第4話

 目が覚めると天井が見えた。まっすぐに仰向けに寝ていたようだ。誰かベッドへ寝かせてくれたのだろう。窓の外を見ると、もう日が高く昇っている。昼ごろだろうか。そう思うと、急におなかが空いてきた。この部屋はダイとゴウが寝ていたはずだけれど、二人はもう起きたのだろう。体を起こすとめまいがした。

ベッドから下りると、壁に掛けてある鏡に自分の姿が映った。

「あれ? これが僕?」

 そこには見た事もない顔が映っていた。

「まあ、いいか」

 独り言を言って、ノブに手を掛けてドアを開ける。

 すると、僕に気付いたシュウが、

「おはよう」

 と言って手まねきした。シュウとゴウが、向かい合って座っていて、空いている椅子をすすめてくれた。ダイはキッチンで、何か作っているようだ。

「おはよう。ユーリのおかげで助かった。俺、もうだめかと思ったぜ」

 ゴウがおなかをさすりながら言った。骨、元に戻ったのかな?

「ユーリ。起きたんだね」

 ダイができた料理を運んできた。

「おなか空いてるだろ、たくさん食べろよ」

 顔の傷が消えている。変わらぬ優しい笑顔を見せてくれた。

 あれ? 僕はキョロキョロと見回した。ホクトが居ない。

「ホクトは?」

「あいつなら、蒼の森だろう」

 ダイが前掛けを外しながら言った。森って、あの黒い森のこと?

「森は危険じゃないの?」

「昼間は静かなものさ。魔物もめったに姿を現さない」

「飯、食おうぜ」

 ゴウはフォークを片手に持って、食べる準備をして待っていた。


 朝食のあと、僕は森へ向かった。危険じゃないけど、安全でもないよ。シュウはそう言って僕に忠告した。どういう意味だろう。ダイが言っていた、めったに姿を現さないというのも気にはなったが、ホクトが一緒なら大丈夫だ。近くまで来ると、蒼の森はそれ自体が、邪悪な生き物の様に、異様な気を放っているように感じた。こんなところに、ホクトはなぜ? 怖さを押し込めて、森へと足を踏み入れた。この世界でも、今の季節が秋なのだろうと思っていた。けれど、この森だけは、梅雨の時期のような、ねっとりとした空気が立ち込めている。

「ホクト? どこにいるの?」

 大きな声を出す勇気がなくて、きっと小鳥のささやきにしか聞こえないだろう。薄暗い森の中でよくありがちな、カサカサと葉のかすれる音だけが大きく響いた。ザザーッ。突然、木の上から何かが落ちた。一瞬、鼓動が止まり、それから、飛び出すんじゃないかというほどに、ドンドコと鳴った。

「ユーリ。ここで何を?」

 目の前にホクトの顔が迫ってきた。体から力が抜けて、へなへなと、崩れそうになる僕を、ホクトが包むように抱え込んだ。

「どうしたんだ?」

「君が、僕を脅かすから」

 こんな静かで不気味な森の中で、突然、姿を現すことが、どれだけ人をびっくりさせるか、彼には分かっていないのだろう。腰が抜けるとはよく聞くけど、こういうことなのかと実感した。

「僕は君を探しに来たんだよ」

 こんなところ、薄気味悪くて嫌だな。

「ねえ。明るいとこで話さない?」

「僕には君に話すことなどない」

 なんてつれない言い方だろう。

「君になくても、僕にはある。強引にこちらの世界に連れてきたのだから、君は僕の質問には答える義務がある」

 これだけ言えば、理解できるだろう。

「分かった」

 ホクトはそう言って僕の手を掴んで、森の奥のほうへと歩いていく。

「どこへ行くの? 暗いところは嫌だよ」

 相変わらず黙ったまま、ずんずん奥へと進んで行く。そのうち明るくなってきて、目の前にはきらきらと光る水面が見えた。湖に着くと、先ほどとは違い、青い空に白く輝く水、まるで、メルヘンの世界に迷い込んでしまったみたい。

「ここならいいだろう? 何が知りたいんだ」

 なんて威圧的な態度だろう。

「全てだよ。君が知っている事を全部」

 僕は彼の過去や彼の中にあるものが知りたくなった。

「君の質問は分かりにくい。聞きたい事の要点をまとめてからにしてくれ」

 ホクトは草の上に腰を下ろした。

「じゃあ、まずは僕の事だけれど、顔が変わっているのは何故?」

 僕もホクトの隣に並んで座った。

「君は変わってなんていない。向こうの世界での君の仮の姿が、この世界で元に戻っただけだ」

 僕の今までの人生って、偽物だったって事?

「この珠については、何か知ってる?」

 あの珠をホクトに見せた。

「知らない」

 彼は手に取ってそれを見つめた。僕はそんな彼の目を見つめた。その時、透明だった珠が、薄桃色に変わり、何かのマークが浮かび上がった。

「これは?」

 僕が聞くと、

「アイ」

 ホクトがそう答えた。

「なに?」

「愛という意味の紋章だ」

 ドキリとした。まさか、ホクトの口から、『愛』なんて言葉が聞けるとは思わなかったから。

「なぜ?」

 なぜそんな紋章が。

「君が持っている物の一つなんだろう。そして、それが君の力になる」

 愛が力に? ホクトは僕の手にそっと珠を返した。

「君達の戦っている相手は、どんな姿をして、どんな力を持っているの?」

「いろいろだ」

 僕の質問が雑すぎたんだ。

「昨日の魔物は、どんな奴だったの?」

「僕らの家より大きい。太くて長い尻尾がついていた。比較的魔力の強い、厄介な奴だ」

 彼の説明が足りないのか、僕の想像力が乏しいのかイメージが涌かない。きっと、ゴジラみたいな奴だろう。火も吐くのかな?

「どうして君達が戦わなければならないの?」

 一番聞きたい事だった。他の誰かじゃだめなのか?

「そういう家に生まれたから。力を持たない者には戦う事が出来ない」

 力? どんな力を持っているのだろう。

「それじゃ、君たち四人は、千年前に魔物を封じた術者達の子孫とかなの?」

 ホクトは空を見上げて、

「そうだ」

 と呟くように言った。はっとした。僕は彼に辛いことを思い出させてしまったのではないか。ダイの言った、『ホクトはすべてを失った』その言葉が僕の中で響いた。

「ねえ。僕、君の力になりたい。この珠が僕に力を与えてくれたのならば、願えばきっと、もっとすごい力を与えてくれるかもしれないじゃない。この珠の秘密を、君は本当に知らないの?」

 ホクトは厳しい表情で私を見た。これ以上聞くな、ということなのだろうか。それとも、同じ事を二度聞いてしまったことに腹を立てているのかもしれない。

「ごめんなさい。ただ、もっと役に立ちたかったんだよ」

「それ、もう一度貸して」

 ホクトは珠を手に乗せて見つめた。紋章は消えている。

「この珠には力なんてない。君の力に反応しているだけだ」

「僕の力はどこから来たものなの?」

「それは君の中にある」

 僕の中? 感情のことかな? 愛情とか友情とか。他にも何かあるのかも。

「もう質問は終わりだ」

 そう言うと、ホクトは立ち上がり、森の中へ戻って行った。

「置いてかないで!」

 慌ててついて行った。一人でこの森を歩くなんて、考えただけでもゾッとする。

「ホクト」

 彼は僕の呼びかけなんて、無視するだろうと思った。けれどホクトは振り返り、僕をじっと見つめた。次の言葉を待っているみたいに。

「僕、君に嫌われているのかな?」

 言うつもりじゃなかった。でも、どうしても確かめたかった。

「なぜそんなことを聞く?」

 彼にはやっぱり心がないのだろうか? まともな答えなんて期待はしてなかった。彼の声だけが聞ければいい。

「ただ聞いてみたかったんだ」

「嫌いじゃない」

 簡潔だけど嬉しかった。彼に心がないなんて違うと思う。閉ざしているんだ。傷つくことが怖くて。ホクトはまた黙って森の中を突き進む。

 街へ戻ると、通りの真ん中あたりの広場で騒動があったらしく、人だかりができていた。

「何かあったんですか?」

 人垣の最後列で背伸びをしている女の人に聞いてみた。

「それがねえ。こんな昼間っから魔物が出たらしいわよ。襲われたのはこの街の住民じゃないみたいだけど」

 人を押しのけて真ん中まで行くと、シュウとダイが、倒れている男の人を担架に乗せているところだった。

「ユーリ。君も来てくれるかい」

 シュウが僕に気付いてそう言った。ホクトは? 彼はもう、どこにも居なかった。

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