#31

***


 自分で運転する東京の街は新鮮だった。どこにでも行ける。そんな自由さを感じながらも広大なサバンナのような東京に恐怖すら覚えた。アンダーグラウンドを知っているがゆえの弊害だ。東京は恐ろしい。悪辣で熾烈な街の歯車として働いていることを思い知らされる。おまえは善人ではない。健全で可愛らしい子たちが街中を歩いているのを見るたびにそう言われているような気になる。

 藤野組の事務所に到着すると地下の駐車場にひとりの男性が立っているのが見えた。私の車に近付いてくるその男性は頭を下げる。


「先生、紺野さんに使われました。車、お預かりします」

「……そう。ありがとう」


 私は鞄を持ち運転席から出る。昔の私なら断っていた。自分のことは自分でしようとしていたからだ。今ではこの世界はそうではないことを知っている。私がここで断れば彼の仕事を奪うことになるのだ。


 私は彼が車に乗ったのを瞥見してから事務所に繋がる階段を上がっていく。事務所に入るまえに煙草に火を点ける。深呼吸と紫煙を撒き散らしながら扉を開けた。がん!! 鈍い音が聞こえる。電話口で仕事中と言われたときから予想はしていた。だが、そこは想像以上の戦場だった。


「わるい、めい。手こずってる」

「……見ればわかりますよ」


 事務所に入ってきた私に気付いた紺野は柔和な眼差しの笑みを携え、ソファに足を組んで座っていた。静寂を孕んでいる紺野に対して事務所内は騒然としていた。紺野が座るソファ以外の家具は無惨に倒され、倒れたデスクの上で男性がひとり服を脱がされていた。脚を高く持ち上げられた男性は呻き声を上げながら、男性に背後から激しく腰を打ちつけられている。精液と尿の香りが漂う。


「……手短かにいこうか」


 紺野はそう言いながらソファから立ち上がる。スーツの胸元からサイコロを取り出した。レイプされている男性の元に鷹揚に近付く。


「賽の目転がすシンプルな博打だ。奇数が出たらキミの勝ち、偶数が出たら私の勝ち。キミが勝ったら借用書をシュレッダーにかけてあげよう。……私が勝ったら借金は倍だ」


 泣き腫らした男性は紺野を縋るような瞳で見つめていた。一人称を私にしたときの紺野はどんな瞬間よりも恐ろしい。


「さァ、女神はキミに微笑むかな?」 


 紳士的に笑う悪魔がそこにいた。ふらふらと軸が定まらない下半身をどうにか立たせた男は紺野からサイコロを握らされた。脅えるその姿は捕食されるまえの子鹿で、彼に運が向かないのは火を見るより明らかだった。借金がチャラになるか、倍額か。尻から精液を垂らし、自らのモノを勃起させた男は涙目でサイコロを床に落とした。からん、運命が音を立てて床を這った。


「……はい、お疲れさま。解散しようか」

「ま、まっ…!」


 サイコロの目は六を示していた。運命の女神は紺野に微笑んだ。神はいつだって強者に味方する。へたり、腰が抜けた男は床に座り込む。それを紺野の舎弟である数名の組員が脇を抱え、抱き起こす。煙草を咥えた紺野は床に落ちているサイコロを拾い上げ懐に仕舞った。


「なにがなんでも返済させろ。風呂に沈めてもいい」

「おら、行くぞ」


 紺野のその冷徹な言葉は絶対で、組員たちは男を引き摺りながら事務所を出ていく。呆気ない幕引きだった。紺野はひとつの命を簡単に掌握する。

 私は煙草を唇に挟みながら紺野に近付く。男に向けられていた温度のない瞳が弧を描いて穏やかなものに変わっていく。


「悪かった。見窄らしいものを見せて」

「……私とデートしたいです?」

「急にどうした?」


 麗人が首を傾げる。断られることなどありはしない、そう思っているであろうあざとい紺野の問い掛けに私は溜め息を吐き出した。そして紺野の前に手を差し出す。 


「サイコロを」

「………」

「紺野さんが勝ったらデートしましょ」

「勘がいい子は好きじゃない」


 私はその言葉にふわり、笑みを浮かべてしまう。紺野の柳眉が下がり小さな溜め息が私の頭上で吐かれた。紺野の懐からサイコロが出てくる。私の手に乗せられた賽の目。


「紺野さん、奇数? 偶数?」

「……アンタ本当に生意気になったな」

「選んで」

「偶数」


 私は勢いよくサイコロを床に落とす。再度、偶数の六が顔を出す。奇数が出るか、偶数が出るかは二分の一の確率だ。難しい計算式は要らない。出るか、出ないか。そして紺野はそれを意のままに操れる。出るか、出ないかではなく出せる⚫︎⚫︎⚫︎のだ。


「なにが入ってるんです?」

「鉛」

「……ヤクザってほんとくそですよね」 


 私はけたけたと笑いながら紺野にサイコロを返す。運命の女神など存在しないのだ。あるのはタネと相手を信用させるだけのハッタリ。


「こちらも仕事だから」

「さて。紺野さんの勝ちだから約束どおり今日のデート付き合いますよ」

「ひとつ言っておく。……アンタの両親に賽の目は使わなかった。この意味わかるか? アンタを拾ったのは運命だと思っているよ」


 ……あぁ、こいつはホントに悪魔だ。

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支配中毒者 枯 個々 @cocogare

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