第2話 閉ざされた部屋と、1万回の試練
体が重い。
いや重いというより――感覚がおかしい。
真っ暗な視界の中に一筋の光が差し込む。
目を開けると、そこは明るい真っ白な部屋。
中央に石板があるだけで、他には何もない。
「ここは……」
あたりを見渡すが、石板以外には何もないようだ。
立ち上がろうとして、違和感に気づいた。
体が妙に軽い。
恐る恐る自分の手を見る――見慣れた30歳手前のサラリーマンの手じゃない。
血色の良い若々しい手がそこにあった。
「どうなってるんだよ……」
壁際に歩み寄る。
すると、壁の一部が鏡のように俺の姿を映し出す。
そこに立っていたのは、20代前半の若々しい青年。
面影は過去の栄光を持っていた俺だ。
明らかに十年ほど若返っている。
「これって……まさか」
俺は死んだはずだ。
電車に轢かれて、ぐちゃぐちゃにされて。
じゃあこれは――転生!?
混乱する頭で唯一手掛かりになりそうな石板に歩み寄る。
俺が近づくと石板が光りだす。
まるでスマホのように光る石板のパネルに文字が浮かび上がる。
「なんだこれ」
【ようこそ、転生者よ】
やっぱり転生か。
来世があるなら、冒険とスローライフを――そう願ったことを思い出す。
まさか本当に叶うなんて。
【あなたはこの部屋から出るために、試練を乗り越えなければなりません】
「試練?」
【試練内容 スライムを10,000体討伐せよ】
【現在討伐数:0/10000】
【報酬:この部屋からの脱出、異世界への転生】
「……は?」
思わず言葉が漏れる。
スライム? 1万体?
「いや待て待て待て。1万って、正気か?」
パネルは俺の問いかけに応答しない。
代わりに、新たな文字が浮かぶ。
【スライムは倒す度に複数出現します】
【討伐数に応じて貴方は成長します】
【この部屋で貴方は死ぬことができません。眠くなる事もお腹が空くこともありません】
【時間制限はありません】
【それでは――健闘を祈ります】
文字が消えると同時に、部屋の隅からポヨンという間の抜けた音とともに、何かが現れる。
「うわっ!」
反射的に後ずさりする。
そこに居たのは――スライムだった。
ゲームや漫画で見た事がある、あのスライム。
青いゼリー状の体で、直径30センチほど。
プルプルと震えながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「マジか……本当にスライムって……」
現実感が全くない。
いやこれ本当に現実なのか? なにかの撮影なんじゃないのか?
考える暇もなく、スライムが飛びかかってくる。
「うおっ!」
咄嗟に横に転がって回避する。
スライムは壁にぶつかり、ぷるんと跳ね返る。
「武器は……!」
周囲を見渡すが、何もない。
その時、壁際に剣が1本、立てかけられているのに気づいた。
さっきまでは確かになかった。
「これか!」
駆け寄って剣を手に取った。
ずっしりとした重みが走る。
今まで剣なんて持ったこともないのに、不思議と手に馴染む。
剣を持ち後ろへ振り返ると、スライムが再び飛びかかってきた。
「くそっ!」
本能的にがむしゃらに剣を振る。
剣がスライムの体を斬り裂いた――正確には貫通したと言うべきか。
ぷしゅう、と蒸発するようにスライムが弾け飛び、青い液体が飛び散る。
「――アツッ!」
飛び散った青い液体が素肌に当たり、熱湯をかけられたように熱い。
それに気を取られていると、パネルに文字が表示される。
【討伐数:1/10000】
1。
たったの1。
あと9999体。
「……嘘だろ」
膝から力が抜けそうになる。
その時、再び部屋の隅でポヨン、という音がする。
新しいスライムが現れた――しかも3体。
「もう次かよ!」
叫びながら構える。
スライム達はゆっくりとこちらへ向かってくる。
さっきの1体を倒すのに、多分10秒くらいか。
単純計算で1万体だと……10万秒?
いや、待て。10万秒って何時間だ?
「27時間……いやもっとか?」
計算が合っているかも分からない。
それに、これは休憩なしでぶっ通しで倒し続けた場合だ。
疲れることも考えれば、もっとかかる。
「ふざけるなよ……」
それでも、俺には他に選択肢はなかった。
この部屋から出るには、スライムを倒すしかない。
「……やるしかないか」
3匹のスライムに剣を向ける。
今度は落ち着いて、剣を振り下ろした。
蒸発する音とともに光の粒子が宙を舞う。
【討伐数:2/10000】
あと2体……。
俺は落ち着いて残りのスライムに刃を振るった。
飛び散ってくるスライムの液体。
液体が付いた肌から徐々に血が出てくる。
「……チッ」
【討伐数:4/10000】
ポヨン。
今度は5体。
こうして、俺の長い戦いが始まった。
最初はただ振り下ろすだけの剣が、少しずつ無駄のない動きに変わっていく。
10体。
50体。
100体。
「はあ……はぁ……」
息が上がる。
足と腕からは大量の血が出ている。
痛い、熱い。
それでも、スライムは容赦なく次々と現れる。
死ぬことができないから……出血して死ぬことはない……でも痛みと疲れが俺の体を蝕む。
「これ作ったやつ絶対に性格が悪いな……」
俺は剣先が落ちた剣を握りしめる。
やるしかない、死ぬ覚悟でこれをクリアしないと、精神が絶対に崩壊する。
1万体……。
途方もない数だ――でも、やるしかないんだよな。
ここで諦めたら、それこそ何も始まらない。
退屈な人生を送ってきた俺が、せっかく転生できるんだ。
痛みで戦えないなんて甘えてる場合じゃない。
剣を握り直す。
【討伐数:157/10000】
まだたったの157。
でもゼロじゃない、確実に進んでいる。
「1万体、倒してやるよ」
そう呟いた瞬間、複数体のスライムが同時に飛びかかる。
俺は迷わず剣を振り下ろした。
※
討伐数が500を超えた時、俺は気づいた。
体が疲れにくくなっている。
「おかしいな」
剣を振り下ろす度に呟く。
ぷしゅう。また一体。
【討伐数:523/10000】
最初の100体を倒した時は、腕が棒のようになって動かなくなった。
痛みと精神的苦痛を何度も挟んで、やっと200体までたどり着いた。
でも今は――300体倒しても、まだ余裕がある。
「これが成長か? ――それとも俺の感覚がおかしくなったのか?」
パネルには『討伐数に応じて貴方は成長します』と書かれていた。
どうやら、それは嘘じゃなさそうだ。
ポヨン。
524体目のスライムが現れる。
もう条件反射のように、剣を振るう。
ぷしゅう。
【討伐数:524/10000】
「まだ524か……」
気が遠くなるような数字だ。
でも、不思議と絶望感はない。
むしろ――
「少しずつ、強くなってる感覚がある」
最初は両手でやっと振るっていた剣が、今では軽々と扱える。
スライム達の動きも、最初は予測できなかったのに、今では次にどう飛びかかってくるのか分かるようになってきた。
ポヨン。
525体目。
剣を振るう。
ポヨン。
剣を振るう。
「……」
無言でただ剣を振るう。
振り続けた。
単調な作業で、精神的苦痛も痛みも感覚がバグって感じなくなってきた。
※
討伐数が1000を超えた。
【討伐数:1000/10000】
「やっと……1000か」
朦朧とする視界の中で見えた数字。
俺の体はもう限界に差し迫っていた。
1000体で、多分……2日くらいか? ダメだもう体が動かない、動かそうとしても動かない……完全に文鎮になってる。
体が動かない間にも、俺の周りにはスライム達が寄ってくる。
このスライム達は倒さなくても無限に出現する。
倒そうにも、もう体が動かない……詰んだな。
【レベルアップしました】
【現在レベル:2】
【新スキル獲得:《剣術Lv.1》、《不屈の闘志Lv.2》】
レベル? スキル? まずい、幻聴まで聞こえだした。
【レベルアップに応じて、疲労と体力が全回復します】
幻聴にも聞こえる声が聞こえた時、疲労と痛みが完全に消えた。
まるで最初から痛みや疲労がなかったかのように、体が最初よりも軽い。
「すげぇ……しかも、剣術スキルって」
試しに剣を振るってみる。
瞬間、剣の軌道がまるで吸い込まれるように、最適なラインを描き、周りにいたスライムを一掃する。
今まで感覚で振るっていたものが、まるで体に染み付いたかのように自然に、それでいて正確に振るえる。
これがスキルか。
ポヨン。
新しいスライム達が現れる。
俺は迷うことなく剣を振るった。
ぷしゅう。
今までの半分以下の時間で、スライムが消滅した。
【討伐数:1001/10000】
「これなら……もっと早く倒せる」
希望が湧いてくる。
しかも、疲れも感じなくなっている。
このペースなら、もっと早く1万体に到達できるかもしれない。
※
討伐数が5000を超えた。
【討伐数:5000/10000】
ちょうど半分。
ここまで来るのに、体感で5日くらいだろうか。
「折り返しか」
剣を握る手を見る。
最初はマメだらけで血だらけだった手のひらが、今では綺麗な剣だこになっている。
体つきも変わった。
鏡を見ると、筋肉質になった自分の体がある。
「別人みたいだな」
元の世界では、運動なんてろくにしてこなかった。
せいぜい駅まで歩くくらいだ。
それが今では、何百回と剣を振り続けられる体になっている。
ポヨン。
5001体目。
俺は無言で剣を振る。
もう何も考えなくても体が勝手に動く。
スライムの行動も、位置も把握できる――全て読める。
ぷしゅう。
【討伐数:5001/10000】
淡々と、ただ淡々と剣を振る。
それだけの日々が過ぎていく。
でも――
「不思議と嫌いじゃない」
退屈だった元の世界。
毎日同じことの繰り返しのようで、目標もなく、ただ流されるように生きてきた。
でも今は違う。
明確な目標がある。
1万体。
それを倒せば、外に出られる。
新しい世界が待っている。
「だから――」
剣を構える。
「やり切ってやるよ!」
※
討伐数が7000を超えた時、再びレベルアップした。
【討伐数:7000/10000】
【レベルアップしました】
【現在レベル:3】
【スキル成長:《剣術Lv.2》】
【新スキル獲得:《身体強化Lv.1》】
「また来た……!」
体中の力が倍になるように溢れる。
視界がクリアになる。
聴覚も鋭くなる。
筋力が増す。
「これが身体強化……!」
試しにジャンプしてみる。
軽々と、天井近くまで飛び上がった。
「うぉっ!」
慌てて着地する。
こんな跳躍力……人間離れしている。
「マジか……俺、どんだけ強くなってんだ?」
ポヨン。
新しいスライム達が湧く。
俺は――もはや一瞬で斬り捨てていた。
剣の軌道すら見えないほどの速さ。
ぷしゅう。
【討伐数:7006/10000】
「あと……2994体」
ゴールが見えてきた。
でも同時に、ふと疑問が浮かぶ。
「これだけ強くなって……外の世界に出たら、俺ってどのくらいの強さなんだ?」
スライムは弱い魔物だ。
ゲームや漫画の知識でそれくらいは分かる。
でも、その弱い魔物を1万体倒すって――
「もしかして、結構ヤバいレベルになってるんじゃ?」
そんな予感がした。
ポヨン。
またスライムが現れる。
俺は剣を振るった。
あと少し。
あと少しで、この部屋から出られる。
そして――新しい世界が待っている!
「来い」
剣を構えて呟く。
「残り全部、まとめてかかってこい!」
その言葉に応じるように、スライムが次々と現れる。
そして、俺は剣を振るった――ただひたすらに剣を振るい続けた。
※
討伐数が9500を超えた頃には、もはや剣を振ることが呼吸と同じになっていた。
【討伐数:9500/10000】
ポヨン。
一閃。
ぷしゅう。
【討伐数:9510/10000】
ポヨン。
剣閃。
ぷしゅう。
「あと少し」
長かった。
体感でおそらく2週間は経過している。
いやもっとかもしれない。
最初は絶望しかなかった。
でも今は――
「やり切れる!」
そう確信していた。
※
討伐数が9900を超えた。
【討伐数:9900/10000】
あと100。
心臓が高鳴る。
もうすぐだ! もうすぐ、この部屋から出られる!
ポヨン。
剣を振る。
9911体。
剣を振る。
ポヨン。
9930体。
剣を振る。
淡々と、しかし確実に。
1体、また1体と数を重ねていく。
【討伐数:9950/10000】
あと50。
【討伐数:9980/10000】
あと20。
【討伐数:9990/10000】
あと10。
「来い……!」
剣を構える。
全身に力が漲る。
スキル《身体強化》が自動で発動している。
もう剣の軌道すら見えない。
ただ、スライムが現れる瞬間に消滅する。
【討伐数:9999/10000】
最後の1体。
ポヨン、という音が響く。
俺はゆっくりと剣を構えた。
「これで最後だ」
スライムがゆっくりと近づく。
いつもと変わらない、間の抜けた動き。
でもこれが最後のスライム。
俺は深呼吸をして――剣を振り下ろした。
ぷしゅう。
スライムが光の粒子となって消える。
その瞬間――
【討伐数:10000/10000】
【試練達成!】
パネルが眩い光を放った。
【おめでとうございます】
【あなたは試練を完遂しました】
【レベルアップしました】
【現在レベル:5】
【称号獲得:《不屈の修行者》】
【称号獲得:《スライムスレイヤー》】
【特別報酬:すべてのステータス+50】
【特別報酬:スキル《剣聖LV.1》獲得】
「剣聖……?」
その瞬間、体中に今までとは比較にならない力が流れ込んできた。
「うわっ……!」
膝をつく。
痛みはない。ただ——力が、溢れすぎている。
これが、剣聖。
剣の道を極めた者に与えられる称号。
「すげぇ……」
立ち上がる。
体が羽のように軽い。
試しに剣を振ってみる——空気が裂ける音がした。
「こんな力……」
信じられない。
ただスライムを1万体倒しただけで、ここまで強くなれるのか。
パネルに新しい文字が表示される。
【それでは、異世界へ転送します】
【あなたの新しい人生が、今始まります】
【注意:転送先では赤子として生まれ変わりますが、すべての能力とスキルは保持されます】
【身体の成長とともに、力も解放されていくでしょう】
「赤子……?」
え、また一からやり直し?
いや、でもスキルは保持される、か。
【それでは——幸運を】
その文字が消えると同時に、足元に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
眩い光が俺を包み込む。
「おい、ちょっと待……!」
言葉が最後まで出る前に、意識が闇に沈んだ。
あとがき
長編になると思うので死に物狂いで書いていきます!
面白いと思っていただけたらブクマ、評価の方よろしくお願いします!
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