奴隷ごっこって何?

 時刻は宿の時計によると午後の六時半くらい。夕日が街を真っ赤に染めていた。

 街灯の明かりが徐々に灯り始めると、ハジマーリの町は昼間とはまた違った怪しげな雰囲気を纏い始める。


「何だろう? あそこだけ妙に賑わってるなあ……」


 ギルドへ向かう道すがら、ふと広場に人だかりが出来ている事に気付く。

 なんとなく気になって、人混みの中に入って行くと、


「こんな上玉、滅多に出ませんよ! 力仕事なんかには向きませんが、そこのお兄さんや、そこのお父さんの……」


 ちょっと文章にするのも憚られるような、ゲスな言葉の数々を、見るからにゲスな風体の男が大声で捲し立てている。

 男の傍らには、これまた見るからに奴隷といった風体の少女が座っていた。

 目隠しに猿ぐつわ、更には首輪に手枷に足枷に、と相当に気合の入ったコスプレイヤーでも、まずやらないようなフル装備である。


 そんな光景を目の当たりにした俺は、かつてFTOで流行っていた【奴隷ごっこ】という、趣味の悪いロールプレイを思い出していた。

 奴隷ごっこ。マスター役のプレイヤーが奴隷役のプレイヤーにエニーを支払い、主として公序良俗に反するような行為を要求する、という“ごっこ遊び”である。

 現在は運営から、明確に禁止行為、とされている奴隷ごっこだが、最盛期にはマスター役と奴隷役の仲介を請け負う【奴隷商人】を自称するプレイヤーまで現れ、広場など目立つ場所で堂々と奴隷の売買が行われるなど、なかなかに治安の悪い事になっていた。

 

「さて、どうするか……?」


 スルーしてギルドに向かおうかとも思ったが、FTOで禁止されている奴隷ごっこ(普通に人身売買か?)が、こんな目立つ場所で行われているという事実が少し引っ掛かった。

 死後の復活や転生の件もそうだが、FTOとの差異がどうしても気になる。


 俺は意を決すると、更に人混みの奥へと進んでいった。


「どうです、そこの旦那? ちょっと訳ありなもんで、目隠しと猿ぐつわをさせてますが、とんでもない美人ですぜ! 病気や外傷もありませんし……(以下略)」


 声を掛けられた男性は、露骨に怪訝な表情を浮かべていた。

 周囲の反応も似たような感じで、この世界でも(一応)奴隷の売買は下卑た行いという認識のようだ。


 耳をすますと、こんな会話も聞こえてくる。


「おい、誰か騎士団に通報しろよ?」

「無駄だって。連中の顧客名簿には、騎士団や教会のお偉いさんの名前も載ってるらしいからな。誰かが、とっ捕まえて突き出しでもしない限り、動いてくれないよ」

「うわっ、マジかよ……」


 どうやら、相当に闇が深い行いでもあるらしい。

 ただ一方で、


「おい、どうするよ? 確かに、ちゃんと顔は確認できないけど、上玉なのは確かだと思うぞ」

「でも大丈夫か? 訳ありなんだろ? 没落した貴族が身売りしたか、どっかで野盗に拉致られたか……」

「最初から、俺たちみたいな平民は眼中にないんだろうが、いくら上玉だからって、10万エニーは強気過ぎるだろ? 家一軒買える値段だぞ」


 どこからか、そんな会話も聞こえてくる。

 まあ、どこの世界にも、こういう輩は一定数……って、ちょっと待て!?


「10万エニー!?」


 思わず叫んでしまった。今の俺の全財産である。

 そりゃあ叫びもするよ……ね?


 ギロリッ!


 結果。周囲の視線が、一斉に向けられる。

 まるでゴミでも見るような目だった。


 いやあ、しまったなあ……。


 周囲の視線を一身に浴びながら、俺はただ笑って誤魔化す事しか出来なかった。

 そんな俺に、追い打ちをかけるように、奴隷商人が揉み手をしながら話し掛けてくる。


「どうです、妖精のお兄さん? 妖精の方でも、問題なく購入できるように……」

「いやいや、勘弁してくださいよ」


 作り笑いを浮かべながら、周りに聞こえるように、少し大き目な声で言う。

 我ながら実に情けない。

 後頭部をボリボリと掻きつつ、俺は奴隷商人の方に視線を向けた。

 その刹那、


「えっ……」


 俺の視線は、奴隷商人ではなく、少女の方に奪われてしまった。

 そのまま目が離せなくなる。

 何を言っても、言い訳にしかならなそうなので、正直に理由を言ってしまおう。

 少女が滅茶苦茶タイプだったのだ。

 もちろん(何度も重複になってしまって申し訳ないが)目隠しと猿ぐつわのせいで、顔をしっかりとは確認できない。

 美人だと思っていた女性がマスクを取ったら……なんて話もある。

 だが、俺の男子高校生としての勘が告げていた。

 この子は間違いなく、とんでもない美少女だ!

 銀色の髪に、(所々、汚れてはいたが)透き通った美しい肌、小柄な体躯ながら胸は相当に……って、いかんいかん。つい我を忘れるところだった。

 美少女だろうがなんだろうが、10万エニーなんて大金支払えるはずもないし、何より奴隷を買うなんてあり得ない。


「いや、でも……」


 少女がどういった経緯で奴隷になったのかは分からない。

 FTOでは、小遣い欲しさに奴隷役をしていたプレイヤーがほとんどだった(単にドMな人も多かったみたいだけど)。

 ただ、全身に拘束具をさせられている少女を見ていると、なんだか胸を締め付けられるような……そんな感覚があった。

 決して奴隷が欲しい訳ではない。これは誓って本音である。


 少女を自由にしてあげたい!


 この想いが、エゴや偽善というものである事は重々承知している。

 加えて言えば、俺には少女を養えるだけの金銭的な余裕もない。無責任だ。


「だけど、そうだとしても……」


 気が付くと俺は、フラフラと少女の方に引き寄せられていた。

 そして聞いてしまう。少女の悲痛な叫びを。


「オレガイレス、ハフヘヘクラハイ……」


 猿ぐつわのせいで、しっかりとは聞き取れなかった。

 でも、確かに『助けてください』と聞こえた!


「おい、静かにしろ!」


 奴隷商人が、少女を怒鳴りつける。

 手に持っていた鞭をしならせて、バチンッと音を鳴らす。

 その音を聞いた瞬間、俺の心は決まった。


 一度、預り所で預けていた薬草を受け取った俺は、それを道具屋で売り、その金で宿代として支払った50エニー分の補填をする。

 そして、もう一度、預り所へ向かい全財産を引き出す。


 薬草を道具屋へ持っていくだけで、疲労困憊で死にそうになった。

 これから10万エニー分の紙幣を持って、広場まで飛んで行かなければならない。


「はあ……はあ……」


 幸い、体の大きさの割にパワーはあるようだが(光の粒の浮遊効果だろうか?)それでも相当な重さではあったし、奴隷を買うという罪悪感もまた、俺の体にずっしりとのしかかっていた。


「はあ……はあ……」


 正直、何度も止めようと思った。

 それでも、少女の悲痛な叫びが、脳裏に焼き付いて離れなかった。



 NowLoading……



 再び広場まで辿り着くと、先程までと変わらず、奴隷商人の下卑た声が響いていた。

 奴隷商人の大声に混じって「貴族に奉仕させれば、良い稼ぎになるかもよ」「まあ、夜伽の相手としてならアリかな?」なんて囁きも聞こえてくる。

 俺は、覚悟を決めて叫んだ。


「俺が買います!」


 一瞬、広場がざわついた。

 そして周囲の視線が一斉に俺の方に向く(本日、二度目)。


「マジで引くわ……」「いや、あり得ないでしょ」「クソッ、先に買われた!」


 予想はしていたが、悪い意味で目立ってしまったなあ……。

 たまらず、愛想笑いを浮かべる俺に、


「おお、さすがにお目が高い!」


 奴隷商人が、気持ちの悪い笑みを浮かべながら言った。

 揉み手をしながら、俺に近付いてくる。


「どうぞ、10万エニーあるはずです!」


 俺は10万エニー分の紙幣を、ドサッとその場に置いた。


「まいどあり!」


 舌なめずりをしながら紙幣を数える奴隷商人。

 出来れば、もう二度と関わり合いになりたくないものである。


「確かに、10万エニーいただきましたよ」


 奴隷商人が、エニーの束をボロボロの革鞄に突っ込む。

 そして、少女の足枷を外し、丸めた紙きれを俺に手渡すと、


「残りの拘束具は、奴隷魔法と連動して解除される仕組みになってる。解除法は、その紙に書いてある通りだ」


 俺の耳元で囁いた。


「奴隷魔法!?」


 思わず叫んでしまう。そんな魔法は知らないぞ!

 一応、プレイヤーの自由を奪うデバフ系の魔法ならいくつかあるにはあるが、そのどれかを奴隷魔法と言い換えているのだろうか?

 俺は解除法の書かれた紙を一瞥した。そして驚愕する。


「いや、なんちゅう解除法だよ……」


 場合によっては、この場で拘束具を解除して少女を自由にしても良い、と考えていたのだが、


「野外じゃ無理だよな……」


 そういう訳にもいかなくなってしまった。


 まあ、解除の時に暴れられたりすると、今の俺ではどうしようもないし、何にしても、宿に戻るのが賢明だろう。


 俺は、少女をゆっくりと宿まで誘導した。

 道中、向けられる冷ややかな視線は……甘んじて受けよう。

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