もないスピーカーだ。
そして次に取り出したのは...
「じゃーん!これだあああああ!」
石川が高々と掲げたのは、A4サイズの紙。プリントアウトされた文字がびっしりと並んでいる。よく見ると、それは料理のレシピだった。タイトルには大きく『本格春巻きの作り方』と書かれている。
「...は?」
富山の顔がフリーズする。眉毛が不自然な角度で止まる。口がポカンと開いたまま固まる。目が点になる。完全に思考が停止していた。
「春巻き...ですか?今日は春巻き作るんですか?」
千葉が純粋な疑問を投げかける。首を可愛らしく傾げている。
「違う!作らない!」
「じゃあ食べるんですか?」
「食べない!」
「じゃあ...?」
千葉がさらに首を傾げる。その角度、もはや45度くらいになっている。
「今日の俺達のグレートなキャンプはああああ!」
石川が一呼吸置く。その間、約3秒。周囲に緊張感が走る。富山は既に目を瞑って「聞きたくない聞きたくない」という表情になっている。
「『悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読』だあああああああ!」
「はあああああああああああああ!?」
富山の声が3オクターブくらい上がる。その声量、石川の最初の叫びに匹敵するほどだった。完全に素に戻っている。目は見開かれ、口は大きく開き、全身の筋肉が硬直している。両手が小刻みに震えている。
「え、えっと...春巻きのレシピを...音読...?」
千葉が一言一言確認するように言う。
「そうだ!しかも全力で!そして悲しいBGMを流しながら!」
「意味がわからない!全く!1ミリも意味がわからないですよ石川さん!」
富山が頭を両手で抱える。ガシガシと自分の髪をかき回す。その動きは狂気じみていた。小刻みに首を横に振る。「嘘だ嘘だ嘘だ」と口の中で呟いている。
「いいか富山!俺は昨日の夜、寝る前に考えたんだ!」
石川が人差し指を立てる。その表情は真剣そのもの。まるで重要なプレゼンテーションをするビジネスマンのようだった。
「料理のレシピってさ、普通に読んだらただの手順書じゃん?『材料:何々』『作り方:何々』って。無機質でドライで、感情のかけらもない」
「それが普通です。それが正常です」
富山が小さく呟く。目は虚ろだった。
「でも!これを悲しいBGMと共に、全力で、魂を込めて音読したらどうなると思う!?」
「どうにもなりません!ただの迷惑行為です!」
「それが!まるで感動の物語に変わるんだよおおおお!春巻きが作られていく過程が、まるで壮大な人生のドラマのようにいいいい!」
石川の目が異様に輝く。その輝きは狂気すら感じさせた。まるで世紀の大発見をした科学者、いや、もはや新興宗教の教祖のような、危険な輝きだった。
「面白そうじゃないですか!やりましょうよ!」
千葉が無邪気にパチパチと拍手する。その表情は曇り一つない。完全に石川の世界観を受け入れている。
「千葉さん!煽らないでください!あなたが肯定するから石川さんがどんどん調子に乗るんですよ!」
富山が慌てて千葉の肩を掴んで揺する。ガクガクガク。千葉の頭が前後に揺れる。
「だってさあ富山さん!石川さんの企画、いつも最初は『はあ?』って思うけど、やってみたら結構楽しいじゃないですか!」
「楽しくない時の方が多いです!この前の『夜中に無言で星を3時間見続ける』とか!」
「あれは瞑想的で良かったですよ!宇宙との一体感を感じました!」
「千葉さんは30分で爆睡してたじゃないですか!いびきかいて寝てたじゃないですか!」
「そう!そして最高の睡眠だったあああああ!」
石川が親指を立てる。完璧なサムズアップ。角度も表情も完璧だった。
富山は再び深く、深く、深く溜息をつく。もはや今日何回目の溜息かわからない。数える気力も失せていた。肩がストンと落ち、背中が猫背になる。目が死んでいる。
「わかりました...もうどうせ止めても無駄なんですよね...161回も付き合ってきた私がバカでした...」
「よし!準備するぜ!」
石川はスピーカーをテントの前、ちょうど目立つ位置に設置する。そしてスマホを取り出し、何やら慣れた手つきで操作を始める。画面を何度かスクロール。タップ。
「まず音楽だな。悲しいBGM...あ、これいいじゃん。『号泣必至 超絶悲しいピアノBGM集』...よし、これだ!」
石川が再生ボタンをタップする。
すると...
スピーカーから流れ始めたのは、静かで、美しく、そして限りなく悲しいピアノの旋律だった。まるで映画のクライマックスシーンで主人公が死んでしまう時に流れるような、そんな曲。いや、もっと言えば、大切な人との永遠の別れを告げるシーンで流れるような、そんな深い悲しみを帯びた曲だった。
音量は大きめ。周囲50メートルには余裕で届くだろう。
「うわあ...めっちゃ悲しい曲ですね...」
千葉がしみじみと呟く。既にその表情は少し曇っている。目が潤み始めている。BGMの力は偉大だった。
「いい曲だ...完璧だ...」
石川も目を閉じて深く頷く。その表情は芸術家のようだった。
隣のテントサイト、20メートルほど離れた場所で薪を割っていた30代くらいの男性が、手を止めてこちらを見る。「何だ?葬式でもやるのか?」という顔をしている。
反対側のテントサイトにいる若いカップルも、コーヒーを淹れる手を止めて、怪訝な表情でこちらを見ている。「何あのBGM?」「知らない...」という会話が聞こえる。
少し離れた場所にいる50代くらいの夫婦も、椅子に座ったままこちらに注目している。
「で、これで春巻きのレシピを読むんですか...ああもう、何言ってるんだろう私...」
富山が自分で自分にツッコミを入れる。目を手で覆う。
「そうだ!よし、まず俺から行くぜ!」
石川はレシピの紙を両手でしっかりと持つ。その構えは真剣そのもの。まるで卒業式で答辞を読む生徒、いや、もっと言えば重要な国際会議でスピーチをする政治家のような、そんな緊張感と覚悟に満ちた構えだった。
背筋はピンと伸び、顎は軽く引かれている。足は肩幅に開き、重心はしっかりと定まっている。顔には確かな決意が浮かんでいた。
そして悲しいBGMが静かに、しかし確かに流れ続ける中、石川は深く、深く呼吸をする。
鼻から息を吸う。胸が大きく膨らむ。3秒。
ゆっくりと口から息を吐く。3秒。
もう一度吸う。3秒。
吐く。3秒。
「行くぜ...」
石川が目を開く。その目には光が宿っていた。
そしてレシピを見つめ、一拍置いて...
「『本格春巻きの作り方!!!』」
いきなりの全力シャウトだった。魂の叫びだった。その声量、まさに全開。声帯が千切れるんじゃないかというくらいの全力だった。
周囲のキャンパー達が一斉にビクッとなる。薪を割っていた男性が斧を取り落としそうになる。カップルの女性がコーヒーカップをガタッと揺らす。
「『材料!春巻きの皮...10枚!!!』」
石川の声に感情が込められている。ただ読んでいるのではない。魂が込められている。まるで「春巻きの皮10枚」が人生最大の重要事項であるかのような、そんな熱量だった。拳を握りしめ、体を微かに震わせている。
「『豚ひき肉...200グラムゥゥゥ!!!』」
声が震えている。悲しいBGMとのシンクロ率が高い。まるで大切な人の名前を呼ぶような、そんな感情が声に乗っている。
「何やってんだあいつら...」
隣のテントサイトの男性が小声で呟く。しかし彼は手を止めて、完全にこちらを見ている。
「『たけのこ水煮...100グラム...』」
石川の声のトーンが急に落ちる。まるで大切な秘密を打ち明けるような、そんな繊細な声だった。目を細め、遠くを見つめるような表情。首を少し横に傾ける。
「『しいたけ...3枚...』」
さらに声が小さくなる。囁くような、しかし確かに届く声。悲しいピアノの旋律と完璧に調和している。風がそよぎ、木々の葉が揺れる。その音すらもBGMの一部のように聞こえた。
「石川さん...なんか...本当に悲しそうに聞こえてきました...」
千葉が感心したように呟く。既に目が潤んでいる。鼻をすする音が聞こえる。本当に感動し始めているようだった。
「おいおい千葉さん...まだ材料読んでるだけですよ...?」
富山がツッコむ。しかし彼女の声にも力がない。なぜだろう、本当に少し切ない気持ちになってきている。BGMの力だろうか。いや、石川の声の演技力だろうか。
「『にんじん...4分の1本...』」
石川の声が震える。まるで今にも泣き出しそうな、そんな繊細な声だった。唇が微かに震えている。目を瞑る。
「にんじんが...そんなに少ないことが悲しいんですかね...」
千葉が真剣に分析する。ハンカチで目頭を押さえている。
「分析しないでください千葉さん!というかもう泣いてるんですか!?」
富山が千葉の顔を覗き込む。驚愕の表情。
若いカップルの女性が、彼氏の腕を軽く引っ張る。「ねえ、あれ何?」「さあ...でもなんか...すごい真剣だよね...」という会話が聞こえる。二人ともこちらを凝視している。
50代の夫婦も、完全にこちらに注目している。夫は椅子の背もたれに身を乗り出している。妻は首を伸ばしている。
「『長ねぎ...10センチ...』」
石川の声に哀愁が漂う。目を開け、空を見上げる。そこに何か大切なものがあるかのように。
「『しょうが...1かけ...』」
声が優しくなる。まるで子守唄を歌うような、そんな温かさがある。しかし同時に、どこか切ない。
「『作り方!!!』」
急に声を張り上げる。感情の起伏が激しい。まるでジェットコースターのようだった。
「『ステップ1!!!たけのこ、しいたけ、にんじんを細切りにします...』」
石川の声に深い哀愁が漂う。「細切りにする」という行為に、まるで人生の無常を、儚さを、別れの痛みを感じているかのようだった。目を閉じ、首を小さく横に振る。眉間にシワが寄る。
「切ないいいいい!」
千葉が小さく叫ぶ。完全に物語に感情移入している。目からは涙がツーッと流れ始めていた。頬を伝う涙。それを拭おうともせず、ただレシピを聞き入っている。
「千葉さん!?本気で泣いてるんですか!?」
富山が千葉の肩を掴む。しかし富山自身も、なぜか胸がキュッとなっているのを感じていた。悲しいBGMの力は本当に偉大だった。
隣のテントサイトの男性が、斧を地面に置いて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。その表情は...興味深そうだった。眉を寄せ、首を傾げながら、しかし確実にこちらに近づいてくる。
「『フライパンに油を熱し...』」
石川の声がさらに低くなる。まるで重要な秘密を打ち明けるような、そんな慎重な声だった。
「『豚ひき肉を炒めます...』」
そしてこの瞬間、悲しいBGMのピアノがクレッシェンドする。音量が大きくなり、旋律がより切なくなる。完璧なタイミングだった。まるで計算されていたかのような。
「うわああああん!豚ひき肉が炒められていくうううう!」
千葉が本気で泣き始める。声を上げて泣いている。目から涙が止まらない。ハンカチで顔を覆い、肩を震わせている。
「千葉さん!!何に感動してるんですか!?」
富山が千葉の背中を叩く。しかし富山自身も、目頭が熱くなっているのを感じていた。「やばい...私もなんか...」と心の中で呟く。
若いカップルが、完全にこちらに体を向けている。女性は既に目が潤んでいる。「なんか...悲しい...」と小声で言っている。彼氏も真剣な表情でこちらを見ている。
50代の夫婦も立ち上がり、数歩こちらに近づいてきている。
「『肉の色が変わったら...』」
石川の声が優しくなる。まるで大切な子供に語りかけるような、そんな温かさと同時に、どこか切ない響きがあった。目を細め、優しく微笑む。しかしその微笑みは悲しげだった。
「『たけのこ、しいたけ、にんじんを加えて炒めます...』」
声に深みが増す。一つ一つの食材の名前を、まるで戦友の名前を呼ぶかのように丁寧に発音していた。
「食材が...仲間になっていく...」
千葉が感動の声を絞り出す。鼻をすすり、涙を拭う。しかし涙は止まらない。
「仲間って何ですか仲間って!野菜ですよ!ただの野菜!」
富山が叫ぶ。しかし彼女の声も震えている。目が赤くなっている。なぜだろう、本当に感動的に聞こえてくるのだ。
隣のサイトの男性が、もうすぐそこまで来ている。完全にこちらを凝視している。口が半開きになっている。
「『砂糖、醤油、オイスターソース、ごま油で味付けをします...』」
石川の声に深い感情が込められる。一つ一つの調味料の名前を、まるで大切な人の名前を呼ぶかのように、ゆっくりと、丁寧に発音していた。目を閉じ、胸に手を当てる。
若いカップルの女性が、彼氏の腕にしがみつく。「なんで...なんで春巻きでこんなに悲しい気持ちになるの...」と囁く。その目からは涙が流れている。彼氏も目を赤くしている。「わからん...でも...なんか泣けてくる...」と返す。
50代の妻が、ハンカチを取り出す。目を拭く。夫も鼻をすする。
「『粗熱が取れたら...』」
石川の声がさらに切なくなる。悲しいBGMが、また新しいフレーズに入る。より深い悲しみを帯びたメロディー。
「『春巻きの皮で包んでいきます...』」
この瞬間、石川の声が震える。本当に泣きそうな声だった。唇が震え、目から涙が溢れそうになる。
「包まれていくのおおおお!春巻きが...春巻きが生まれていくのおおおお!」
千葉が感動のあまり地面に膝をつく。両手で顔を覆い、肩を激しく震わせている。嗚咽が漏れている。
「千葉さん落ち着いてください!」
富山が千葉の背中をさする。しかし富山自身も、涙が頬を伝っていた。「なんで...なんで私泣いてるんだろう...」と心の中で呟く。
隣のサイトの男性が、もう5メートルの距離まで来ている。その目は赤い。明らかに泣いている。「なんだこれ...なんなんだこれ...」と小声で呟いている。
カップルは完全に抱き合っている。二人とも泣いている。「春巻き...」「春巻き...」と互いに呟き合っている。
50代の夫婦は、手を繋いでいる。二人とも涙を流している。
他のキャンパー達も、次々にこちらに注目し始めている。あちこちから人が集まってくる。みんな悲しいBGMに引き寄せられるように。
「『巻き終わりに水溶き小麦粉を塗り...』」
石川の声が優しくなる。まるで赤ちゃんを寝かしつけるような、そんな慈愛に満ちた声だった。
「『しっかりと留めます...』」
この言葉に、深い感情が込められる。「留める」という行為に、永遠の絆を、決して離れない約束を感じさせるような、そんな声だった。目を閉じ、レシピの紙を胸に抱き寄せる。
「留められるのか...二度と離れないように...」
隣のサイトの男性が呟く。その声は震えている。涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
「ねえあなた...なんだか...すごく感動的じゃない...?」
50代の妻が夫に囁く。声が震えている。夫も無言で頷く。二人とも涙でハンカチが濡れている。
「春巻きが...完成に向かっていく...」
若いカップルの男性が呟く。彼女は彼の胸で泣いている。
さらに人が集まってくる。20人近くのキャンパー達が、石川の周りに半円を描くように集まり始めていた。みんな真剣な表情で、そして多くが既に目を赤くしていた。
「『170度の油で...』」
石川の声が壮大になる。まるで英雄が最後の戦いに臨むような、そんな荘厳さがあった。両手を広げ、空を見上げる。風が吹き、石川の髪が揺れる。
「『きつね色になるまで揚げます...』」
この瞬間、悲しいBGMが最高潮に達する。ピアノの音が大きくなり、旋律が最も切なくなる。まるで映画のクライマックスシーンのようだった。
「揚げられていくのかああああ!きつね色にいいいい!」
千葉が絶叫する。完全に物語のクライマックスだと認識している。立ち上がり、両手を天に掲げる。顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「うわああああん!」
カップルの女性が大声で泣き始める。
「春巻き...春巻きぃぃぃ...」
隣のサイトの男性が膝をつく。地面に手をつき、声を上げて泣いている。
「なんで...なんで春巻きでこんなに泣けるんだ...」
50代の夫が呟く。涙が止まらない。
集まってきたキャンパー達も、次々に泣き始める。ある人は声を上げて泣き、ある人は静かに涙を流す。ある人は膝をつき、ある人は空を見上げる。
「『油をしっかり切って...』」
石川の声が優しくなる。まるで愛する人を見送るような、そんな切なさが込められていた。
「『器に盛り付けます...』」
声が震える。本当に泣いている。石川の目から涙が流れている。
「『完成です...』」
最後の言葉。石川は深く、深く息を吸う。
周囲が静まり返る。
悲しいBGMだけが流れている。
そして...
「『完成です!!!!!!』」
全力の、魂の、命の叫びだった。石川の全てが込められたシャウトだった。声帯が裂けるんじゃないかというくらいの、全力の叫びだった。
その瞬間、悲しかったBGMがエンディングに入る。音量が少しずつ小さくなり、旋律が優しくフェードアウトしていく。
「うわああああああああん!!!」
千葉が号泣する。完全に崩れ落ち、地面に手をついて声を上げて泣いている。「春巻きがああああ!完成したあああああ!」と叫んでいる。
「うおおおおおお!」
隣のサイトの男性も地面を叩きながら泣いている。「なんだこれ!なんなんだこれ!ただのレシピなのに!なんでこんなに泣けるんだ!」と叫ぶ。
カップルは完全に抱き合って泣いている。二人とも顔がぐしゃぐしゃだった。「春巻き...」「春巻き...」と呟き合っている。女性の方は震えながら「しばらくは春巻き食えねえ...こんな感動的な物語だったなんて...」と涙声で言っている。
50代の夫婦は手を繋いだまま、静かに涙を流している。妻のハンカチは完全に濡れていた。夫は何度も鼻をすすっている。
集まってきた20人近くのキャンパー達も、みんな泣いている。ある40代くらいの女性は、両手で顔を覆って肩を震わせている。ある20代の男性グループは、互いに肩を組んで泣いている。「春巻き...」「まさかこんなに深いとは...」「俺、今夜春巻き食うわ...感謝を込めて...」などと話している。
そして突然、誰かが拍手を始めた。
パチパチパチ。
するとそれが連鎖する。
パチパチパチパチパチ。
あちこちから拍手の音が響く。涙を流しながらの拍手。感動の拍手。
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
拍手は大きくなり、キャンプ場全体に響き渡る。
「ブラボー!」
誰かが叫ぶ。
「最高だった!」
「春巻きって...こんなにドラマティックだったんだな...!」
「人生が詰まってる...!」
石川はレシピの紙を胸に当て、深く、深く一礼する。その姿はまるでオペラ歌手のカーテンコールのようだった。涙が頬を伝っている。本当に泣いている。演技ではない、本物の涙だった。
「ありがとうございました...」
石川が感極まった声で言う。声が震えている。
「すげえよ...すげえよあんた...」
隣のサイトの男性が立ち上がり、石川の手を握る。ガシッと。力強く。「俺、感動した...本当に感動した...」涙を流しながら言う。
「こちらこそ...聞いてくれてありがとうございます...」
石川も男性の手を握り返す。二人の男が、涙を流しながら握手を交わす。その光景は、まるで戦争を終わらせた両国の代表のようだった。
富山は呆然と立ち尽くしている。もう何も言えなかった。ただ、自分の頬を涙が伝っているのを感じていた。なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。春巻きのレシピで泣いている。信じられなかった。
「と、富山さん...」
千葉が涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で富山を見上げる。
「これ...グレートですよ...グレートなんですよ...」
「...そうですね...」
富山が小さく笑う。涙を拭う。「何やってんだろ、私ら...」と小声で呟く。しかし、その声には諦めと同時に、少しだけ温かいものが混じっていた。
「よし!次は俺も読ませてくれ!」
隣のサイトの男性が拳を握る。目は真剣だった。涙は拭いたが、目は赤いままだった。
「え!?」
富山が驚く。
「いや、俺も感動したんだよ!俺もレシピ音読したい!何か他のレシピある!?」
「ありますよ!麻婆豆腐のレシピがあああああ!」
石川が興奮気味に別の紙を取り出す。リュックから次々とレシピが出てくる。餃子、チャーハン、肉じゃが、カレーライス。少なくとも10枚はある。
「石川さん...どんだけ準備してきたんですか...」
富山が呆れた声で言う。
「準備は完璧にするのが俺のモットーだ!」
石川がサムズアップ。
「よし!じゃあ俺は麻婆豆腐やる!次のBGMをかけてくれ!もっと悲しいやつだ!」
男性が真剣な表情で言う。既に戦闘態勢に入っている。両手を握りしめ、深呼吸をしている。
「うおおおお!わかりました!」
石川がスマホを操作する。次に流れ始めたのは、さらに悲しい弦楽器の旋律だった。バイオリンとチェロが織りなす、深い悲しみのメロディー。もはや葬式で流れてもおかしくないレベルの悲しさだった。
「うわ...さっきよりさらに悲しい...」
千葉が呟く。まだ涙が止まっていない。ハンカチを絞れるんじゃないかというくらい濡れている。
男性がレシピの紙を受け取り、石川がいた場所に立つ。深呼吸。一回、二回、三回。顔には決意が満ちている。
そして...
「行くぜええええ!」
「『麻婆豆腐の作り方!!!』」
男性の叫び。石川に負けない声量だった。魂が込められている。
周囲のキャンパー達が再び注目する。まだここに残っている人達は、次の感動を待ち構えている。新たに集まってきた人達もいる。30人近くになっていた。
「『材料!木綿豆腐...1丁!!!』」
男性の声に感情が込められている。石川スタイルを完全に踏襲していた。いや、もしかしたら石川以上かもしれない。
「豆腐が...1丁...たった1丁...」
若いカップルの女性が呟く。また涙が溢れてくる。「まだ泣くの!?」と彼氏が驚くが、彼自身も目が潤んでいる。
「『豚ひき肉...150グラム...』」
男性の声が切なく響く。悲しいバイオリンの旋律と完璧に調和している。
「肉が...また肉が...」
千葉が涙声で呟く。「千葉さんもう勘弁してください」と富山がツッコむが、富山自身の目も赤い。
「『長ねぎ...2分の1本...』」
男性の声が震える。まるで長ねぎに人生の全てを見ているかのような、そんな感情だった。目を閉じ、首を横に振る。
「ねぎいいいい!」
集まっていた40代女性が叫ぶ。もう完全に物語に入り込んでいる。
「俺も読みたい!」
50代の夫が立ち上がる。
「私も!」
妻も立ち上がる。
「カレーライスのレシピありますううう!」
石川が興奮して叫ぶ。既に次のレシピを手に持っている。
「よし!俺がやる!」
夫が駆け寄ってくる。その動きは俊敏だった。目は輝いている。
「じゃあ私は肉じゃが!」
妻も駆け寄る。
「餃子やりたいです!」
20代の男性が手を挙げる。
「チャーハンお願いします!」
別の女性も手を挙げる。
気づけば、キャンプ場の一角が完全に『悲しいBGMで料理レシピを全力音読する会場』と化していた。列ができている。次々に人が集まってくる。もう50人近くいる。みんな目を輝かせている。真剣だった。
「『にんにく、しょうがをみじん切りにしてええええ!』」
麻婆豆腐の男性が絶叫する。
「みじん切りいいいい!」
観客が反応する。
「『豆板醤で炒めますうううう!』」
「豆板醤があああああ!」
もはや一体感が生まれていた。演者と観客が一つになっている。
麻婆豆腐が終わり、次はカレーライス。
「『カレーライスの作り方!!!』」
50代の夫が全力で叫ぶ。
「『じゃがいも...4個!!!』」
「じゃがいもがああああ!4個もおおおお!」
観客が泣く。
「『牛肉...200グラム...』」
声が震える。悲しいBGMはまた新しい曲に変わっていた。今度はピアノとバイオリンの合奏。さらに深い悲しみだった。
「牛うううううう!」
「肉があああああ!」
観客も演者も泣いている。
次は肉じゃが。
「『肉じゃがの作り方!!!』」
妻が叫ぶ。女性の声が響く。それもまた違った感動があった。
「『じゃがいも...4個!玉ねぎ...1個!』」
「野菜たちがああああ!」
「集まっていくううう!」
次は餃子。
「『餃子の作り方!!!』」
「『キャベツ...4分の1玉!ニラ...2分の1束!』」
「キャベツとニラがああああ!出会うのおおおお!」
次はチャーハン。
「『チャーハンの作り方!!!』」
「『ご飯...茶碗2杯分!卵...2個!』」
「ご飯と卵がああああ!融合するのおおおお!」
もはやカオスだった。しかし全員が本気だった。全員が感情を込めて読んでいた。そして観客も全員が本気で泣いていた。
あちこちで料理レシピの音読が始まる。もう順番待ちの列ができている。石川が持ってきたレシピは全て使われ、今では人々が自分のスマホで新しいレシピを検索し始めていた。
「『親子丼の作り方!!!』」
「『鶏もも肉...300グラム!玉ねぎ...1個!卵...3個!』」
「親子があああああ!本当の親子があああああ!」
この言葉に、観客が大号泣する。「親子...」「親子丼...そういうことか...」「深い...深すぎる...」という声が響く。
「『オムライスの作り方!!!』」
「『ご飯を卵で包みますううう!』」
「包まれるのおおおお!優しく包まれるのおおおお!」
「母の愛だああああ!」
誰かが叫ぶ。みんな泣いている。
富山は完全に呆然としている。もう笑うしかなかった。
「千葉さん...これ...どうなってるんですか...」
富山が力なく言う。
「わかりません...でもすごいです...すごいんですよ富山さん...」
千葉も涙を流しながら答える。もう何回目の涙かわからない。
石川は満足そうに周囲を見渡している。自分が始めたこの奇跡のような光景を。50人以上のキャンパー達が、料理レシピで泣き、笑い、そして感動している。
「これが...俺達のグレートなキャンプなんだよなあ...」
石川がしみじみと呟く。目は潤んでいる。
夕暮れ時。太陽が山の向こうに沈み始める。オレンジ色の光がキャンプ場を照らす。
そんな中、まだレシピの音読は続いていた。
「『ハンバーグの作り方!!!』」
「『玉ねぎをみじん切りにして、飴色になるまで炒めますううう!』」
「飴色にいいいい!時間をかけてええええ!」
「愛だああああ!これが愛だああああ!」
観客が絶叫する。泣いている。
「『卵とパン粉を加えてええええ!』」
「つなぎいいいい!つなぎが入るうううう!」
「みんなを一つにいいいい!」
もはや宗教的な何かになっていた。しかし誰も止めなかった。みんなが求めていた。この感動を。この一体感を。
そして1時間後。
空は完全に暗くなっていた。星が瞬き始めている。
キャンプ場には30以上の焚き火が灯り、その周りに人々が集まっていた。みんな疲れ切った表情で、しかし満足そうだった。
「いやあ...すごかったな...」
隣のサイトの男性が石川に話しかける。声は枯れていた。
「ですよね...まさかあんなに盛り上がるとは...」
石川も声が枯れていた。喉が痛い。
「俺、明日春巻き買って帰るわ...感謝を込めて食べる...」
「いいですね...俺も麻婆豆腐作ります...」
二人は笑い合う。
カップルも満足そうだった。
「なんか...人生変わった気がする...」
女性が呟く。
「料理レシピって...こんなに深かったんだな...」
男性が答える。
50代の夫婦も、手を繋いで星を見上げていた。
「いい経験だったわね」
「ああ...忘れられない思い出だ...」
石川達のテントサイトでは...
千葉が焚き火の前で、まだ時々鼻をすすっていた。
「いやあ...感動しましたね...」
「もう十分でしょう千葉さん...」
富山が呆れたように言う。しかし彼女も笑っていた。
「でもさ、富山さん。最後、富山さんもチャーハンのレシピ読んでましたよね?」
「...それは...まあ...あの雰囲気では...」
富山が言い訳する。顔が少し赤い。
「しかもめっちゃ感情込めてましたよね?『長ネギ...10センチ...!』って」
「うるさいですね千葉さん!」
富山が千葉の頭を軽く叩く。
「ははは!でも富山も楽しんでたじゃねえか!」
石川が笑う。
「楽しんでません!振り回されただけです!」
富山が言い返す。しかし笑っている。
「でもさあ...」
富山が急に真面目な顔になる。
「何やってんだろ、私ら...」
ドライな目で二人を見る。
「春巻きのレシピで泣いて...」
「麻婆豆腐で感動して...」
「カレーライスで号泣して...」
富山が一つ一つ数え上げる。
「最高じゃねえか!」
石川が笑う。
「最高でしたね!」
千葉も笑う。
「...まあ、悪くなかったですけどね」
富山も小さく笑う。
三人は焚き火を囲んで、静かな時間を過ごす。
「なあ、次は何しようかなああああ!」
石川が突然叫ぶ。目がギラギラと輝き始める。
「もう勘弁してください...今日だけで十分です...」
富山が頭を抱える。
「悲しいBGMで説明書音読とか!家電の取扱説明書!」
「やめてください!」
「それか!悲しいBGMで電話帳音読!」
「誰が泣くんですかそれ!」
「いや、わからんぞ!今日だって春巻きで泣いたんだから!電話帳だって泣けるかもしれん!」
「論理が破綻してます!」
「でも面白そうじゃないですか!『田中太郎...03-1234-5678...』って!」
千葉が真似をする。
「千葉さんまで!」
富山が叫ぶ。しかし笑っている。
「ははは!次回も楽しみだなああああ!」
石川が星空を見上げて叫ぶ。
「グレート...グレート...」
富山が小さく呟く。諦めと、少しの期待が混じった声だった。
そして三人は、星空の下、焚き火を囲んで笑い合った。
遠くから、まだ誰かがレシピを音読している声が聞こえてくる。
「『豚の角煮の作り方...』」
「角煮いいいい...」
まだ続いているらしい。
「すごいな...まだやってる...」
石川が感心する。
「石川さんのせいですよ、全部」
富山が呆れる。
「でも、みんな楽しそうでしたよね」
千葉が言う。
「...まあね」
富山も認める。
これが、俺達のグレートなキャンプ161。
悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読する回。
キャンプ場全体を巻き込んだ、奇跡の一日。
そして明日もまた、石川は次の奇抜なキャンプを考えるのだろう。
富山は振り回され、時々呆れながらも、最後には笑う。
千葉は全力で楽しむ。
そんな日々が、これからも続いていく。
グレートに。
空には満天の星。
焚き火の炎が揺れる。
遠くで、まだ誰かが泣いている。
「しばらく春巻き食えねえ...」
その声を聞いて、三人は笑った。
最高の夜だった。
最高にグレートな夜だった。
そして、キャンプ場のどこかで、管理人が頭を抱えていた。
「明日、何て報告書書けばいいんだ...『本日、春巻きのレシピで50人が号泣』って...?誰が信じるんだ...」
しかし、それは確かに起こった奇跡だった。
料理レシピで人は泣ける。
悲しいBGMと全力の音読があれば。
それを証明した、伝説の一日だった。
『俺達のグレートなキャンプ161 悲しいBGMを流しながら春巻きのレシピを全力音読』 海山純平 @umiyama117
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