第42話 魂共鳴率 2

 誠司たちは束の間の休憩を終え、再びオークたちとの戦闘が始まった。

 群れをなす《オークソルジャー》たち。

 指揮をとる《オークナイト》。

 後方から矢と魔法を飛ばす《オークアーチャー》と《オークメイジ》。


 モコは、以前なら苦戦していた構成を、今では冷静に裁き始めていた。

 足元が荒い場所では《地形変動アースシェイプ》で地面を均し、数が多いときは《大地爆裂ストーンバースト》でまとめて吹き飛ばし、点で抜きたいときは《ストーンランス》で急所をつく。


 モコの魔力残量を誠司が横から確認しながら、限界を越えないよう声をかける。


「そこで一旦引け。追ってくる2体だけを落とせ」


「モモッ!(わかった!)」


 素直に従いながらも、モコの目には闘志の光が宿っていた。

 そして、今日最後の“仕上げ”は……大型の《オーガ》だった。赤黒い肌、鍛え上げられた筋肉の塊。振り下ろされる棍棒は、直撃すればモコの小さな体など容易く砕いてしまうだろう。


「モモ……(おっきい……)」


「ビビるな。お前ならやれる。俺がいつも言ってることを思い出せ」


 モコはこくりと頷き、前足を地面にぴたりと押しつけた。


「モモッ!( くらえ!)」


 オーガが踏み出した瞬間、その足場がぐにゃりと沈む。

 《地形変動アースシェイプ》で足元の土を柔らかくし、踏み込みを奪う。

 重量のある一撃ほど、足元が安定していなければ振り切れない。

 オーガの棍棒は空を切り、体勢が大きく崩れた。


「モモモーーッ!(これでもくらえーーッ!)」


 その一瞬の隙を逃さず、モコが地面に力を叩き込む。大地がうねり、圧縮された岩塊が爆ぜ上がった。


 最大出力の《大地爆裂ストーンバースト》。爆散した巨石がオーガの顎を正確に殴り上げる。


 巨体が仰け反ったその瞬間、モコは畳みかけた。


「モモッ!!(まだまだ!!)」


 鋭い音とともに大地が尖り、《ストーンランス》が一気に伸びあがる。


 腹部を貫き、胸元へと突き抜ける。

 巨体は槍に縫い止められ、動きを完全に奪われた。


 ぐらり、と揺れてオーガはその場に崩れ落ちた。


「……決めたな」


「モモッ! モモモ!(かった! やったー!)」


 嬉しさのあまり、モコはその場で小さくぐるぐる回る。

 ふかふかの毛並みが揺れ、尻尾が忙しなく高速で振られた。


 誠司は近づき、傷や魔力の残量を確認する。


「よし。今日はここまでだな」


「モモ?(きょうは、ボスいかないの?)」


「ボス部屋には行く。だが戦うのは俺だ。お前は見ているだけにしろ」


「モモ……(うぅ……)」


 不満そうに眉(?)を下げるモコ。

 しかし、十階層のボス戦の厳しさは一度身をもって知っている。


 誠司はその頭を軽くくしゃりと撫でた。


「次はお前の番にする。そのための鍛錬だ」


「……モモッ!(がんばる!)」



 十階層ボス部屋前。


 重厚な扉の前で、誠司は一度ゆっくりと深呼吸した。魔力の循環は滑らかで乱れはない。

 そして意識の奥には、つい先ほど現れたばかりの《氷晶嵐舞ダイヤモンドダスト》が、まるで重い氷塊のように静かに鎮座している。


「じゃあ、行くぞ。くれぐれも俺の後ろから出てくるな」


「モモ……(わかった……)」


 扉が軋みを上げて開く。

 ボス部屋は広い円形の闘技場のような空間だ。

 足元に刻まれた古い魔法陣。天井は高く、中央に立つ影を上から照らす光が、ぼんやりと揺れている。


 そこにいたのは……牛頭の巨躯。

 鍛え抜かれた筋肉に鉄鎧と革帯。巨大な戦斧を片手で軽々と支えている。


《ミノタウルス・ジェネラル》


 Bランク、十階層のランダムボスの中では上位に位置する強敵。

 だが誠司にとっては、別の意味で“当たり”だった。


「……運がいいな」


「モモ?(いいの?)」


「あいつは肉がうまい」


「モモッ!(いいやつ!)」


 《ミノタウルス・ジェネラル》が咆哮を上げ、突進してくる。

 足音だけで床が揺れ、壁の石片がぱらぱらと落ちた。


 誠司は前に出る。刀にはまだ手を添えない。

 ただ、片手を静かに掲げた。


「《氷晶嵐舞ダイヤモンドダスト》」


 低く、短い詠唱。

 次の瞬間、空気そのものが変質した。

 きらきらと白い粒子が生まれる。粉雪とも氷の砂ともつかない微細な氷晶が、息をする間もなく空間一帯へ広がった。


 本来なら猛烈な冷気が奔るはずだ。

 だが誠司は“加減している”。

 代わりに降りたのは、温度ではなく“静寂”そのものだった。


 音が、色が、温度が静かに一段落ちる。


 《ミノタウルス・ジェネラル》の巨体に、氷晶がまとわりつき、皮膚の上で、鎧の隙間で、筋線維の間で細かく、細かく“優しく削るように”凍りついていく。


 パキン、と乾いた音。


 ミノタウルスの動きが止まり、そのまま氷の像へと変わっていった。

 床も、壁も、吐息の霧さえも、瞬きするほどの時間で淡い冬景色になった。


(……手加減してこれか……)


 誠司自身がわずかに息を吐くほど、制御には神経を使っていた。


 誠司が指を軽く鳴らす。


 ……砕けた。


 氷像となった《ミノタウルス・ジェネラル》が、音もなく無数の氷片へと崩れ落ち、血の霧さえ完全に凍結され、粉雪のように散った。

 残ったのは、ドロップされた魔石と巨大な肉塊、そして淡い土の魔力を帯びた繭のような物体。


「モモモ……(……これで“かげん”……?)」


 モコは口をぽかんと開けたまま、きらきらと輝く氷の世界を見渡していた。


 やがて氷は時間とともに溶け、何事もなかったかのように石造りの部屋が戻っていた。


 誠司は淡々と魔石と肉を拾い上げた。


「……いい霜降りだな」


「モモッ!(おいしそう!)」


 分厚い脂と赤身のバランスが絶妙な極上肉。

 触れただけで、豊富な栄養と魔力がぎっしり詰まっているのがわかる。


 そして、最後に残った“繭”。


「これは……?」


 掌サイズ。

 柔らかい半透明の膜に包まれ、内部では淡い土色の光が、脈のようにゆらゆら揺れていた。


 手に取った瞬間、どくん、と心臓に似た脈動が指先から腕へ微かに伝わる。


「モモ?(たまご?)」


「……卵にしては魔力の流れが妙だな」


 誠司は《解析収納》を起動した。

 情報の網が繭を覆い、魔素構造を読み解き……読み解く“はず”だった。


 だが、しばらく待っても、視界に現れた情報は名前と魔力系統分類のみだった。


名称:地脈胎糸ちみゃくたいし

構造:不明

用途:不明

魔力系統分類:土属性

危険性:判定不能

起源:不明


「……は? また“これ”系かよ……」


「モモ?(また?)」


 誠司はこめかみを押さえて、深く息を吐いた。

 解析できなかった素材など、氷術士になってから数えるほどしかない。

 その数少ない“わからないもの”のリストに、また一つ加わった。


(……これ、絶対面倒なやつだ)


 心の底から確信していた。

 とりあえず、《収格納》の隔離層へ慎重にしまい込む。未知素材の基本は“触れない・混ぜない・刺激しない”。


「肉は持ち帰る。繭の正体は……まぁ、帰ってから考える」


「モモ!(おにく〜!)」


 転送陣が起動し、足元から光がせり上がる。

 次の瞬間、十階層のボス部屋は光に溶け、地上の転送広間へと切り替わった。



 冒険者たちの視線が一斉に誠司たちに向けられる。

 今日も地上の転送陣の周りには人が多い。

 噂の「イケオジ」と「もふもふウォンバット」を一目見ようと集まった者たちが、遠巻きにこちらを見つめている。


「……また増えたな」


「モモ……(みてる……)」


 モコが小さく体を縮める。

 誠司は何事もないように歩き出し、ぽん、と軽く背中に手を置いた。


「気にするな。どうせ、すぐ飽きる」


(……たぶん、飽きない)


 そんな確信めいた予感があったが、わざわざ口にする必要もない。

 その日のダンジョンはそれでおしまいだった。



 帰宅後、夕飯前のひととき。

 誠司は意識を沈め、《収格納(ストレージフィールド)》の最奥。自分専用の“私設書庫”へアクセスした。


 無骨な戦闘装備とは真逆の、静謐な空間。

 棚には、異なる時代・分野の書籍や資料が膨大に並んでいる。


 ダンジョン階層構造の研究書。

 過去のスタンピート記録。

 古代文明の断片資料。

 そして、氷術士に関するわずかな文献まで。


 誠司は今日気になった事柄を意識の中に並べていく。

 氷術士/攻撃魔法/氷晶嵐舞ダイヤモンドダスト

 地脈胎糸ちみゃくたい黒淵核石こくえんかくせき


 それらのキーワードを静かに念じると、検索術式が起動する。

 棚から棚へ光の粒が走り、条件に合致する書物がひとりでに開き、頁がめくられていった。


 ……だが、すぐに違和感が募る。


 氷術士の項目には、補助魔法・拘束術・結界術ばかり。攻撃魔法に関する記述は、一行たりとも存在しない。

 《氷晶嵐舞ダイヤモンドダスト》という語に至っては、“古代の大魔導師が残した痕跡的な記録”として、名だけがかろうじて登場する程度。


 そして《地脈胎糸ちみゃくたい》。


 こちらは資料自体が、完全に空白だった。


 関連しそうな魔素変質の研究書にも過去の魔核資料にも、上位土属性の文献にもかすりもしない。


 まるで「この世に存在しなかった」かのように。


(……黒淵核石のときと同じだ。 “どうしても情報が噛み合わない”タイプの代物だな)


 誠司は静かに息を吐き、書棚の光が次々と消えていくのを見つめた。

 こめかみを指で軽く揉みながらぽつりと呟く。


「……答えはすぐ出ないか」


 私設書庫の静寂が逆に重く胸に沈んでいった。


 氷術士が攻撃魔法を使えるようになった理由。

 魂契約が引き起こす予想外の変化。

 黒城玲花に渡した黒淵核石。

 そして、今日手に入れた地脈胎糸。


 点と点はあるのにまだ線にならない。


 「……まぁいい。モコに変な影響が出ていないだけマシか」


 意識を現実に戻すと、部屋の扉の向こうから甘い香りが漂ってきた。

 焼き上がったばかりのミノタウルス・ステーキと、芳子特製のソースの匂い。


「モモーーッ!モモーーッ!(ごはんー! おにくー!)」


 廊下の奥から、弾むような声が響く。

 かつてモコは野菜と果物しか食べなかった。

 だがある日、誠司が「味見だけでも」と差し出したA級魔獣の肉を、恐る恐る、ちょこんと齧った結果……


 今では“ボス級の極上肉”だけは喜んで食べるという偏食(?)に進化していた。


(……普通の肉は食べないくせに、ボス肉は食うんだよな。贅沢なやつだ)


 誠司が立ち上がると、廊下へ出る前に廊下の影が揺れた。


「モッ……モッ……モモモッ……!(にく……にく……さいこうのにく……!)」


 モコが出迎えの“謎の踊り”を始めていた。

 左右に身体を振り、前足を交互に上げ、リズムよく尻をぷるぷるさせる……。


 もはや儀式である。


「ほらほら、モコちゃん。あまりはしゃぎ過ぎると転ぶわよ」


 エプロン姿の芳子が笑いながら声をかける。


「モモッ!(はやくー!)」


「……まずは手を洗え」


「モモ……(はーい……)」


 相沢家の夜は今日も平穏だった。

 だが、その裏側で、誰も知らない世界の“前提”が少しずつ軋み始めていた。


 それに気づいているのは、今のところ……


「モモモモッ……モフッ!モフーン!(にくにく……にく……にくぅん!)」


 肉を待ちきれず、全力で尻を振りながら謎の踊りを踊る一匹の丸い獣(気づいてる⁉︎)と、


「……お前は本当にそれでいいのか」


 それを横で見て、静かに呆れる一人の人間だけだった。

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