武田信玄

 なんというか秋も深まって街路樹の葉が紅葉し、それを見た小学生がぴいぴいした感じで高揚し、落ち葉はお肌のケアに効用があるなどと薀蓄うんちくをたれ、やがて彼ははたと思いつき、公用で出かけていた洋子先生に電報をうつのだった。

「イッパツヤラセロ」

 まあ、つまり、秋だというのに、夏のように暑かったのでありますよ。

 あたいなんぞは、時節外れの扇風機をかけ、雨月物語を読みながら、ギターウルフを聞いておったのです。そんな、ぼうとした午後。

 だいたい三時ごろっす。

 虫川竹男がやってきた。

 虫川は、あちきの大学の同じゼミの奴で、まあだいたい四捨五入して友達って感じの、いつもジャージを羽織っている男。

「邪魔していいか?」

 虫川は怖い顔をして尋ねる。

 僕、おしっこちびっちゃった。

「おしっこちびっちゃったから帰って」とは言えずに、おお、とか、ああ、とか、それがしは意味不明な感嘆詞を呟き、虫川を六畳一間の部屋に迎え入れたんだ。本当に汗ばむような陽気で、ゾンビ化した蝉が、ばりばりと鳴きだしそうだったんだ。ちなみに、ゾンビ化した蝉は、樹液ではなく、ヒトの脳味噌をすするんだ。ちゅうって。うひゃあ、こえー、超こえー。

 いや、今、超こえーのは、虫川の方だ。

 虫川は、あっしが出してやった烏龍ピーを一気に飲み干すと、険悪な目つきであらぬ方向を見ながら吐息をつき、何かを堪えているような雰囲気をことさらアピールしようとしている。

 やばいと思ったミーは、とりあえず一人称を統一しよう、俺はおもむろに煙草を吸った。つまり、煙草をやるという仕種は、俺の攻撃性のアピールである。やるんだったらやってやるぞ、みたいな。いや、虫川相手なら勝てそうな気がするしね。

 って、わしらがかくも緊張状態にあるのは、なんでかというと、女。女関係。

 その女というのは、妙ちくりんな怪物か宇宙人のような造形物を自らの手で書き起こし、これは私のイメージキャラクターなのです、などと、ほくほくした顔で言うような女で、あと、幽霊見たとか、妖精見たとか、真顔で語ったりして、そうゆうの電波っていうの? というのとはまたちょっと違って、例えばアルバイト先のレストランで店主の信頼を得て、バイトどもの頭みたいな役割を任されていたりするような。そんな表向きの顔はきっちり作っていやがるみたいな。

 で、虫川は、そういう女と付き合っていたのだが、だらしない服装の割には妙に生真面目な男だから、うざくなったんだろう。勿論、女の方が。

 女は、俺に乗り換えた。

 彼女は、私と虫川は価値観が違ってきてしまったの……なんてことをいちいち事例をあげながら俺に説明するけれど、どれも自分のための言い訳に過ぎない。

 まあ、俺は、やれりゃあ良い。

 女の方も、虫川は思いつめる性質だから別れるとなったら後が怖そうなので、俺をボディーガードみたいな感じで選んだのだろう。

 そんな風に互いの利益が一致した結果として、俺たちは付き合い始めたのであり、だもんでクリスマスが終わったらすぐ別れるよ。おそらく多分、百パーセントって、どっちだよ。

 虫川は、頭をぐらんぐらんとさせていた。

 まだ彼女は、虫川と正式に別れる段取りは踏んでおらず、とりあえず連絡とか無視するの段階らしく、だから虫川はまだ望みを持っているに違いなかった。

 虫川は、さらに頭をぐらんぐらんさせる。

 こえー、すんごくこえー。

 虫川は、俺と彼女が付き合っているのを知ってしまったに違いない。いや、間違いない。

 僕は、この沈黙の間を嫌って、とりあえずテレビを付けたんだ。

 同時に、虫川が思いつめたように口を開いた。

「おまえの、武田信玄についての見解を教えろ!」

 虫川の目はてんぱっていた。

「……え? 信玄?」

「イエス、プリーズ!」

「……風林火山?」

「この、うつけ者!」

 虫川は、背中に隠し持っていた軍扇でもって、俺の頭をしこたま打ちつけ、そしてそれ以来、俺の前から姿を消してしまった。


 あれから十年の月日がたって、私は三十路、実家そばの村役場で働いている。妻と二歳の息子がいる。

 実に楽しくやっております……と、言いたいところだが、そうでもない。

 昨夜、別居している妻から電話があって、もうそっちには帰りませんだって。

 まあいいけど、離婚とかすると後始末が面倒そうだなあと、私はそっちの方が憂鬱だった。

 追い討ちをかけるように、郵便受けに、虫川からの手紙が来ていた。奴は、不定期に私へ葉書を送って寄越すのだ。なんだろう。嫌がらせのつもりなのだろうか。だとしたら、しつこい。

「拙は今年こそ騎馬軍団を結成します(笑)」

 文面も訳わからんし。

 奴も、もう三十路……。

 私は、そのまま葉書を屑カゴに捨てた。

 翌日、役場に出勤して昼休み、いつものように同僚の蚊山と近所の定食屋へ飯を食いにいった時、スポーツ新聞を読みながらランチを食っていた蚊山が、突然、ぷりりと失笑をもらした。

「なんだよ?」

「いやあ、今度の某県の知事選でさあ、なんでも、武田信玄を名乗る男が立候補するらしいぞ」

 私は、食いかけていた天ぷらを口から零した。

「お! こいつ……ていうか信玄、おまえと同じ大学らしいぞ。知ってる?」

 そう言いながら蚊山は、新聞を机の上に広げ、こぼれ話みたいな記事を私に見せようとする。

「知らねえよ」

 私は大きく頭を振り、ぞんざいに新聞を払い除けた。

 しかし、仕事も終わり、飲み屋経由で帰宅して夜のニュースを何となく見ていたら、頭になんか白いふさふさした被り物をした知事立候補者が映し出され、そいつは愚にもつかない演説をしてキャスターの失笑を買っていた。

 むう。

 虫川竹男、メロンパンが好きな男であった。

 なんかさあ、もうなんか凄い久しぶりにさあ、僕、どえりゃあ切なくなってまった……。(完)


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