橋モリさま
裏桔梗
橋モリさま(1)
ソリがまだ小学生の頃の話だ。
学校と家のちょうど中間に橋があった。長さにしてだいたい十間ほどの、歩いてしか通れない屋根のついた古い木橋だ。
でも、川には凶暴な河童が住んでいて、人の尻こだまを抜いてやろうと
ちなみに、尻こだまを抜かれた人は、三日以内に血を吐いて死ぬ。
橋の名前は、おやね橋という。
そのまんまのネイミングなのだが、由緒は古く、江戸初期の寛永年間にまで
しかし、かくも古い橋がよくぞ現代まで持ったものよと他所の者は不思議がるが、それは橋モリさまがいるからである。
いかな前代未聞の大型タイフーンや山津波が来ようが、はたまたガッディーラが来襲しようが、橋モリさまの霊力にかかれば、全て追い払われてしまうのである。というか、ガッディーラなどは橋モリさまの召喚獣である。ガッディーラが毎回、決まったように日本へ上陸するのは、そういうわけなのである。
ならば、いっそのこと川の河童も退治して貰えば良さそうなものだが、否、河童はべつに橋を壊しはしないので、
橋モリさまは、若い女である。されど、寛永年間から数えればおよそ四世紀弱が過ぎているため、年齢で言えばそう若くない。外見上の話だ。
着崩した浴衣に牛追帽を目深に被って欄干に腰かけながら紙巻煙草を吸う姿は艶っぽく、しかし目が合うと中指を立てるほどの人嫌いなので、助平心を起こし、良い関係になろうと思わない方が無難である。もし無理にでも近づけば、叫ぶ間もなく組み敷かれた末、煙草で焼印を入れられるのがオチだ。
この村の男たちが、おしなべて手首に幾つも丸い
ただ、子供は好きなようだ。
登下校で橋を通る小学生には、橋モリさまは、いつもにこにこと手を振っていた。
その中でも、ソリは格別のお気に入りだったようだ。
「やあソリ助、朝寝坊かい。早くしないと学校に遅れちまうよ」「やあソリ助、今日は暇なのかい。よし、だったら三味線を教えてあげようかね」「やあソリ助、うんていの試験で百点を取ったんだって。頑張ったなあ、飴玉をやろう」など、ソリは橋を通るたびに声をかけてもらうどころか、えらい可愛がられようで、いきおい、村の成人男性の嫉妬の対象だった。
ただソリは、名前の後ろに
そんな橋モリさまの唯一の楽しみは、ソリたちが遠足などに行ったならばその行楽地の話を幼児の如くせがむことであり、そして、子供のとりとめもないお喋りをうきうきした顔でひとしきり聞いた後、ええのう、わしも行きたいのうと口を尖らせるのだった。
「橋モリさまもたまにはお出かけすればいいのに?」とソリが問えば、でもわしはこの橋を離れるわけにゃいかんから……と、寂しげに答えるのだった。
ソリは、橋モリさまがとても可哀想に思えた。だから、橋モリさまへいろいろプレゼントをしたのだ。例えばざくろの実だとか、花の咲いた梅の小枝だとか、そういうものが喜ばれた。
なかでも好きだったのが、
春になると、小学校の校庭の木瓜の木に朱い花が咲いて、ソリはその花がたわわに実った枝を手折り、おやね橋まで持っていけば、橋モリさまはたいそう喜び、牛追帽を脱いで小さく髪を結い、そこに木瓜の枝を挿すのだった。
とても綺麗だなあ、とソリは見とれた。
お礼に橋モリさまは、三味線でジャニス・ジョプリンなどを語り弾いてくれ、ソリはその高音のハスキーボイスに、うっとり聞き惚れるのだった。
しかし中学にあがると、ソリは、橋モリさまと疎遠になった。中学校は、隣町まで行かねばならなかったのだが、ちょうど小学校とは反対方向に位置し、すなわち、おやね橋はもう通らなくて良かったのである。さらに高校は、山向こうにある市の普通科高校へ電車通学したので、まるっきり、おやね橋とは縁がなくなった。高校を卒業後は、アメリカの大学へ留学したせいで、村どころか日本にさえ戻らなくなった。
そして学業を終えた後、縁あって東京の小さな出版会社に就職したのだが、巣鴨地蔵通り商店街にてスサミと出会い、ご承知の通り、やがて結婚を誓い合ったのだ。
報告のため、実に六年ぶりにソリは、スサミを伴い、帰郷した。
するとソリの母のエリザベートはああゆう人だから、スサミの体をぺたぺた触りながら「うーん、呪われた子を産みそうな女だねえ。頑張って、悪魔の子を産みなさいよ」としきりにハッパをかけ、親父のヒロシはヒロシでああゆう人だから、スサミを間近で睨みつけながら「よよ、俺の手塩にかけた愛息を奪いおって、憎い奴、まあ結婚は認めてやらんでもないが、しかし一発殴らせろ!」と迫るのだった。
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