第3話 稲刈りのち従魔登録
秋。
山の端が薄金に染まり、朝霧の中で稲穂が風に揺れていた。
相沢誠司は、麦わら帽子をかぶり、腰を伸ばして空を見上げる。
田に広がる黄金色の波が、朝陽を受けてきらめいていた。
刈り取りは順調。隣ではモコが軽快に動き回っている。
「モモモ~!(できた〜!)」
ふかふかの毛並みが風に光り、モコは得意げに尻尾を振った。
彼女の足元には、土が柔らかく耕されている。
《
モコが放つ土の魔力が、田をゆっくりと撫でていく。
掘り返された土は、まるで呼吸を取り戻したようにふかふかだ。
誠司はコンバインのエンジンを止め、ハンドルから手を離した。
腕にこびりついた汗を拭いながら、モコの作業を見つめる。
「……すごいな」
土の色が明らかに変わっていた。
深みのある黒。しっとりとした湿り気。
長年農業に親しんできた彼には、感覚でわかる。
これは“生きている土”だ。
「モコ、そのまま東側も頼む」
「モモ!(わかった!)」
返事の声は元気いっぱい。
モコが再び前足を地面に押し当てると、そこから温かな光が広がっていった。
数分のうちに広い一角が均等に耕されていく。
作業が終わるころには、田全体がやわらかく整い、肥沃な香りを放っていた。
誠司は腰に手を当て、静かに息をつく。
仕事柄、彼は効率と正確性を何より重視するが、この光景には理屈抜きの感動があった。
「……これだけの力をあんな小さな体でな」
モコは田の真ん中で振り返り、満足そうに胸を張る。
「モモ!(できた!)」
「ああ、完璧だ。モコ、助かったよ」
頭を撫でるとモコはふわりと毛を膨らませて嬉しそうに鳴いた。
「モモモ~(もっとやる~)」
彼は笑った。
モコが家に来てからまだ数週間。
だが、すっかり家族の一員になっている。
朝の散歩、風呂、畑。すべての日常にモコがいる。
⸻
稲刈りが終わると誠司はトラックの荷台に稲束を積みながら考えた。
(そろそろ登録を済ませておくか。)
従魔登録。
それは従魔を正式な「市民従属体」として届け出る制度だ。
登録がなければ、街中で魔獣は危険とみなされ、最悪、警備隊に討伐されても文句は言えない。
小型の魔獣とはいえ、モコは魔力を有した魔獣。
放っておくわけにはいかなかった。
「よし、片づけたら市役所に行くぞ」
「モモ!(行く!)」
モコがぴょんと跳ねた。
足元の泥が飛び散るが、すぐに土魔法で自身の体を浄化する。
まったくどこまでも綺麗好きだ。
首元で鈴の音が小さく鳴った。
誠司はふと、その音に目をやる。
モコの首には、小さな銀の鈴が揺れていた。
《やすらぎの鈴》。
それは芳子がわざわざ渡してくれたものだった。
「この子、よく頑張ってるじゃない。あんたの手伝いまでして」
田んぼの脇で休憩していたとき、芳子はそう言ってモコの頭を撫でた。
モコはくすぐったそうに目を細め、もふもふの毛を膨らませる。
「この鈴はね、昔あたしが使ってたものなの。音に癒やしの魔力が宿っててね、気持ちが落ち着くのよ」
そう言って、芳子は紐を通した鈴をモコの首に結んだ。
「これでどこにいても安心でしょ」
鈴が鳴るたびに柔らかい風が吹くような気がする。
モコもお気に入りらしく、時々自分で揺らしては嬉しそうにしていた。
「……よし」
誠司は手に付いた泥を払い、笑みを浮かべた。
「登録が済めば、あの鈴の音も胸張って鳴らせるな」
「モモ!(うん!)」
モコの鈴が、ちりんと明るく響いた。
⸻
昼下がり。
市役所の駐車場に黒曜色のSUVが滑り込む。
助手席ではモコが外の景色に目を輝かせていた。
「モモ! モモモ!(うごいた! はやい!)」
「はいはい、そんなに身を乗り出すな」
相沢は苦笑しながら窓を少し開けてやる。秋の風が吹き込み、モコの毛を揺らした。
誠司が庁舎に入ると職員たちがどよめいた。
“あの相沢主査"が、有給休暇中に来庁したのだ。
それだけで小さな騒ぎになる。
「え、相沢さん? お休みのはずじゃ……」
「うそ、あの人が仕事以外で庁舎に来るなんて!」
「なんか、かわいい毛玉抱いてない?」
モコを抱えた誠司は、いつも通り無表情のまま受付へ向かった。
だが、廊下のあちこちで小声のざわめきが起きている。
⸻
「相沢主査、本日は……?」
窓口担当の若い女性職員が恐る恐る尋ねる。
「従魔登録だ。こいつを正式に届け出ておく」
「こ、こいつ……?」
誠司が腕に抱えた毛玉が「モモ!( こんにちは!)」と鳴いた。
丸くてモフモフで瞳はビー玉のように大きい。
女性職員の顔が一瞬で蕩けた。
「か、かわいい……っ!」
「モ、モモモ!(よろしく!)」
「しゃべった!? いや、鳴いた!? なにこれ尊い!!」
周囲の女性職員たちが一斉に寄ってくる。
庁舎の空気が一瞬でゆるんだ。
ベテラン職員までもが思わずスマホを取り出す。
「ちょっと! この子、なに? 毛、すごく柔らかい!」
「触ってもいいですか!?」
「モモ!(いいよ!)」
モコが得意げに胸を張る。
彼女の癒しスキル《癒毛》が発動し、触れた職員たちが一斉に頬を緩めた。
「……なんか疲れが飛んだ……」
「これ、合法でいいんですか?」
「最高……」
廊下の奥から上司が顔を出した。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
「あっ、課長! 相沢主査が……従魔登録で……」
「相沢が? ははっ、珍しいな。おい、こいつが相棒か?」
「モモ!(そう!)」
課長が笑い、相沢もわずかに口元を緩める。
庁舎の一角が、まるで小さな縁日のような空気に包まれた。
⸻
「見事に安定してますね……まるで長年連れ添った従魔のようです。
それにこの土魔力の濃度……通常の土属性の個体の三倍以上ですよ」
「そうか」
「登録名は“モコ”でよろしいですね?」
「モモ!(うん!)」
受付の女性が思わず笑う。
数分後、金色の認定プレートが発行された。
《国営従魔登録 第G-78421号 モルボン・ウォンバット/モコ》
これでモコは正式に街の一員だ。
プレートをモコの首輪につけると彼女は誇らしげに鳴いた。
「モモ!(これ! かっこいい!)」
「ああ、似合ってる」
誠司は頷き、周囲の職員たちはその光景にほっこりとした笑みを浮かべた。
「……ところで失礼ですが」
受付の女性が少し戸惑いながら尋ねた。
「“魂契約”なんてはじめて聞きました。通常はテイマーや召喚士の方くらいしか従魔を持てないはずですが……」
誠司は淡々と答える。
「俺はテイマーじゃない。ただ縁があっただけだ」
女性は一瞬言葉を失い、それから小さく息をつく。
「……なるほど。契約に“縁”を感じるなんて、素敵ですね」
モコが胸を張って鳴いた。
「モモ!(そうだよ! 縁なの!)」
場の空気が柔らかく笑いに包まれた。
数分後。
相沢とモコの背が見えなくなった頃、受付の女性は端末の登録画面を閉じながら小さく呟いた。
「魂契約……該当項目無しか。ログが一部、読み取れない……?」
魔力反応の記録には、確かに“人と魔物の魂同調”を示す波形が残っていた。
けれど、認識コードの一部が欠損しており、どんなスキルかは判定不能。
(まるで古代式の契約魔法みたい)
彼女はためらいながら内部メモを残す。
《備考:登録者 相沢誠司。スキル分類不明。魂同調反応確認。要観察。》
そして、静かに画面を閉じた。
誰もいない受付にモコの明るい鳴き声の残響だけが微かに響いていた。
⸻
「……しかし相沢主査、有給中なのにご苦労さまです」
「手続きは思い立ったときに済ませるのが一番だ」
「は、はい……。ところで、次のダンジョン調査、またお願いできますか?」
「スケジュール次第でな」
いつも通りの淡々とした受け答え。
それでも、モコが隣にいるせいか、彼の声にはどこか柔らかさがあった。
帰り際、女性職員たちが再び手を振る。
「また連れてきてくださいねー!」
「モモ!(うん!)」
「お前……すっかり人気者だな」
「モモモ~!(でしょ〜!)」
モコは胸を張って廊下を歩く。
誠司の肩がわずかに揺れた。笑っているのだ。
⸻
庁舎を出ると夕暮れの風が吹いていた。
銀杏の葉が舞い、秋の香りが街を包む。
誠司はモコを助手席に乗せ、車を発進させた。
夕陽が車体を照らし、窓の向こうには収穫を終えた田んぼが広がる。
「……なあ、モコ」
「モモ?(なに?)」
「お前が来てから、いろいろ変わった気がする」
「モモモ!(いいこと!)」
「ああ、悪くない」
車の中に笑いと毛玉のぬくもりがあった。
彼の心に久しく感じたことのない穏やかさが広がる。
ダンジョンで拾った卵がもたらしたのは、ただの従魔ではなく、小さな幸福の形だった。
⸻
夜。
帰宅後、モコは湯船の縁で「モモモ~(しあわせ〜)」と気持ちよさそうに目を細めていた。
誠司は湯に浸かりながら、その毛並みを軽く撫でる。
「お前、本当に土の魔獣か?」
「モモ!(うん!)」
「どう見ても風呂好きの毛玉なんだが……」
「モモモ~(しあわせ~)」
湯気の中で笑いがこぼれた。
秋の夜は静かで、虫の音がやさしく響く。
明日はまたダンジョンだ。
定時に仕事を終え、定時に潜る。
変わらぬ日々の中に、変わらぬ相棒がいた。
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