第18話 三人の戦乙女の運命

 フラミニア・ディ・アルディーニ公爵令嬢が氷姫――ロストフ帝国戦乙女スヴェトラーナの暗殺を試みて以来、王国軍務省は緊張状態にあった。

 氷姫は、デオタート参謀総長が所有する王都郊外の森深くにある別荘に、厳重な警備と共にかくまわれていた。

 その居場所を知るのは、参謀総長と、ごく限られた軍の上層部、そして警備を統括するナルディーニ大佐と、その腹心であるバルトロメアのみ。

 軍事機密中の機密であった。


 フラミニアに気絶させられた歩哨の怪我は打撲程度で済んだ。

「これで、軍法会議で処刑を求めずに済む……」

 一報を聞いたナルディーニは、安堵の息をついた。


 フラミニアは、軍法会議が開かれるまで、軍の敷地内にある独房で監禁されることになった。

 その独房の世話役、そして予備尋問の手伝いを命じられたのが、バルトロメアだった。


 軍部が最も神経をすり減らしたのは、この暗殺未遂がフラミニア個人の暴走なのか、それともアルディーニ公爵家、ひいては反講和派による組織的な犯行なのかという点だった。


 徹底的な秘密調査が行われた結果、フラミニアの行動が、彼女自身の激しい感情と、兄デメトリオの戦死に対する悲憤からくる単独の犯行であることが明らかになった。


 フラミニアの父であるアルディーニ公爵は、娘の釈放に向けた行動を直ちにとった。

 王国の名門貴族として、その力は絶大だ。

 彼は、途方もない金額の保釈金を用意し、娘の身柄を軍から引き取ろうとした。

 しかし、軍部はこれを断固として拒否した。


 フラミニアは今や、公爵が氷姫の暗殺を再度企てたり、講和交渉を妨害したりするのを防ぐための「人質」としての価値を持っていた。


「もし、講和締結前に氷姫に万が一のことがあれば、貴公の娘は軍法会議により死刑に処されることになる」

 デオタートは、直接ではないにせよ、内密のルートを通じて公爵にこの冷徹な恫喝を伝えた。

 公爵は娘の命を前に、すべての行動を自粛せざるを得なくなった。


 この事件は、世間には一切公表されなかった。

 しかし、政府首脳と軍の上層部だけは、この緊迫した状況の全てを知り、水面下で講和の最終調整を急いだ。


 バルトロメアは、独房のフラミニアの世話を淡々と続けた。

 食事を運び、簡単な会話を交わす。

 フラミニアは初め、頑なに口を閉ざしていたが、バルトロメアの温かみのある態度に、次第に心を許していった。


 ある日の午後、差し込む細い光の中で、フラミニアは初めて深い感情を露わにした。


 「私は、お兄様が好きだった」

 彼女の声は震え、途切れ途切れだった。


「本当に素敵な人だった。勇敢で、優しくて、騎士の鑑のような人。王国中を見回しても、彼ほどの男性は一人もいなかったわ。一人の男性として、愛していた。でも、私たちは兄妹……結婚なんてできるはずがない。その事実が、とても、とてもつらかった」

 デメトリオは、ロストフ帝国との戦争で戦死した。彼女の憎しみは、兄を奪った敵である氷姫へと向けられたのだ。


 バルトロメアは、静かにフラミニアの話を聞いた。

 そして、軍人としての顔に戻り、きっぱりと言った。


「絶対に、軍法会議でそれを言ってはいけないわ。あなたにとっての真実でも、法廷はそれを受け入れない。大丈夫、最悪でも死刑にはならない。でも、あなたの感情は、軍法会議では必要ないの」


 フラミニアは一瞬バルトロメアを睨みつけたが、すぐに自嘲気味に吐き捨てた。

「いっそのこと、死刑にしてくれればいいのよ」

 その後、彼女は再び口を利かなくなった。バルトロメアはただ、独房の扉を静かに閉めるしかなかった。


 やがて、朗報が届いた。

 中立国の都市モントルーで、ランゴバルド王国とロストフ帝国の間で講和条約が結ばれたのだ。


 戦争は、勝者と敗者を明確に分けたわけではなかったため、ランゴバルド王国は直接的な賠償金を取ることはできなかった。

 しかし、氷姫の解放金として、ロストフ側から莫大な金額が王国に渡された。

 この金は、戦争で疲弊した国の再建に使われることになった。


 講和から数日後、氷姫スヴェトラーナの引き渡しが実行されることになった。


 バルトロメアは、ナルディーニ大佐の命令で、警備兵と共に氷姫に国境まで付き添う大役を任された。

 その期間、バルトロメアは氷姫の話し相手になることが多かった。ロストフの貴族社会の話、そして、彼女の愛する猫マーシャのこと。


 国境の検問所。ロストフ帝国の軍服を纏った護衛部隊が、彼女を迎えに来ていた。


 別れの瞬間、スヴェトラーナは、軟禁生活の中で初めて、心からの笑顔を見せた。

 それは、雪解けの春のように、はかなく、美しい笑顔だった。

「いままでありがとうね、バルトロメア」

「大変だったね、スヴェトラーナ」

 バルトロメアは敬礼ではなく、一人の女性として彼女に手を差し出し、握手を交わした。

 バルトロメアは、最後にスヴェトラーナの愛猫マーシャを抱っこさせてもらい、別れを惜しんだ。


 ロストフ軍とともに去っていく彼女の姿を、バルトロメアは静かに見送った。

「帰ったら、すぐに皇帝と結婚させられるのよね。可哀そうに」


 ロストフ皇帝は、ほぼ四十歳近い男だ。

 一方の氷姫は、まだ十四歳の少女。

 恋をしたい年頃だろうに、強制結婚という冷たい運命が彼女を待ち受けている。

 バルトロメアはただ、その運命に静かに心を痛めた。

 

 王都に帰ると、バルトロメアは再びフラミニアの世話役に就いた。


 いよいよ軍法会議が開かれることになった。

 ナルディーニは、バルトロメアにフラミニアの弁護を命じた。

 ナルディーニは、彼女に重い罰を望んでいなかった。

 また軍はすでに、フラミニアを人質として利用する役割を終えていた。  バルトロメアは、フラミニアが兄の死への悲しみから衝動的に行動した点、そして未遂に終わった点を主張し、懸命に弁護した。フラミニア自身は終始無言を貫いた。


 その結果、フラミニアの処分は不定期の禁固刑に決まった。

 バルトロメアは、独房でフラミニアに結果を告げた。

 彼女は目を見開いたまま、何の感情も示さなかった。


 判決後、ランゴバルド王国の名門アルディーニ公爵家は、世間への体面と家門の存続のため、娘であるフラミニアを追放した。

 彼女はもう、公爵令嬢を名乗ることは許されない。

 アルディーニ公爵家の人間は、彼女の存在を歴史から消し去ろうとした。


 講和から一年が過ぎた頃、国王の恩赦によって、フラミニアは釈放された。

 国が平和を取り戻し、人々の視線が戦争の傷跡から未来へと向き始めた、ちょうどその時だった。


 バルトロメアは、もう彼女の行方を知らなかった。追放された身で、彼女がどこで、どう生きているのか、想像もつかなかった。


 それから四年の月日が経ち、バルトロメアの生活は大きく変わっていた。


 ナルディーニ大佐は順調に昇進し、今や中将となっていた。そして、バルトロメアは、そのナルディーニ中将と結婚した。


 バルトロメアは、結婚と同時に軍を退役した。軍の仕事に忙殺される夫を支えるため、静かな家庭生活を選ぶことにしたのだ。


 二人で王都に屋敷を構え、平和に暮らしている。

 かつてのバルトロメアの愛猫ネーロは、その生涯を終えていた。今は、二代目の黒猫ネーロが、二人の膝の上で穏やかに丸くなっている。


 ある穏やかな日、バルトロメアのもとに一通の珍しい結婚招待状が届いた。

 差出人は、フラミニア・アルディーニ。

 追放されたはずの名前だった。


 予定の日、会場である王都の教会に向かう馬車の中で、バルトロメアは胸の高鳴りを覚えた。


 結婚式が始まった。

 花嫁が入場した。バージンロードを歩く花嫁は、とても美しかったが、その左足を引きずっていた。そして、その見えない左目の上には、隠しきれない痛々しい傷跡が残っていた。


 隣で腕を組み、エスコートしているのは、仮面をかぶった威厳のある男性だった。背が高く、立ち姿は、誰もがすぐに悟った。 アルディーニ公爵だ。公爵家を追放したはずの娘を、彼は最後は父として送り出すことを選んだのだ。


 花嫁は、祭壇の司祭の前まで進んだ。そこに待っていたのは、新郎であるアガッツィ子爵次男だった。 二人は誓いの言葉の後、静かにキスを交わした。


 式が終わると、新郎新婦は招待客への挨拶に回った。バルトロメア夫妻のところへ、二人がやってきた。


 新郎は、どこか、亡きデメトリオに面影が似ていた。


「おめでとう、フラミニア」 バルトロメアは、心からの祝福を込めて言った。

「ありがとう、バルトロメア。あなたには、散々迷惑をかけた。でも、今、戦争以来、はじめて幸せになれたわ」


 新郎が、バルトロメアの夫であるナルディーニに、敬意を払ってあいさつをした。

「王国の英雄であるナルディーニ将軍夫妻に来ていただいて、この上ない名誉です」


 ナルディーニは、静かに答えた。

「二人ともおめでとう。一番喜んでいるのは、きっと天国のデメトリオだよ」

 その一言に、フラミニアは思わず涙ぐんだ。


 バルトロメアも、そっと目を閉じた。デメトリオの屈託のない笑顔を思い出し、涙がにじんだ。

 あの戦争がなければ、彼が死ななければ、これまでのさまざまな出来事は起こらなかった。

 それでも、残された者たちは、それぞれの道で、平和と幸せを見つけなければならない。


 教会の外では、抜けるように青い空が広がっていた。それは、どこまでも広大な、平和の象徴だった。

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使えない猫使役スキルを授かった令嬢、実は最強でした!?~戦乙女になれなかった落ちこぼれの私、でも世界の猫全部が味方についた件~ スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi

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