最近の阿久津君は私に隠し事をしている。

 今日も私の拳なんかよりもギッシリと厚い本を読んでいる。中身も、知らない漢字だけならまだマシで、三角とか四角とか線といったそれらが折り合わさるように、しかも数字と一緒にびっしりと書かれていて、見ているだけで頭がクラクラしてくる。

そんな本を、阿久津君は目を輝かせながら食い入るように読んでいるのだから、私は感心もするし、びっくりもするのだ。

そんなヘンな人だけど、いつも何かを尋ねたら、楽しそうに色んな事を教えてくれる阿久津君が、今、私に隠し事をしているのだ。

「ねぇ、何か隠してることあるでしょ?」

私はワザとらしく聞いてみた。昼休みのことである。周りはおにごっこかドロケイかで争っている男子の騒ぎ声が響いている。

「まだ内緒にしていたいんだ。なぜならばね、君に教えることは、絶対に正しくなくちゃいけないんだ。とにかく、それだけ」

 阿久津君は本から目を離さずに一言、二言。

「こういうことを突然話すのは違うと思うけどね。科学では愛を解析するのは不可能なんだよ。それだけは絶対らしいんだ」

 阿久津君は、自分の眉毛を小指で掻いてみせる。

「僕はそれに抵抗してみたいんだ。とにかく、やれるところまでやってみて、そうして素晴らしいものにたどり着こうというわけなんだ」

 阿久津君はもっと言葉を足してみせた。そうしたら、もっと分からなくなる。ちんぷんもかんぷんと言っているだろう。

でも、阿久津君が私と一緒にいて楽しいかさえも分からなかったけれども、それでも、こういう態度は少しだけ悲しかった。

 でも、そんなナイーブな気持ちになるからといっても、何を隠しているのかをもっと追求するのは、やはり躊躇われた。

阿久津君と仲が良いのか聞かれれば、自信はないがそう思う、と答えられる。けれども、ただ純粋に、内緒にしていたいことを私の手で明らかにするのは少し恥ずかしいのであった。


 今日は曇りの日だった。美しいと思えるほどの曇天に私を重ねて、ため息を吐き出した。

 そして、昼休みの時間になり、いつものようにノートを広げて、教科書よりも厚い本を読みながら、熱心に事へ取り組んでいる阿久津君の所へと向かった。

 なぜなら、もう一度だけ聞いてみようと思ったのである。阿久津君と私の仲を信じてみようと改めたわけである。

「最近、私にヒミツで何してるの? 気になって仕方がないよ。いろいろ迷ったけどさ、このまま無視みたいなことされたるのは、我慢できないよ。一体、何をしているの」

 阿久津君の机の前に立ち、彼の顔がよく見えるように、屈みながら、そう尋ねた。

「別に君だけに隠しているわけじゃないさ。クラス全員までなら確証を持って隠していると言えるし、この世に生きている人々が対象なら絶対だ」

 阿久津君は、手を休めることなく、私に返事をする。

「私は、そういうことが聞きたいんじゃないんだよ。気になってるのは、何をしているのかの方だよ」

 少し、本質からズレたようなことを言う阿久津君に、ちょっぴりのいらだちを込めて、問い正す。さすがの阿久津君も、手を止めた。それが申し訳なかったけれど、今回ばかりは私も引き下がりたくなった。距離がどんどん置いていかれていくようで、それを追いかけることは一回諦めそうになったけど、それじゃあ、一人になったまま。そんなんだったら人間なんてものを語らない方が良いって。頭の中の誰かが、ぼんやりそう言ってくる気がして。それは阿久津君なのかもしれない。とか、頭の中がぐるぐるしてきたところで、阿久津君はゆっくりと喋りだす。

「僕はね、ロマンチストなんだよ」

「ロマンチスト?」

 阿久津君は、澄ました顔を私に向けた。

「そうさ。僕はね、ある種空想的なことに胸をはせて、それに向かって努力を惜しまないんだ。そういうのが、ロマンチストさ」

 阿久津君は、格好でも良くしたい年なのだろうか。そんなことを思っていると、阿久津君はもっと話を続けた。

「そのために、君には、僕がしていることを限界まで、隠し通さなければいけない義務があるんだ。理解してくれた?」

 阿久津君は、爽やかな笑顔を私に見せた。恥ずかしげもなく、真っ直ぐと、こちらを見つめている。私が勝手に悩みすぎていたのだろうかと思わせるほど、彼は何も気にしてはいなかった。でもロマンチストの意味は分からなかった。

 私は自分の席に戻ってから、机の中にしまってあった理科の教科書を取り出した。阿久津君は、最近「光学」なるものに意識を向けているらしい。私がノートを見たときに、光という文字がチラリとあったような気がしているだけなのではあるが。

 理科の教科書を開いてみても、水の粒がうんたらかんたら。後はめまいばっかりやってくる。阿久津君の瞳には理科の全てが美しくて、楽しくて仕方ないように写るのだと思うと、羨ましいという言葉と、愉快だろうという言葉がまず出てきた。

 でも、私は阿久津君の何が知りたいんだろうか。それを口にしたら、なんだか顔が熱くなってきたように思う。

 理科や科学の言葉で自分を守らなくたっていいのに。でも、男子ってそんなものなのかもしれない。女の子とは違って。でも、ジェンダーもうんたらかんたら。世の中は複雑ばっかりだ。だからかもしれないけれど、私と阿久津君も、そんな感じだ。

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