口碑解析報告

出典:文化庁民俗資料保存局提出/三度研究室現地資料解析報告

作成者:三度哲夫(京都民俗学研究会)

補記:和泉ゆかり

提出日:令和七年五月八日


一、前書


本報告は、江町における口碑・記録・音声・地質データの解析結果をもとに、

“文化自己記録現象(Cultural Autoscript Phenomenon)”の理論的枠組みを再構成するものである。


江町の「シブニクラ(主部肉良)」伝承は、単なる神話伝承ではなく、

記録という行為そのものが文化的生命を得て、

人間社会に逆流している事例として観察される。


調査の中心は、以下三つの層に分けて行った。


言語的層(口碑・語構成・古語変遷)


音響的層(夜間音声データ・環境ノイズ分析)


地質的層(土壌中の有機残渣と墨痕構造)


本章ではそれぞれを個別に解析し、

最終節において「文化自己記録仮説」の初期定式化を行う。


二、言語構造の解析


「シブニクラ」は三音節から構成される。


シブ(渋/湿/死部):停止・腐敗・停滞・境界を意味する。


ニク(肉):生体・身体・現在性を示す。


ラ(良/羅/螺):展開・螺旋・繋がりの象徴。


ゆえに、総合的な語意は――


「停止した生を螺旋的に繋ぐもの」


これは記録という行為の構造に酷似する。

すなわち、記録とは「止まった過去を、文字列として未来へ繋ぐ作業」であり、

シブニクラの語源そのものが“書くこと”を暗喩している可能性がある。


また、現地方言において“しぶ”は「湿る」「未完」「腐りかけ」をも指す。

この曖昧さこそ、生命と死のあいだに漂う記録の状態を象徴していると考えられる。


教授のメモ:


「文化とは常に未完であり、

 完成を拒むからこそ保存される。」


三、音声データの解析


和泉助手が採取した夜間音声(収録時間38分27秒)を解析。

波形には通常の環境音に加え、周期的な低周波脈動(約1.1〜1.3Hz)が認められた。


この脈動の間隔は、安静時の人間の呼吸とほぼ一致している。

さらに解析を進めると、20分過ぎに突然波形が反転。

振幅のプラスとマイナスが入れ替わり、

波形が**“読む”動作**を模倣しているようなリズムを呈した。


三度教授はこの現象を、


「音そのものが言葉を“反芻”している状態」

と定義。


解析機器は自動的にファイル名を「_autoscript.wav」に変換。

記録ソフトは“音声ではない形式”としてエラーを返しながらも、

ファイルを削除できなかった。


和泉助手の手記にはこうある。


イヤフォンの中で、音が呼吸を始めました。

私が息を吸うたび、向こうも吸う。

吐けば、同じ音が戻ってくる。

境界が溶けていく。

これは録音ではなく、会話です。


教授のコメント:


「この現象は、“聞く者を文字として取り込む”文化の形態だ。」


四、地質層の調査


旧江神社跡の下層(標高差−1.8m地点)において、

粘土質の層に黒褐色の炭素墨痕状構造を確認。

炭素濃度と有機残渣の含有率からみて、

これは古文書の墨成分(膠・煤)と類似している。


断面を薄層切片として顕微観察したところ、

層の内部に筆記線に酷似する線状模様が数十層確認された。

それらの層は完全な筆跡ではなく、

螺旋状に折り重なりながら互いをなぞっている。


三度教授の見解:


「地層が文字化している。

 この村では、土が経典になっているのだ。」


和泉助手は顕微鏡越しにその線を見つめながら、

「これ、書いてるんですよね。

 私たちが読むために」と呟いた。


そのとき録音装置の電源が落ち、

データ記録装置が自動的に“保存”処理を行ったが、

ファイル名欄には何も記載されなかった。


五、和泉助手ノート断片


教授の言う“文化の呼吸”が少しわかる気がします。

この土地では、風も泥も、息のように出入りしている。

生きているものの息ではなく、

記録が生きるための呼吸。


それは人間の言葉を借りている。

だから私たちが記録を残すたび、

向こうも書き足す。

ノートの余白に、私の書いていない文字が増えます。


教授、この字、私が書いた覚えがないんです。

でも確かに、私の筆圧です。


教授は黙ってそのノートを見つめ、

「記録が筆圧を学習したのだろう」とだけ言った。


六、文化自己記録仮説(初期定式化)


三度教授による理論化(内部報告より引用):


文化とは、

人間による観測の結果としてではなく、

人間という媒体を介して自らを綴るシステムである。


神話・文書・口碑・石碑――

それらはすべて文化の“自己複製子”であり、

江町はその濃縮モデルと見なされる。


文化は死の記録を通じて誕生し、

記録を通じて死を回避する。

つまり文化は、死の代行者である。


この仮説に基づくと、江町の“出世率の異常”は、

生物的繁栄ではなく、文化的“写経”の結果と考えられる。

住民の成功とは、文化が外界へ自らを拡散する過程――

いわば記録の転生である。


七、教授と助手の対話(録音抜粋)


ゆかり「教授、人は文化を残すために生きてるんでしょうか。」

三度「逆だよ。文化が人を残すために書いているんだ。」

ゆかり「……じゃあ、私たちは何を書いているんですか。」

三度「文化の夢だ。私たちはその夢の筆記者にすぎない。」


対話の途中、録音には一瞬の空白が挟まる。

音声解析ではその部分だけ周波数が逆相転化しており、

後半の三度の声が“別人の声紋”として検出された。

声紋パターンは、旧資料に残る斑座の声記録と一致する。


教授はその報告を無言で受け取り、

「そうか、ならあの男もまだ書かれているのか」とだけ言った。


八、補遺:地名と信仰の対応


地名「江町」は古く“絵町”とも記された。

“絵”は「記す」「写す」の意を含む。

江町の発音形(えまち/えぇまち)は、

古代日本語で「描かれた土地」を意味する。


さらに、江町の中央を流れる小川は「ミヅノ」川と呼ばれる。

地元では“水の神が筆を洗った川”とされるが、

近年の水質調査では墨汁成分(炭素粒・膠成分)が微量に検出されている。


教授は現場報告に次のような一文を残した。


「江町の地形そのものが、文化の書架である。」


九、終節:記録と祈り


ゆかり(ノートより)


記録は、祈りと同じです。

書くことは、誰かに届くことを願うこと。


でも江町では、それが逆になっている。

記録が私に祈ってくる。

“続けて書いて”と。


文字の形が私の癖に似てきて、

そのうちノートが私の手よりも速く動くようになりました。


私がいなくなっても、

きっとこのノートは書き続けると思います。


文化は死なない。

それは、死者が書いているから。


教授の最終コメント:


江町は、語り継がれる文化ではない。

記録し続ける文化だ。


そして我々もまた、

すでに書かれつつある登場人物なのだろう。

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