罪人の慙死について

李夢檸檬

独白

 具体的にどのような人物だったかを忘れてしまったため、一旦は「誰か」とするが、誰かから聞いた話によると、ここがあの罪に問われし例の人間の死に場所らしいそうな。罪を犯した日の翌日となって、その事を知らぬはずの少しばかり偉い教徒に罪を問われ、ここから百歩足らず歩いたあの広間から駆け、本来あったであろう扉を通ると、運悪く、刃物を持った異端者に刺殺された、と。評伝によればその通りらしく、罪と云うのは姦淫かんいんだそうな。その事件から、何とも長い年月が経った今となっては、その評伝すらも意味を成さなくなって、知る者は数える事の容易な歴史学者達ぐらいである。あの広間と建物は老朽化し、所々破損し、外へ通じる大扉は消え去り、現在はほとんどが立ち入り禁止となっているものの、私は当時から今に至るまでの事をほとんど知らぬが、今となっても残存している。十数年前までは入れたそうだが、現在は私がいる、あの罪人の死に場所辺りまでしか近付けず、建物に触れる事すらできなくなっている。

 かの罪人は、評伝の中では最初の内こそ「とある教徒」と記されている。つまりは、一介の信者に過ぎなかったのだ。しかし、罪を犯せばそれが一変、「悪しき罪人」と言われる始末。この地で昔に信仰されていた宗教では、多くの宗教にて罪悪とされるが、姦淫かんいんは死を以ってつぐなうものであった。しかもその罪人は、共に信仰する若き他の教徒とみだらな交わりをしたとの事だから、大罪にならぬ事はなかったであろう。その他の教徒とやらも、評伝には詳しく記されていないが、直ぐに死を迎えたのだろう。

 評伝には、罪人についてそれ程書かれていない。書かれている情報と言えば、「教徒」、「信者の中でも素晴らしいと云う言葉から遠かった」、「昔には罪を犯していたと云う噂が出回っている」、「姦淫かんいんの罪を犯した」、「異端者によって刺殺された」、このぐらいに限られてしまう。淡々と事実が述べられており、それに伴った教えが最後に記されている。言わば、罪を犯した者の末路が見せしめとして書かれているのだ。裁判でも、前例と云うのものは大いに役立つものであろう。実例があればあるだけ、決まり事と云うのは効果を増すものだ。しかし、既に廃れた教えよ、その意味など無いようなものだ。

 かの罪人、名前すらも記されておらぬちっぽけな存在は、如何にしてあのような行為に至り、運悪く死へと誘われたのか。私にそれを知る術は無く、かの評伝から一抹いちまつの想像をして、当時の様相を眺めようと試みるだけである。

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