第2話 パワハラ


従野ヒロカズ・友草エイジ・馬戸コウイチロウの場合。



 それを初めに見つけたのは、皮肉にも俺だった。

 それは、異様に首が長くなっていた。

 体を支えるのは、その首につながる社員証の紐のみ。

 体が弛緩したために垂れ流された汚物が、異臭を放っている。


 そして、目の前にぶら下がっているのが、よく知る人物だと認識した時、俺の口は叫び声を上げていた。



 『マチソワ』とは、フランス語のマチネとソワレの略で、それぞれ午前中と夕方・夜を指しているらしい。本来は劇やコンサートに使われているとか。


「へぇ、ウチのスーパーの名前、そんな意味があったのか。と言うか、フランス語だったのか……」


「そうらしいよ。まあ、これ、たまたまネットで調べて分かっただけなんだけど〜」


「ほ〜ん」


「っと、休憩時間終わるな。ヒロカズはこの後は売り場作り?」


「だなぁ。もう売り場も冬っぽくしないとな〜。エイジは会議か?」


「うん。その後はレジ応援かな」


 そうして俺とエイジは休憩室を後にした。


 実はフランス語だったという、小洒落た名前を冠しているここスパーマチソワは、その名の通りの営業時間で年中無休。関東地方で五十店舗ほどを展開している。


 俺がそんなスーパーに就職した理由は、単にここでしか採用されなかったからだ。

 実家母子家庭であまり裕福ではなく、高校卒業と同時に働くしかなかった。

 入社した当初は慣れない接客業で大変だったが、上司もパートのおばちゃん達もいい人ばかりで、就職できて良かったと思えた。

 

 何より、友草エイジという友人を得られた事は、この上ない幸福だった。

 彼は大卒で俺よりも年上で役職も持っていたが、不思議と馬が合った。

 彼がいたから、理不尽なクレームも、売り上げを上げるために悩んだ時もやって来れたのだと思う。


 そんな幸せな職場に陰りが見え始めたのは、新しい上司が来たからだった。

 このスーパーでは、店の業績と本人の実績により、数年単位で職場を移動することがある。それは、結果が良くても悪くても、だ。

 

 そんなわけで、俺が入社時からお世話になっていた上司が別店舗へ異動になり、新しく来たのが馬戸コウイチロウという男だった。


 馬戸はすぐに本性を表した。


 パワハラ、モラハラは当たり前。若い女の子のバイトにはセクハラまでしてくる最悪なヤツだった。


 そしてその被害を最も受けていたのがエイジだ。


 馬戸は俺とエイジの直属の上司だった。役職は課長。

 そして、高卒の俺は平社員だが大卒のエイジは主任の役職を担っていた。

 主任はパートとアルバイトの管理をしており、上司との板挟みになっている役職だ。

 パート・アルバイトからは不平不満を、上司からは売上のことについてどやされる。


 相当ストレスと疲労が溜まるだろう。

 

 スーパーの仕事は上司や部下とのやりとりだけではなく、そこにお客様とのやりとりや品質管理、業者とのやりとりもある。

 

 エイジはそう言った仕事も押し付けられ、疲弊。

 俺も手伝ってはいたが、どういうわけか馬戸はエイジをターゲットにしていた様で、エイジの負担は減らなかった。


 俺は労基に訴えようとエイジに提案し続けたが、彼は頑なにそうしなかった。

 後に聞いた話では、彼は奨学金の返済をしていたようで、労基に訴えて万が一、仕事を辞めなければいけなくなるのが、怖かったらしい。


 実際には転職すればいいだけなのだが、おそらく冷静な思考ができなくなっていたのかもしれない。


 そして、年末年始の繁忙期には俺も殆ど家に帰ることができなくなり、エイジを気にする余裕が無くなってしまった。 


 そして、遅い正月休みの後、朝イチで出勤した時に、俺はエイジの首吊り死体を見つけてしまったのだった。



 それから店は一時的に休業。再開したのは一ヶ月ほど経った後だった。


 その間に、エイジの葬儀も行われ、俺とこの店の店長も参列した。

 馬戸は、香典すら出さなかった。


 検視の結果、死因はおそらく、事故死とされた。

 一人で深夜までバックヤードで作業していたエイジがなんらかの理由で転んで、その拍子に首に下げていた社員証の紐が六輪台車の棚枠の上部に引っかかり、首吊り状態になってしまった。

 その際の衝撃で首に一気に負荷が掛かりエイジは意識を失った。そして結果的に首吊り状態となり、亡くなったらしい。


 エイジは一人で作業していたため、誰にも助けられることはなかった。


 おそらく、そこにはブラック職場の影響もあったはずだが、馬戸は悪びれることなく、反省も謝罪もせず、一ヶ月も店を休業させたエイジに対し暴言を吐き続けていた。


 俺は、どうしてもエイジの無念を晴らしてやりたいと思ったが、下手をすれば俺の方が加害者になってしまう。


 だから、いまだに何もできずにいた。


 だが──。


「従野さん」


「ん?」


 俺に話しかけてきたのは、高校生バイトの淵辺さんだった。普段は品出しの仕事をしている子だ。


「恨みを晴らしたいと思いませんか?」


「え?」


「もし、興味があれば、こちらにご連絡ください」


 淵辺さんは一枚の名刺を渡してくる。

 名刺は全面真っ黒で、そこに紫色の文字で『平仲キョウヤ』と名前が書かれており、職業には『呪薬師』と書かれている。

 連絡先にはLINEのQRコードのみ。

 怪しくて、めちゃくちゃシンプルな名刺だ。


「えーと、これは?」


「私もお世話になったんです。彼のおかげで虐めの主犯を学校から消すことができました。

 そのお礼に微力ですが彼のお仕事のお手伝いをさせていただいております」


「……本当に?」


「話を聞くだけでもいいかもしれませんよ? それだけならお金は発生しませんし」


「……考えておく」


「はい」


 それで、淵辺さんとの会話は終わった。

 その後は、夕方のお客様ラッシュでレジに入った為、忙しくてそのことはすっかり忘れてしまった。



 その日も、馬戸にドヤされ、一時間の残業をして帰ってきた。

 腹は減っているが、食事を摂る気力もなくベッドに倒れ込む。

 

 ふと、ズボンのポケットに何かが入っている事に気付く。中身を取り出してみると淵辺さんにもらった名刺だった。

 

「恨みを晴らす、か……」


 俺は、試しにスマホでQRコードを読み込んでみる。

 そして、なんとなくメッセージを送る。

 内容は『淵辺さんの紹介で名刺を貰いました。恨みを晴らせるって本当ですか?』だ。


 多分、この時の俺は相当、疲れていたのだろう。

 この、得体の知れない相手のラインに、メッセージを送ってしまうくらいには。


 返事はすぐに来た。


『はい。晴らせます』


『どういった方法でですか?』


『呪薬という薬を、相手に飲ませます』


『薬ですか?』


『はい。食事や飲み物に混ぜて飲ませてください』


『代金はどれくらいですか?』


『初回なら薬一つで、三万円です』



 三万……。

 そこそこ大きな金額だが、払えない値段ではない。

 俺の賃金は高くないが、使う暇がないので金は貯まっている。


 それなら、三万ぐらいなら、たとえ騙されたとしても、まあ、納得できる値段か……?


『欲しいです』


『では、ご都合の良い時間にお会いしましょう。場所は──』


 こうして、俺は怪しい呪薬師と会うことになった。



 呪薬師に会うのは、それから五日後になった。

 なんとか早番で仕事が終わり、残業も一時間で終わらせることができた。

 待ち合わせ場所は、駅近くのカフェ。少々狭いが、いい雰囲気だ。

 その奥の席に、彼はいた。

 黒い色のナチュラルマッシュの髪に、不健康そうな白い肌。黒瞳の目元には隈がある。

 それに紫を基準としたブランド物のジャージを着ており、耳にはピアスが多数空いている。どう見ても半グレというか、女殴ってそうな青年がそこにいた。


「……」


「!」


 帰ろうかと思ったが、バッチリ目が合ってしまったので諦める。

 ちなみに、時間帯のせいか店内には俺とその青年しかいない。

 後は、店主。


「えーと、呪薬師の……」


「はい。平仲キョウヤと申します」


 そう言って、微かに微笑む。女にモテそう。

 意外にも受け答えは丁重だった。


 俺は意を決して、彼の対面に座る。


「では、こちらを」


「え?」


 手渡されたのは、小さな包み紙。


「この中に、『呪いのタネ』という呪薬が入っています。これを恨む相手に飲ませれば、その人物がそれまで他人から買ってきた恨みが全て返ってきます。今まで行ってきた事の報いを受けるというわけですね」


「報いを……」


「はい。その効果はその人物によって異なります。大抵は人為的、心霊的、不運的等に分けられますが、何が起きるかは呪薬を飲んだ本人にしかわかりません。

 あくまで恨みが晴らされるだけで、薬自体に人の命を奪ったり、体調に何らかの影響を及ぼす効果はありませんので、ご安心ください」


「そう、ですか」


 俺は、『呪薬』を受け取った。


「では、三万円です」


「あ、はい」


 そして、料金を支払った。



 それから俺は、どうやって呪薬を馬戸に飲ませるか考えていた。

 お茶に? いや俺が淹れる習慣はない。

 それなら食事にでも入れるか?


 などと考えてはいるが、いつもの業務で忙殺され、時間だけが過ぎていった。


 それから三日後、ようやくそのチャンスが訪れた。


 その日は休日ということもあり、朝からずっと忙しく、休憩に入れたのは午後になってからだった。

 売り場で弁当を買ってバックヤードにある休憩室へと向かうと、ちょうど馬戸も休憩室にいた。


「お疲れ様です……」


「おう、お疲れ〜」


 馬戸は、大盛りの弁当とカップ麺を食べている。飲み物は黒烏龍茶を飲んでおり、申し訳程度に健康に気を遣っている様だ。

 すでに弁当はほとんど食べ終わっており、カップ麺に手をつけている。


「売り場はどうだ?」


「お客様の入りは、通常よりも多いですね。この後は天気が悪くなりますから──」


 その時、馬戸のスマホの着信音が鳴った。

 

「うわ、本部からだ。従野、飯みててくれ」


「あ、はい」


 そう言って、馬戸は休憩室を後にする。事務所に向かったらしい。

 

 目の前には、馬戸の食べかけの弁当とカップ麺。

 

 あれ? 今がチャンスじゃないか?


 馬戸はカップ麺のスープは残さず飲み切るタイプだ。

 それなら……。


 俺は周りを見る。

 幸いにも俺の周りには人はいない。いてもこちらに背を向けて座っているので、俺が何かしていても気が付かないだろう。

 皆、休憩室にあるテレビやスマホの画面、お喋りに集中している。


 そして、俺は『呪薬』を急いで馬戸のカップ麺に入れた。

 馬戸の箸でチョイチョイと混ぜると、『呪薬』はすぐに溶けて消えた。

 箸も元の位置に戻す。

 

 馬戸はそれから少しして戻ってきた。


「いやー、参った、参った。またあの件でうるさく聞かれたよ〜」


 あの事とは、エイジの事故の件だ。


 ああ、コイツ、本当にエイジの死をなんとも思っていないんだ。そう思うと、はらわたが煮え繰り返りそうだったが、俺はその感情をなんとか飯と一緒に飲み込んだ。


 馬戸は、何も気づくことなく食事を再開し、全てを平らげていた。


 俺も、何とか買った弁当を胃の中に詰め込んだが、味は全く分からなかった。



 それから何日かは何事もなかった。

 

 もしかして、詐欺だったのかと思い始めた頃、馬戸が店に来なくなった。

 店から何度も連絡を入れたりもしたが全く繋がらず、そのまま一週間が過ぎた。


 流石におかしいと馬戸のご実家にも連絡をしたが、そちらも行方は知らないらしかった。ちなみに、馬戸は独身で一人暮らしだ。

 彼のアパートにも店長はご家族と一緒に行ったみたいだが、馬戸本人はいなかったという。車もアパートの駐車場に残されていたとか。

 部屋には彼のスマホも財布も残されており、玄関には靴もあったらしい。

 

 異常な状態に、ご実家は捜索願いを出すことにしたという。


 そうして三ヶ月も過ぎると馬戸の復帰は不可能とみなされて、新しい上司が異動してきた。今度の上司はとても良い方で、職場のみんなはほっとしていた。


 馬戸は休職扱いで、まだ会社に在籍はしているが、そのうち解雇になる予定だと店長が言っていた。ただ、手続きが面倒なので、当分は現状維持となるらしい。


 これは、呪薬の効果なのだろうか? それとも、別の要因なのか?


 馬戸の行方がわからない為、それは俺にもわからないのだった。



  とある駅前に、ハレカフェという喫茶店がある。

 そのカフェに、女子高生と半グレにしか見えない青年が、向かい合って座っていた。


「馬戸課長は、どうなったんですか?」


「さてね。どうやらアパートでくつろいでいた時に何者かに誘拐されたらしい。

 アパートの合鍵も準備していたみたいだから、用意周到だよね。

 相手が誰であれ、依頼主の恨みは晴らされたのだから、まあ、良かったんだろうね」


「なるほど」


「では、これは紹介料」


「ありがとうございます。ではケーキでも頼みましょうか。奢りますよ?」


 そう言って、女子高生はもらった紹介料を、青年に見せる。


「奢ってくれるの? 俺が今しがた支払った紹介料で? なんだか複雑な気分なんだが……」


「では、チョコレートケーキ二つ追加で!」


「あ、メニューは決めさせてくれないのね〜」


 店の外では、カラスが笑うように鳴いていた。



 気がつくと馬戸は、手術台のような物の上に仰向けに寝かされていた。

 全裸で、四肢は固定されている。

 周りにはビニール製のカーテンが囲っており、床にはブルーシートが敷かれていた。

 ふわっとした消毒液のような、奇妙な匂いが鼻をつく。

 

「ふーん? コイツが今回のターゲット?」


「ああ。パワハラ、モラハラ、セクハラのハラスメント三昧。ついには部下を死に追いやったとか。裏取りもちゃんとしてる」


「じゃ、しゃーないわな。ムゲさんが依頼主に送るから録画しとけって言ってたな」


 そこには馬戸の他に、三人の人物がいた。

 彼らは声の様子と体格から、男だという事は分かったが、全身黒ずくめで顔も隠しているので、それ以外は分からなかった。


「お、お前たちは、一体……」


「んー。復讐代行って知ってる?」


「は? 復讐……?」


「あんた、かなり恨まれてんね。依頼では生死は問わないってさ」


「え? むぐっ!?」


 馬戸は猿轡を噛まされる。


「その辺はオシオキをしながら、一つ一つ教えてあげるよ〜。じゃ、まずは先端から行きますか〜」


 男の一人は金槌を構えている。

 他の一人はスマホを馬戸に向け、もう一人は次に使う器具を機械台の上から選んでいる。

 手術台の上には、ナイフやノコギリなどの不穏な工具が並べられている。

 それらの使い道に思い至り、馬戸は青くなる。


 そして、右手を開いた状態で固定され、人差し指に金槌が振り下ろされる。


「〜〜〜〜っ!?」


 痛みが馬戸の脳髄を走る。


「これは、依頼主Aさんから。罪状は──」


 そうして、お仕置きをされるたびに男たちがその理由を説明する。

 しかし、痛みに支配された馬戸には届かず、早々に馬戸は現実を手放した。



 その後、全ての復讐を実行された馬戸は、遠い地で解放された。

 だが、顔の判別もできないほどにボロボロで、言葉も話せなくなっていた上、身元がわかるものを何も持っていなかった為、身元不明で保護され、病院に搬送された。


 そして、最後まで身元が分からなかったので、旅行死亡人として無縁塚へと埋葬されたのだった。






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