江町終報 ― 沈黙の形

出典:文化庁民俗資料保存局/福井県立博物館附属保存科学室/京都民俗大学院三度研究室

提出日:令和七年六月二十八日

報告者:三度(みたび)哲夫/記録補助:和泉ゆかり


第1節 提出の趣旨(要旨)


本終報は、福井県鯖田市江町における主部肉良(しぶにくら)伝承と、その背後に存在したと推測される生殖儀礼・供養装置・沈黙規範の体系について、一次調査(現地発掘・口碑採録・分析室解析)を終結するに際し、今後の公開・保存・語り方の原則を定めるために作成されたものである。ここに示す結論は確定ではない。本件は、証拠と証言の間に広い空白を含む。われわれは、その空白に**「わからない」**という記録を与える。


第2節 まとめ(結論に代えて)


主部肉良は、地域で繁栄神・子宝神として語り継がれた。


供養壇・封印壺・木札・口碑の総合から、男性住民による肉塊個体への生殖儀礼が過去に存在した可能性は否定できない。ただし、肉塊個体の「由来」「分類」「増殖」についての科学的確証はない。


江町では儀礼が段階的に変容した:

 触れる(交配)→ 問わない(父系抹消)→ 書かない(記録忌避)→ 見る(供覧)→ 聞く(微弱音の受容)→ 沈黙(封印・忘却)。


供養壇の標語「見るは供養」は、暴力・罪責・共同体維持の折衝装置であった。見ることが赦しを担い、語らぬことが秩序を保った。


科学分析は、壺内の有機物に人為的保存と時間層を示す痕跡を見出したが、怪異の立証には至らない。**“いるかもしれない”**を超えない。


従って本件の公開は限定的非公開を原則とし、説明は「文化史・倫理史」の枠内にとどめる。


注記:本終報は「断言しないこと」を方法として採用する。伝承を確定させないことが、当該文化への最小限の配慮である。


第3節 経過の記録(抄)

3-1 現地


・旧真言宗龍泉寺跡地下から供養壇を確認。中央の石台下に陶製壺三基。壁面に「肉は名を食む」「ふれず/問わず/かかず」「見るは供養」の木札。

・住民聞き取りにて「祈祷は見るだけ」「女は入らん」「八度見て九度聞け、言う者なし」の口伝。

・出生・転出統計の偏り(出生増・墓地更新少・死亡届の域外偏在)。


3-2 分析室


・第3号壺の白濁液体に短時間の内因性発光(再現性低)。第2号壺の固形片に層状構造(金属微量付着)。

・DNA断片は既知参照に一致せず。短鎖反復に乱れ。「八」の反復と口伝の象徴的符合あり。

・夜間に微弱な呼吸様ノイズを検出。後に消失。


3-3 記録


・和泉補助記録:供養壇の壁面黒膜に触れた触覚を「乾いた言葉の皮膚」と記載。

・三度研究ノート:

 > 「見るは供養=再暴露の停止。

 >  語ることは暴くこと、見つづけることは赦すこと。」


第4節 資料添付(抜粋)

A. 新聞記事(影写)


『福井日日』昭和23年4月16日付


「江町外れ地滑り、祠倒壊 白色塊状物出土 庁、封鎖処置す」

欄外手書き注:搬出先不明/関係者転出


『北陸タイムズ』平成9年7月2日付(地域面)


「“出世の里・江町” 県内最高の大学進学率 “秘密は努力”の声」

—記者のコラムに「墓地は増えぬ」の一文。


B. 行政内部メモ(写)


「旧役場地階より資料箱(畜産実験体)回収。

 文責者欄抹消、印影かすれ。封緘壺は宗教遺物扱いに変更。」


C. 雑誌小論(要旨)


『現代民俗』令和七年六月号・論壇


「語られる怪異/語られない制度——江町事件から」

『“見るは供養”の命題は、共同体が自らの暴力を言語から隔離し、視覚の儀礼に変換したことを示す。

 視る——だが記さない。忘却の制度化こそが神の正体である。』


第5節 倫理審査・公開方針


供養壇の遺物は県立博物館にて非公開収蔵。学術閲覧は倫理審査通過者のみ。


地域説明会では、**「文化記録の保存」**の趣旨に限定。儀礼の具体・性・個人特定に関わる質疑は受けない。


デジタル化は影写(モノクロ)まで。高精細カラー・三次元は凍結。


口碑採録の未掲載分は封緘とし、当事者の逝去後も一定期間は非公開。


記者・観光業者への対応は統一:「江町に“見る供養”という言葉があった。以上。」


三度注:**「以上」**を言うために、本件は存在する。言いすぎないことが、記録の倫理である。


第6節 考察補遺(三度)

6-1 “見る供養”の構造


「見る」は参与ではなく控除である。触れず・問わず・書かず——言葉・接触・記録の撤退が儀礼の核になった時、神は沈黙の形を得る。沈黙は空白ではなく、共同体が合意して置いた厚い壁であった。


6-2 “聞く供養”の兆し


夜間の微音現象を、怪異として記録しない。われわれは、聞こえたと書くが、聞いたとは書かない。ここで言葉を確定させないことが、終報の線引きである。


6-3 忘却について


忘却は破壊ではない。忘却は保存様式である。江町の人々は、語れないものを忘れることで記憶した。「忘れ方」こそが文化の正味であり、主部肉良はその忘却の神話名に過ぎない。


第7節 和泉手記(未提出・抜粋)


供養壇の壁の黒は、こちらを見ていた。

私は見返した。

見ることが供養なら、記録は何だろう。

それはたぶん、鍵だ。

扉を開けるためではなく、もう一度閉じ直すための鍵。


三度教授は「以上」と書いた。

それを見て、私は初めて泣いた。

泣くことも供養なら、涙は記録だろうか。

いいえ、違う。

乾いたあとに残る塩だけが、紙の上に薄く光る。

それを誰も読まないなら、読む必要のない記録も、

たしかに生きていたと言えるのだろう。


きょう、壺は再封印された。

発光はない。

息もない。

あるのは、沈黙だけ。

そして私は、その沈黙を信じることを選ぶ。


第8節 将来の取扱い(覚書)


・研究班の再訪は最短でも五年後。

・地域学校教材化は見送り。代替として「記録と倫理」一般論のプリントを配布。

・報告書PDF版の公開は黒塗りを施して抜粋のみ。

・外部からの「怪異照会」「心霊番組」等への対応は不介入。応じないことをもって回答とする。


第9節 付録資料

付録A:木札拓本(部分)


 「見るは供養」/「肉は名を食む」/「ふれず 問わず かかず」

(注:拓本はコントラスト調整済み。拓本作業そのものが遺物への負荷であることを忘れないこと。)


付録B:統計抄


・昭和30〜50年代:江町出生率=周辺比2.8、大学進学=県内最高水準、死亡届の域外申告=68%。

・平成以降:出生率漸減、進学率高水準維持、墓地改葬なし。

(注:数値は確定でなく、空白の多さ自体が特徴。)


付録C:語彙集


・主部肉良——繁栄神の名。

・見る供養——沈黙と視覚による儀礼。

・聞く供養——記録後期に現れる微音の受容。

・沈黙の壁——共同体が置いた合意の空白。

・以上——この調査の、唯一の終止符。


第10節 最後の覚え書き(三度)


本稿は、研究者の便宜のために書かれたのではない。

江町の沈黙を、もうこれ以上、言葉で汚さないために書かれた。


語らぬこと。

触れぬこと。

問わぬこと。

書かぬこと。

見ること。

そして忘れること。


これらはすべて、記録の別名である。

記録は紙に残るのではない。

共同体のやめ方の中に残る。


——三度(みたび)哲夫


最終付記


封印壺・拓本・録音・報告書は、規程に従い別封。

このページ以降、空白。


(付録D:白紙 ——原本のまま保存)

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