第5話 エピローグ
祭りの日。
町は、年に一度の熱気に満ちていた。
法被に身を包んだ男たちの威勢の良い掛け声、
笛や太鼓の音が空気を震わせ、道端の屋台からは香ばしい匂いが立ち上る。
その喧騒の中心、白木の神輿を担ぐ男たちの輪の中に、
額に巻いた鉢巻からは汗が流れ落ち、灼けつくような陽射しが肌を焦がす。
肩には神輿の重さが、骨がきしむほどに食い込んでいた。
だが、拓也の顔に、もう迷いはなかった。
腰に固く締められているのは、源治が遺した、真新しい『一番締め』だ。
祭りの日の朝、斎藤に手伝ってもらい、初めて締めた。
藍染の布が肌に触れた時、まるで親父に背中を叩かれたような気がした。
不器用で、ぶっきらぼうで、けれど誰よりも温かい、親父の手の感触だった。
「ワッショイ! ワッショイ!」
地鳴りのような掛け声に合わせ、拓也も腹の底から声を張り上げる。
流れ落ちる汗も、肩の痛みも、不思議と心地よかった。
10年間、東京で感じていた孤独感は、この熱気の中に溶けて消えていく。
自分は、この町で、この人たちの中で、あの親父に育てられたのだ。
その事実が、今、何よりも誇らしかった。
* * *
神輿が神社の境内に奉納され、祭りがクライマックスを迎える。
男たちの熱狂と、それを見守る町の人々の安堵したようなざわめき。
誰もが、神輿の前に立つ神輿頭の斎藤に注目していた。
一本締めで、この祭りを締めるのだ。
斎藤はゆっくりと前に進み出ると、
集まった人々の顔を見渡し、大きく息を吸った。
だが、柏手を打とうとしたその手を、ふと下ろす。
そして、担ぎ手たちの輪の中にいた拓也を手招きした。
「拓也、こっちへ来い」
周囲が、一瞬どよめいた。
「源さんの息子だ」
「10年ぶりに帰ってきた……」
ひそひそと交わされる声が、拓也の耳にも届く。
場違いなのは、自分が一番よく分かっていた。
戸惑う拓也に、斎藤は力強く、しかし優しい目で言った。
「せっかく『一番締め』を締めているんだ、お前がやれ」
「えっ……、でも、俺は……」
「源治も、お前の本当の親父さんも、それが見たかったはずだ。
なぁ、みんな、それでいいよな!」
斎藤が周りを見渡してそう叫ぶと、どよめきは拍手と歓声に変わった。
男たちが
「そうだ!」
「やれ、拓也!」
と拓也の背中を叩く。
拓也は、込み上げる熱いものをこらえながら、ゆっくりと前へ進み出た。
そして、斎藤と並び立つ。
見渡せば、幼馴染の沙織が、老婆が、農家の男が、町中の人々が、
自分に温かい眼差しを向けてくれていた。
拓也は、腹の底から息を吸い込み、天を仰いだ。
「お手を拝借!」
拓也の一声が、場をキリっと締め上げる。
「よぉーっ!」
パパパン、パパパン、パパパン、パン。
空気を切り裂くような音が響く。
一本締めだ。
拓也は、集まった人々と共に、力強く手を打った。
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手と歓声が、拓也を包み込んだ。
見上げた空は、源治が染め上げた『一番締め』のように、
どこまでも深く、澄んだ藍色をしていた。
拓也は、亡き二人の父親に届けるように、心の中で静かに呟いた。
(ただいま。遅くなって、ごめん……)
その汗と涙に濡れた顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。
藍色の結び目は、固く、そして確かに、次の世代へと受け継がれた。
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