第21話 商談と依頼 2

 倉庫の扉をくぐると、冷たい金属音と魔力冷却装置の低い唸りが響いていた。

 赤坂三郎商店の誠司専用倉庫。

 防音、温湿度、魔素濃度、すべてが国家研究所級の管理環境だ。


 マリアの指示で白衣姿の十名ほどの作業員が整列し、作業責任者が一歩前へ出る。


「相沢様、本日もよろしくお願いいたします。検品、開始!」


 号令と同時に台車が滑るように動く。

 誠司は無言で前に出て、手首の収納腕輪を軽く弾いた。青白い光の渦が開き、整然と束ねられた素材が次々に出現する。


 角度も向きもすべて揃った角材状の魔獣骨。血痕ゼロ。

 膜を傷めていない完全体の翼皮。

 魔栄樹の樹液は密閉瓶ごと温度帯別に並べられ、結晶化した魔導塩は層を崩さぬまま板状のまま。

 鉱石は脈目ごとに箱が分かれ、識別札には脈角・硬度・魔導濃度が数字で打たれている。


「……っ」


 マリアが息を呑む。

 “収納”というより、“作品”の出庫。視覚的に最短で検品が終わるよう計算され、美しい。

 隣で作業責任者がぼそりと漏らした。


「……毎回思うが、“まだある”んだよな、ここから」


 誠司は頷き、さらに出す。

 魔核、大・中・小。

 深層植物“月光ゼラ”の乾燥花。

 希少金属“蒼鉄”,薄板ロール。

 作業員が指示なく動き、ラベルを貼り、重量と魔力値を端末へ流し込む。

 マリアはひたすら判定。僅かな欠け、微細な魔素ひずみ、採取日時の妥当性、どれも許容範囲。むしろ最高値が並ぶ。


「……っ」

 マリアが小さく息を飲む。


 その場にいた作業責任者が思わず声を漏らした。

「相沢様、これは……まるで展示品レベルですな」


「普通のA級パーティーでも、この品質で揃えるのは不可能だ……」


 マリアは端末にデータを入力しながら、視線を外せなかった。

 彼の“収格納”は単なる保管ではない。


「……平均Aランク以上。状態、極めて良好。

 ……これはもう……職人が泣いて喜ぶレベルです」


 彼女は眉をわずかに上げて誠司を見る。

 だが、彼は興味なさそうに「そうか」と一言だけ。


(この人……本当に金や名誉に興味がないんだ……)


 マリアは内心で呆れつつも、どこか安心していた。

 欲にまみれた冒険者たちを見続けてきた彼女にとって、

 この“無欲の怪物”は、危険でありながらも清廉な存在に思えた。



 すべての素材を並べ終えたあと、作業責任者が確認を終え、控えめにマリアへと声をかける。


「マリア様、これで全品でしょうか?」


 マリアが誠司を見る。

 「以上で……」


 誠司がふと、指を止めた。

「……そうだ、忘れていたな」


 誠司が小さく呟き、再び腕輪を弾く。

 青い光が走った瞬間、空気が一変した。


 現れたのは掌大の真紅の鉱石。


 焔核石えんかくせき


 見る者の心を飲み込むような幻想的な輝き。

 火と氷、相反する二つの属性が共存する奇跡の鉱石。


 倉庫全体が静まり返る。

 マリアの端末が異常値を示して震えた。

「し、信じられません……この反応値……測定限界を突破してる……!」


 作業員の一人が恐る恐る口を開く。

「こ、これは……本物ですか?」

「たぶん」

 誠司は肩をすくめた。


「ど、どこで入手を!?」

「出た場所は言わないほうがいい。関係者が困る」


 その言葉にマリアは一瞬だけ息を呑み、そして深く頷いた。

「……承知しました。こちらはオークション形式での査定にいたします」

「構わん。すべて君に任せる」


 マリアはゆっくりと息を吐いた。

 この人はやはり“常識”の外にいる。



 検品終了後。

 マリアは買取室で査定報告書をまとめ、誠司に提示した。

 数字を見た瞬間、彼はわずかに眉を上げる。


「……悪くないな」


 その額は、一般家庭の数十人分の生涯収入を超えていた。


「……相沢様、少しは驚いてください」


「慣れた」


 その淡々とした一言に、マリアは思わず笑ってしまう。

 どこか安心できる不思議な人。それが相沢誠司。

 マリアの心臓が静かに高鳴る。


 マリアは背筋を正しながら、静かに言った。

「相沢様。ここまでの品質と量を扱わせていただけるのは光栄です」


「こちらこそ。……マリアさん、今日はもうひとつ頼みがある」

 誠司が書類を閉じる。

「モコ用の特注の専用ベッドを作りたい。自宅用とダンジョン・シェルター用。試作品も必要だ」


 マリアは息を呑んだ。


 “特注”という言葉にかつての記憶がよみがえる。


 5年前。マリアがまだ学生だった頃。

 誠司から会社に依頼された“個人用シェルター”の作製。

 それは国家レベルの職人たちを動員して挑む、前代未聞の案件だった。

 そして、提供された素材のリストを見た瞬間。

 誰もが、目を疑った。


 深層五十階層以降でしか入手できない、超希少素材の山。

 その量、その品質、その魔力密度。

 目にした老舗の親方たちは、言葉を失い、やがて静かに震えた。


 ついには、赤坂三郎商店全体を動員する大事業となる。

 納品が終わったあとも、数ヶ月のあいだ代表電話は鳴り止まなかった。

 職人筋や取引先からの問い合わせ。

 「少しでいいから、分けてほしい」

 そんな“素材口利き”の依頼が、途切れることなく続いた。


 あのとき、マリアは心に誓った。

 この人の依頼だけは、絶対に断らない。



「仕様はこうだ」

 誠司がタブレットを渡す。

 そこには構造設計、素材一覧、魔法加工条件までが詳細に記されていた。


 主素材:ミスリル繊維、ヒュドラ革、地竜の甲殻粉末、精霊木の樹皮、癒土結晶。

 副素材:星糸スターフィラメント、白銀羊毛、炎晶麻布、霜華粉末。

 これらを“ふかふかの寝心地”に仕上げるという狂気の仕様。


 マリアの喉が乾く。

「これ……この分量、供給できる業者は国内にほとんど……」


「素材はすべてこちらで用意する」


 誠司がそう言って、再び腕輪を弾いた。

 光の渦が収まり、床一面に高位素材の山が出現する。


 倉庫内が一瞬、静寂に包まれた。

 誰もが息を呑み、言葉を失う。


「試作分も含めて渡しておく。足りなければ言ってくれ」

「……は、はいっ!」


 その場の全員が、無意識に姿勢を正していた。

 あまりのスケールに、もはや言葉が出ない。


 マリアはようやく声を絞り出した。

「……相沢様、本当に、いつも常識を置いてこられるのですね」

「普通にやっているだけだ」

「(その“普通”が、もうバケモノなんですよ……)」


 心の声を押し殺しながら、マリアは深く一礼した。

「全力でお作りいたします」

「頼む。マリアさんに任せる」


 その一言にマリアの胸が高鳴る。

 信頼。

 これほどの人物に“頼む”と言われることが、どれほどの栄誉か。



 報告を受けた社長・赤坂三郎が、即座に会議を招集した。

 重厚な木製テーブルの上に設計資料を並べ、ゆっくりと口を開く。


「……よし、この案件を正式に社内最優先プロジェクトとして立ち上げる。

 名は《Project MOCO-LUX(モコラックス)》だ!」


 その場にいた幹部たちがどよめく。

 “LUX”ラテン語で「光」、“Luxury”と“Luck”を掛け合わせた造語。

 誠司の従魔・モコを象徴する、柔らかな輝きを意味していた。


 三郎はマリアに視線を向ける。

「マリア、お前が総責任者だ」

「……承知しました。全力で成功させます」


 若き鑑定士の瞳が燃えるように輝く。

 胸の奥に広がるのは、誠司への尊敬と少しの高揚。



 そのころ、エントランスでは誠司とモコが帰り支度をしていた。

 モコがそわそわしながら尋ねる。

「モモモモモ……(マリア、なんか目がキラキラしてた)」

「仕事が好きなだけだ」


「モモモ!(でもちょっとこわかった!)」

「彼女は真面目なんだよ」


 誠司は軽く笑い、SUVのドアを開ける。

 モコが助手席に飛び乗り、尻尾を揺らした。


「モモ!(ベッド、たのしみ!)」

「……お前、結局いらないって言ってなかったか?」

「モモモ!(つくるなら、ねる!)」

 その無邪気さに、誠司の口元がほころぶ。


 車が走り去る。

 後ろでは、三郎とマリア、社員たちが深々と頭を下げていた。



 その直後。

 赤坂三郎商店の最上階、会議室では再び声が響いた。


「至急、プロジェクトチームを編成せよ!」

「素材管理班、魔導加工班、職人連携班をそれぞれ設置!」

「本件は極秘。相沢様案件として最高機密扱い!」


 会議の熱気の中でマリアがそっと呟いた。


「“モコラックス”。

世界で一番やさしいベッドを作るプロジェクト。

必ず、完成させてみせます」


 彼女の声に、誰もが無言で頷いた。



 その頃。

 街外れの静かな道を、黒いSUVが走っていた。

 助手席でモコが、さっきの出来事を思い出してむにゃむにゃ言っている。


「モモ……(マリア、いいひと)」

「仕事はできる」

「モモ!(それ、せいじの“ほめ”!)」


 誠司はわずかに笑い、ハンドルを切る。

 家が見える。

 縁側には芳子の姿があった。

 彼女はいつものように穏やかに手を振っている。


 在庫は軽くなった。

 その分、心も少し軽い。

 次に満たすのはモコの寝床だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る