第8話 勇者逃亡 ③

チュンチュン……。


朝だ。本当に異世界の朝だ。


こちらの世界の人は朝は日の出とともに動き出す。電気がない世界だから、わざわざ夜に明かりを灯して過ごすのは贅沢なことなのかもしれない。


とにかく、日の出ですよ。みんな、朝が早い!


朝はゆっくりだった大学生の私と、仕事は夜が本番の編集者の姉は半分眠っていて、フラフラとしている。その反対に朝から私たちのお弁当作りやらなんやら家事をしていた兄はパッチリと目覚めていて、小次郎も欠伸ひとつしない。


「おはよう。ほら、しっかりしろ」


「うえええっ、眠いよぅ」


ぐしぐしと目を擦ってふわぁと欠伸を漏らす。


「葵さん。あっちに人が集まっているよ」


テントからぴょっこりと顔を出していた小次郎は、見たことを兄に報告。私たちもとにかく集まっている人のところへ行こうと、テントを出た。

そのとき、何気なく隣のテントを見たが、昨日と同様にピッチリとテントは閉まっていて、中を窺うことはできなかった。


住んでいた村が魔獣のスタンピードに遭い、ここまで避難してきた人たちがわいわいと集まっている場所まで移動すると、ここの責任者であるマノロさんに声をかけられる。


「よお、眠れたか? ハハハ、嬢ちゃんたちは眠そうだな」


「ええ。妹たちは移動の間、よく眠れなかったので……」


兄がすかさずフォローしてくれる。ありがとう、兄よ。異世界で朝寝坊の女性というレッテルがどこまで不評なのかわからないけど、きっと婚期は逃がす気がする。


「早速だか、働いてもらおう。朝メシの支度、薪割りや薪拾い。ゴミ捨てと薬草採取。他にもあるが、どれができそうか?」


「朝メシの支度で」


兄の即答に、マノロさんは目をぱしぱしと瞬きをして兄の顔を凝視した。


「……えっと、じゃあ、あっちにイネスっていう炊き出しのリーダーがいるから、指示に従ってくれ。嬢ちゃんたちもか?」


「あっ……」


私は下ごしらえぐらいはできるけど、お姉ちゃんは料理は致命的だ。包丁なんて持たせたら、どんな惨劇が起きることか……。


「すみません。こっちの妹は料理は無理です。他に何かありませんか?」


「そうだな、嬢ちゃんはいいとこのお嬢様みたいだものな。う~ん、後は文官の手伝いでここの台帳作りかな? 読み書きはできるかい?」


困った。読み書きができる前に、この世界のこの国の文字がわからない。会話ができているから、勝手に日本語に翻訳されていると思うけど、さすがに文字はどうだろう?


「あのぅ、こちらの文字を見てみないとわかりません」


「あんたたちはトリーア王国の者じゃなかったんだったな。そうか、じゃあ文官のところまで案内するから、嬢ちゃんは付いてきな」


マノロさんはお姉ちゃんだけを連れて、別の場所へと歩いていってしまった。


「あらら、大丈夫かな?」


不安そうな私の顔に、小次郎も不安になったのか、ギュッと兄のズボンを握りしめる。


「大丈夫だろう。桜はいざとなったら機転が利く。さあ、俺たちも行こう。あっちに大きな鍋が見えるよ」


兄を先頭に、大きな鍋から白い煙が立ち上っている場所へと移動する。マノロさんに連れられた姉に後ろ髪を引かれながら。
























ばしゃばしゃと盥の中で土のついたイモを洗っている。私と小次郎は料理ができないので、主に野菜を洗うのと皮むきを担当することにした。

小次郎はまだ子どもだから遊んでてもいいと、炊き出しのリーダーである肝っ玉母さんみたいなイネスさんにお許しをいただいたのだが、超絶人見知りの小次郎がフルフルと頭を振って私の背中に隠れたため、一緒に下働き中である。


兄は本領発揮とばかりに野菜やら肉やらを切って炒めて、煮込んでスープを作ってと大活躍みたい。さすがにパンは焼けないから辺境伯様の町のパン屋が配給してくれることになっている。

兄は自分でパンを焼ける腕前はあったが、文明の危機である料理家電がここには存在しないので、ちょっと落ち込んでいた。


「桜さん……大丈夫かな?」


「小次郎、心配しなくても大丈夫よ。あの人は悪運だけは強いから。それよりも水が冷たいでしょ?」


指が真っ赤になってしまった小次郎の両手を水から掬いだして摩ってやる。井戸から汲んだ水は少し冷たく感じた。


「菊華ちゃん……」


「ん?」


恐々と呟かれた自分の名前に顔を上げれば、困惑した顔の小次郎と目が合う。なんだ? もう私たちは家族なんだから、手を握ってもよかろう?

しかし、小次郎の視線は私ではなく、その後ろに注がれている。そっと後ろを向くと、大きな木の幹に隠れている人影があった。


ん? 人影? なんか、ついてない? あれ、なに?


「菊華ちゃん……あの子、尻尾があるよ」


木の幹に隠れていたのは小次郎より少し大きい女の子と、小次郎より小さい男の子。隠れてこちらを窺っているが、その二人の腰の辺りには、フリフリと揺れる大きな尻尾があった。


「なんで、尻尾が……」


流行っているの? 尻尾のアクセサリーが? この異世界で、小さい子の間で尻尾を付けるのがブームなのだろうか? いや、まさか。


「あの子たち……頭。み、耳まであるね」


「うん……」


ギュッと小次郎が私の手を握ってきたので、私もギュッと握り返した。


あの子どもたちには、犬のような耳と尻尾がある。それって……ファンタジーでよくみる、獣人ってこと?

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