第20話 商談と依頼 1
秋のやわらかな光がリビングのガラス窓を透け、朝の食卓を照らしていた。
トーストの香ばしい匂いと、芳子が煎れたコーヒーの湯気が静かに立ちのぼる。
誠司は新聞の経済欄を片手に、食パンを半分ほど食べたところで口を開いた。
「今日は、《
「モモ? モモモモモ!(ベッド? いらない! 一緒に寝る!)」
モコがテーブルの端から丸い目でぴょこんと顔を出す。
灰色の毛を揺らしながら、誠司の膝の上に飛び乗った。
「……いや、必要だ」
誠司はコーヒーを一口すする。
「自宅用とダンジョン用のシェルターに置く用。寝具は環境ごとに使い分ける。これも体調管理の一部だ」
「モモ……(むぅ……)」
「不満そうだがどっちにしても作る」
芳子が笑いながら言う。
「まぁまぁモコちゃん。専用ベッドなんて、愛されてる証拠よ。楽しみねぇ」
「モモ!(……そうなの?)」
「そうだ」
誠司が淡々と答えると、モコは一呼吸おいてから満足げに頷いた。
⸻
食後、誠司は書斎に入り、《
鉱石、魔核、魔導結晶、植物素材、魔物の素材……。
近ごろはダンジョン業務や“日課の散歩”での収穫が多く、収納容量の一部が埋まりつつある。
そろそろ整理するにはちょうどいい。
売却先は大きく3つ。
国・民間・個人。
買取価格だけなら民間が一番高い。
誠司がいつも利用しているのは、街でも有名な老舗。赤坂三郎商店。
理由は単純だった。
「家から一番近い」からだ。
複数の業者に分けて売る冒険者も多い。価格競争のためだ。
だが誠司にとっては、そんな手間をかける意味がない。
時間のほうが価値があるからだ。
⸻
午前10時。
誠司とモコは黒のSUVに乗り、赤坂商店の本社へ向かった。
車窓を流れる街路樹は秋色に染まり、道行く人々が穏やかに歩いている。
モコは助手席の特注の専用座席でおとなしくしていたが、信号待ちのたびに顔を上げては、外の景色を見てはしゃいでいた。
「モモモモモ!(あそこにぱんや、おいしかった!」
「帰りに寄るか」
「モモモ!(やった!)」
車内にはどこか柔らかな空気が漂っていた。
⸻
やがて、赤坂三郎商店の本社ビルが見えてくる。
外観は重厚な石造りで、ガラス壁面に金のエンブレムが輝いていた。
玄関前には高級車が数台並び、ロビーには制服姿の社員たちが整列している。
「……またこれか」
誠司はため息をついた。
車を降りた瞬間、スーツ姿の初老の男性が一歩前に出る。
「相沢様! 本日はお越しいただき誠にありがとうございます!」
深々と頭を下げるのは、社長の赤坂三郎。
その後ろには幹部たちが勢揃いしていた。
「三郎さん。こういうのはやめてくれ」
誠司がやや面倒そうに言う。
「いえいえ、我が社が今日あるのは、すべて相沢様のおかげでございます!」
三郎の声は真剣そのものだった。
「30年前、我々はただの小さな商店でございました。
あの日、初めて相沢様に素材をお持ち込みいただいた日を、昨日のことのように覚えております。
あの取引がなければ、今日の我が社はございません!」
頭を下げる社長の姿にモコが目を丸くした。
「モモ……(せ、せいじすごい……!)」
「すごくない」
「モモモ!(かっこいい……)」
誠司は苦笑しながら、案内されるまま社屋の奥へ進む。
⸻
会社の自動ドアが音もなく開いた。
瞬間、空調の風と一緒に、張りつめた空気が流れ出す。
受付カウンターの向こうで、制服姿の女性たちが一斉に立ち上がった。
「お、おはようございます、相沢様!」
頭を下げるその動作に無駄がない。訓練された動き。いや、それ以上に“恐れ”と“敬意”が混ざっている。
「モモモ(なんか、きもちいい)」
腕の中のモコが丸くなって呟く。
「勘違いするなよ」
誠司は低く答え、表情を変えずに歩を進めた。
案内されたのは彼専用の買取室。
壁は淡いグレーで統一され、過剰な装飾は一切ない。
だが、木の温もりを残した机や棚の配置、光の角度、空調の流れまですべてが“相沢誠司”という人物を理解した上で設計されている。
無機質なのに落ち着く。静謐なのに威圧感がある。
モコが小首を傾げた。
「モモ(ここ、においもきれい)」
誠司は軽く目を細める。
「……だろうな。余計なものはひとつもない」
応接ソファに腰を下ろしたところで、扉が軽くノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、一人の若い女性だった。
金色の髪がゆるやかに波を描き、動くたびに光を受けてきらめく。
透き通るような青の瞳が印象的で、白いシャツに黒のベスト、膝下丈のスカートという簡素な制服姿でも、その均整の取れた肢体は隠しきれない。
立ち姿ひとつで空気が変わる。まるでスーパーモデルがランウェイに立ったかのようだった。
「おはようございます、相沢様。ようこそお越しくださいました。本日もどうぞよろしくお願いいたします」
彼女は完璧な笑みを浮かべ、上品に一礼した。
赤坂マリア。
社長の孫娘にして、赤坂商店の次期社長候補。
そして、20歳でA級鑑定士資格を取得した天才でもある。
その実力は確かだが、もう一つの側面を社内の人間はよく知っている。
《無類のおじさん好き》
彼女にとって、40代から50代は“花盛りの黄金期”なのだという。
経験と落ち着き、渋みと包容力、そしてスーツ越しに見える逞しい前腕。そんなものが全部詰まった年代。
若手社員がいくらアプローチしても、彼女の目は一切揺れない。
そして今日の来訪者。
相沢誠司。
肌の艶や張りはどう見ても三十代後半。
だが、その所作と眼差しには、年月を重ねた男の静かな色気があった。
はじめて誠司と出会った瞬間。マリアの“おじさんセンサー”は見事に振り切れた。
あの頃はまだ幼くて、恋という言葉すらよく知らなかったのに、胸の奥がきゅっと熱くなって、世界が少しだけ明るく見えたのを覚えている。
今思えば、あれが恋のはじまりだった。
⸻
誠司が軽く顎で示した。
「こいつがモコだ。よろしく頼む」
マリアは目を輝かせた。
「まぁ……この子が噂のモコちゃんですね!」
「モモ!(はじめまして!)」
「なんて愛らしい……!」
次の瞬間、マリアは反射的にしゃがみ込み、モコを抱き上げ、そのまま胸にぎゅっと抱きしめた。
「モモモモモッ!?(く、くるしいっ)」
ふかふかの金髪と豊かな胸に埋もれ、モコがもがく。
「マリアさん。モコの息ができてない」
誠司の低い声が飛ぶ。
「あっ、す、すみませんっ!」
慌てて離したマリアの頬が、ぱっと赤く染まる。
「つい……あまりにも可愛くて……」
誠司は肩で息をつき、軽くため息を漏らした。
「そういう癖、直したほうがいい」
「……はい(でも、天上の触り心地だった……尊い……)」
マリアの心の声は、隠しきれず顔に出ていた。
⸻
ひと段落ついたところで、マリアは端末を開き、真剣な表情に戻る。
「では、本日の買取内容をお伺いします」
「素材と魔核、鉱石、植物類。いつもの区分で。詳細はデータ転送済みだ」
「確認いたしますね……」
マリアは画面を見ながら、思わず息を呑む。
量が桁違いだ。
A級冒険者でもここまで安定して高品質な素材を納入できる者は少ない。
しかも、欠損や汚損が一切ない。
処理の仕方が完璧すぎる。
まさに“収格納士の理想形”。
(……やっぱり、この人は本物だわ。
以前、祖父と父が言っていた。“相沢誠司は桁が違う”って……その通りね)
マリアは心の中でそう呟き、目の前の男性を見つめた。
彼は無表情のまま、資料をめくっている。
飾らないのに、全身から静かな威圧感が漂う。
無駄のない動作。淡々とした口調。
それなのにどこか温かい。
危険な魅力。
彼女の頬がほんのりと紅潮する。
仕事中だとわかっていても、胸の鼓動が早くなる。
「……相沢様。いつもながら、すばらしい品質です」
「検品を頼む」
「はい。すでに倉庫の準備は整っております。こちらへどうぞ」
マリアが扉を開けると、モコが尻尾を振ってついていった。
その先にあるのは誠司専用の倉庫。
扉の向こうから、複数の作業員の気配が伝わってくる。
マリアが静かに手袋をはめ、振り向く。
その目には、先ほどまでの柔らかさはなく、
プロの鑑定士としての鋭い光が宿っていた。
「では、確認を始めさせていただきます」
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