勇者専門退職代行"ゆ~やめっ!"

琴葉 刀火

第1話 エクスキュリアの勇者

 気がつけば石造りの壁に囲まれた薄暗い部屋。 突如空に現れたのと同じ模様が描かれた床の上に、真っ黒な鎖でがんじがらめに拘束されていた。



「成功だ」「我らの理論は正しかった」「だが男だぞ」「王室が何というか」「些細な問題だ。要は聖剣が使えればいい」



 後にヒイロはこの時自分を取り囲んでいた老人たちが聖剣教会という教団の魔術研究員であることを知る。



 彼らは言う。


 この世界の名は”エクスキュリア”。


 魔族の侵攻からこの世界を救うため、ヒイロは勇者として召喚されたのだと。



 

 __________________________


 


 王が謁見の間から退出すると隣の広間に続く扉が開かれた。


 生演奏の音楽が流れだし、場は和やかなムードに包まれる。


 しかしヒイロの緊張と苦痛が解けることはない。部屋を移動する間にも大勢の大人達に囲まれてしまう。



「勇者殿!」



 最初に声を掛けてきたのは顎ひげを形よく整えた紳士だった。



「此度の戦、お見事の一言につきます。四鬼将の一人ドレイヴ・ザ=モウは数多の魔獣を自在に操ると聞きました。それをかくも容易たやすく破るとは」



 ヒイロは無言のまま曖昧な笑みを返した。

 

 ドレイヴは恐ろしい相手だった。確かに勝利を収めることはできたが味方の被害も甚大で、とても容易くとはいえない。


 だがここで戦を知らぬ彼らにそれを言っても仕方がない。


 

「ルドラン侯のおっしゃる通り。まさに神話の再来と言えましょう」


「聖剣の力、恐るべきものではありますがそれもヒイロ様のお力があればこそ」


「もっとももっとも。こう言っては何だが、ヒイロ様がいなければ聖剣など飾りに過ぎぬ」


「はは、これはお口が悪い。しかし事実ではありますな」



 髭紳士に追従するように、その後ろにいた貴族たちも口々にヒイロを褒め称えた。


 これだけの取り巻きを連れているのだから顎ひげ紳士の身分は貴族の中でも相当高いのだろう。


 しかしヒイロには髭の紳士がどこの誰なのか分からない。以前に会ったかどうかも曖昧だ。エクスキュリア世界の大人、特に貴族という身分の大人たちはみな同じように見える。


 髭紳士が給仕から受け取ったガラスの杯を掲げると、取り巻き貴族たちもそれに倣った。



 「この国の、いや人類の守護者に。乾杯!」



 仕方なくヒイロも杯を傾ける。


 ただしヒイロのグラスに入っているのは酒ではなく果実で味付けされた水。甘みは薄く、さして旨いものではない。

 

 こちらの世界ではヒイロの歳でアルコールを嗜むのは一般的なことのようだが、ヒイロは酒をあまり旨いと感じなかった。また仮に酒を飲んでも聖剣の加護が瞬時に酒を分解してしまうため、ヒイロが酔うということはない。


 微妙な表情で果実水をすするヒイロに、それならばと大人たちは贅を尽くした料理を進めてきた。


 だが美味しいからではなく珍しいからという理由で饗されるパーティーの料理も、ヒイロは好きになれなかった。


 

「ヒイロ殿、ジャロワ蛇の肝臓のパテはいかがですかな? シビレ蛙を好んで捕食するという大変珍しい蛇です」


「こちらはメロブ猪の苔胃だそうです。なかなかの珍味ですぞ」



 名前からして食欲をそそられない生物の用途の怪しい内臓を細切れにし、それを再び固めてありがたがる感覚はヒイロには理解できない。


 そんなものより町の屋台で売られている串焼きの方が余程おいしいし、さらに言えば母が市販のタレで作る豚の生姜焼きの方が何倍も旨い。


 それでも何か口にしなければまた妙なものを勧められてしまう。


 元の形が分かるだけマシだろうと仕方なく口に入れた細切りの肉は恐ろしく硬く、おまけに何の味もしなかった。



「そういえばカールグレイン侯のお姿が見えないようですな」



 髭紳士が口にした名前に、噛み切れない肉に悪戦苦闘していたヒイロはびくりと身体を強張らせる。



「おやおや。魔族との戦の勝利を祝う宴に南方境侯が不参加とは、いったいどうしたことでしょうなあ」



 ヒイロの様子に何を勘違いしたのか、でっぷりとした腹の貴族もいやらしい笑いを浮かべて調子を合わせた。その声に込められたわざとらしい響きに腹紳士の取り巻きたちが小さく笑う。


 

「功労者としての出席はカールグレイン侯といえど流石に気がとがめたのでは?」


「いやいや侯にそのような羞恥心が残っているかどうか」


「"勇者の友の家系”等というが、結局は勇者の威を借る狐に過ぎぬということでしょう」


「王に勇者にと、取り入るのだけは見事な家系ですからな」


「ところが最近ではそうでもないようですぞ」


「ほほう。つまり此度の不参加は何かヒイロ殿と顔を合わせたくない理由があるからだと?」



 カールグレイン領はエクスキュリアの大国ヴァルセイン王国の南方にあり、魔族の領地と国境を接している。当然そのような場所の統治を任された人物が無能なわけはない。


 四鬼将をはじめとする人外の者達の力を以てしてもこれまで魔族が侵攻できないでいたのは、ひとえに南方境侯レオノール・カールグレインの采配によるものだ。さらに知識も豊富で魔術の研究に関しても王国内でも指折りの人物であるという。


 遠征の間ヒイロはこのカールグレイン家に身を寄せていたわけだが、領主レオノールはヒイロの目から見ても高潔な人物で領民からも慕われていた。


 祝勝の宴で功労者の足を引っ張ろうとする髭貴族や腹貴族、その取り巻き達に比べればよほど好感が持てる。



 ただ、それとは別の所でヒイロはレオノールを苦手としていた。



「ヒイロ殿も侯の強引さには苦労なさったようで」


「勇者殿に娘を、と。あの熱意には頭が下がりますが。ただ少々手順をお間違えになったとか?」


「はは、若い娘の父親なら誰しも焦りますよ」


「ですがヒイロ殿もお優しい。笑って流されたと聞きます」


 

 そして彼らは示し合わせたように笑う。


 たしかにカールグレイン邸の寝所での一件は決して愉快な思い出ではない。


 だがヒイロの常識からすれば本人不在の場で誰かを悪し様に罵るのも同じくらいには不愉快であったし、そもそも遠く離れた遠征先での出来事をこの場の全員が知っているのもどうにも気持ち悪くてしかたがなかった。


 内心を押し殺してうつむき、いまだ飲み込めない口内の肉に悪戦苦闘するヒイロに顎髭紳士が切り出す。



「若き勇者殿にあらせられては我々の話など退屈でしょう。どうですかな、ここは年の近い者同士御一緒に話されては」



 一見気遣うような提案はしかし、ヒイロにとってはさらなる憂鬱の始まりだった。



「リシェル、来なさい」



 ずっと控えていたのだろう。髭紳士の言葉とともにヒイロと同じくらいの歳の淡い桃色のドレスの少女が現れた。


 

「ヒイロ様、お初にお目にかかります。リシェル・ルドランと申します」



 スカートの裾をつまみ優雅に礼をする令嬢の背後で髭が満足そうに頷くが、そこに腹貴族が割って入る。



「おやおやルドラン侯、抜け駆けはいけませんな。ヒイロ殿、ぜひ我が娘セリアにもお話を聞かせてやってください。お目にかかれるのを楽しみにしていたのです」



 腹貴族の娘なのだろう。今度は水色のドレスの御令嬢がスカートの裾をつかんで頭を下げた。



 レオノールの事を散々に言っておきながら、結局彼らのやることは変わらない。



 勇者の血からは勇者が生まれるのだという。そしてその勇者はヒイロと同じく聖剣を扱うことができる。


 だから、ということらしいが、ヒイロを婿に迎えたいという家は多い。


 弩の家のお誘いも熱心で、魔族と戦うことよりもむしろそちらが本命なのではないかと疑ってしまうほどだ。


 そんな「家」の期待を背負い、令嬢たちもまた何とかヒイロの気を引こうとあれこれと手を尽くしてくる。


 元の世界で同じようなことがあればヒイロだって困りつつも内心悪い気はしないのかもしれない。だが生憎とこれはモテているのとは違う。彼女たちはヒイロを取り込むことを「家」から期待されているだけだ。


 そしてヒイロにはこの「家」という考え方もまた理解しがたい。


 元の世界のヒイロは一介の高校生に過ぎず、結婚など遠い先の話であったし、ましてや家の繁栄など考えたこともない。


 人によってはこの状況も楽しむことができるのかもしれないが、残念ながらヒイロはそういう性格ではなかった。カールグレイン家の令嬢のように寝所で一糸まとわぬ姿で待ち構えられたり、泣いて慈悲を請われたりなどということが現実に起きればドン引きしてしまう。


 公になっていないだけで似たようなことをしたのはカールグレイン家だけではない。


 知らぬ間に寝所に潜り込む彼女たちは、ヒイロからみれば斬れば済む魔物などよりよほど恐ろしかった。

 


 ――――――――



 結局、ヒイロは長旅の疲れを理由に早々に自室へと退避した。


 嘘というわけではない。行軍で疲れは溜まっていたし、噛み切れないまま飲み込んだ肉が牛ほどもある大ガエルの膀胱だと知って気分はさらに悪くなった。


 部屋に備え付けられた豪勢なベッドにごろりと横になって天井を見上げる。


 清潔だが寝心地はいまいちだ。元の世界の自室の安マットレスと高反発枕が懐かしい。

 


「アスカ……」


 

 自然、口からその名がこぼれた。


 高宮たかみや 明日香あすか


 明るく元気で誰にでも優しいクラスの人気者。だけど本当は意外にやきもち焼き。


 ファミレスでの注文はいつも季節限定品で、好物はチョコミントのアイスクリーム。


 

 ――そんな、ヒイロの恋人。


 

 明日香との交際が始まったのは今から五カ月前。


 季節感を無視して暑くなり始めた五月の終わり、勇気を振り絞っての告白に、明日香は頬を染めて「いいよ」と頷いてくれた。


 そこから二カ月の間、ヒイロは幸せの絶頂だった。


 手の繋ぎ方、指の触れ方、一本の傘の持ち方。


 高宮さんではなくアスカ、渡瀬君ではなくヒイロ。


 二人でそう決めたはずなのに、人前でヒイロンやヒロロンなどと呼ばれれば嬉しいよりも恥ずかしさが勝つ。


 やがてチョコミントはヒイロの好物になって、クッキークリームは明日香のお気に入りになって。


 だがそんなずっと続くはずの最高の日々は唐突に終わりを告げる。


 七月の末、期末テストも終わりいよいよ始まる最高の夏休みに思いを馳せるヒイロたちの頭上、雷のような轟音と共に突如として天が裂けた。


 現れたのは夕焼けよりも赤い、禍々しい光を放つ魔法陣。


 

「なんだろ、あれ?」



 周囲の人と同じように呆然と空を見上げる明日香めがけて、魔法陣から幾条もの真っ黒な鎖が放たれた。



「きゃあっ!」


「アスカ、危ない!」



 なんとか割って入ることができ、鎖は明日香には届かなかった。しかしその代償にヒイロは不吉な鎖に身体を拘束されてしまう。


 足が、ふわりと地面を離れた。



「ヒイロっ!」



 明日香が叫ぶ、その声が遠ざかる。


 伸ばした指先は触れ合えず、彼女の泣きそうな顔だけが焼き付いた。


 

 ――――――――



 あの日から三カ月。


 以来ずっとヒイロは魔族との戦いを強いられ続けている。


 教会の老人たちによれば魔王を倒せば元の世界に帰れると言う。しかし、それは一体いつになるのか。



『ありがとうございます、勇者様』『何とお礼を申し上げたらよいのか』『ご恩は一生忘れません』


 

 ヒイロによって救われた者達は皆涙ながらに感謝の言葉を口にする。



 でも。



 その言葉に、一体何の意味があるんだろう。



 そこまで考えてヒイロは深いため息をついた。なんだか自分がとても嫌な人間になったような気分だ。


 ざわつく心を誤魔化そうと寝返りをうつと、頭の下で何かがくしゃりと潰れた音がした。



 またどこかの令嬢の恋文だろうか。


 うんざりしつつ手をやると、出てきたのは封筒にも入っていない薄っぺらな一枚の紙だった。



 不審に思って手に取ったヒイロはそこに書かれていた文面に思わず目を見開く。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 勇者、聖女の皆様に朗報です!


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 なんだ、これ?


 最後まで読んで、もう一度最初から最後まで読んで、それでもヒイロはぽかんと口を開くしかなかった。


 誰かの嫌がらせ? 何者かの懐柔?


 だがどれもいまいちピンとこない。


 なによりヒイロを戸惑わせたのは、そのふざけたチラシがで書かれていたことだった。




――――――――――――――――

 あとがき


 お読みいただき、ありがとうございます!

 楽しんでいただけたら是非、⭐💗コメント、よろしくお願いいたします。


 次回更新は明日の19:10頃を予定しております。

 

 ご来店、お待ちしております!

 


 

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勇者専門退職代行"ゆ~やめっ!" 琴葉 刀火 @Kotonoha_Touka

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