江町報告Ⅱ ― 口碑のかたち

出典:文化庁民俗資料保存局提出/三度研究室現地調査資料(二次報告)

記録日:令和七年四月二十日


【1】調査概要


前回の現地報告以降、和泉助手による聞き取りと記録整理を継続。

対象は、江町地区内の高齢住民五名、および町史編纂委員会に保存されていた未公開資料。

調査目的は、地元に伝わる「シブニクラ(主部肉良)」伝承の形態と、

その言語的変遷・口碑的拡散過程の確認にある。


【2】口碑採録記録(抜粋)

【記録A】(男性・八十六歳/旧江集落出身)


「子どものころは、田の下に“肉の神”がおるて言うてな。

 見たもんはおらんけど、田植えの時に泥の中が膨れたら、

 『シブさんが息しとる』て言うんや。

 その年は米がようできる。

 けど、声をかけたらあかん。

 “肉は名をもたん”て言うて、

 呼んだもんは出世して村を出る。」


教授はこれを聞き、

「名を持たぬ神」「出世=離村」という構造に注目した。


和泉助手は「名を呼ばれた側ではなく、“呼んだ側”が出世する」とメモし、

次のような仮説を立てた。


この伝承は、成功を“発話の代償”として捉える文化的装置である。


【記録B】(女性・七十九歳/旧上江地区)


「戦のあと、よそから先生が来て“肉の神”のこと聞いてった。

 うちの婆さんが『あれは悪霊や』て言うたら、

 先生、笑わんと帰ってしもた。

 あとで聞いたら、

 “学問の人が祠の穴を掘ってた”て。」


教授は顔を曇らせた。

この“先生”の人物像が、昭和期に活動した斑座と一致する可能性が高い。

(後述参照)


【3】行政資料・新聞記録(抜粋)

【A】『福井日日新聞』(昭和23年4月16日付)


「江町郊外にて地滑り、祠倒壊。地中より白色塊状物出土す。

 形状は人に似るも、識別不能。

 当局は防空壕跡よりの崩落と見做し、

 該当地域を封鎖。」


記事末尾には、手書きで次の注記が残されていた。


「白色塊状物、搬出先不明。調査関係者4名、後に転勤処理。」


和泉助手はこの注記を見て、静かに呟いた。


「記録は残るのに、記録者がいなくなる……」


【B】『江町町史資料集(非公開)』(1979年編纂)


「かつて、江町において“肉の宿”なる行事があった。

 若者を選び、祠の前にて“新しい身を作る”と唱える。

 その夜、田の水が温かくなり、翌朝には新しい稲が芽吹いたという。」


教授はこの記述に印を付け、

「再生儀礼の一形態、ただし生贄要素を含む」と書き添えた。


和泉助手は別の頁を開き、

そこに走り書きされた古語を指さした。


「“シブ”とは“渋”“湿”“死部”の意かもしれません」


教授は頷き、次のように記録した。


「“肉”と“湿”の連想――

 生と死、血と記録を同一視する古層信仰の痕跡。」


【4】口碑と社会現象の関係


近年、江町の出生率・学歴上昇は統計的に説明がつかない水準にある。

だが一方で、墓地の増設が一度も行われていない。

行政担当者は「移住者が多く、里帰り葬が主流」と説明するが、

実際には江町出身者の死亡届の多くが“他自治体転出先での申告”になっている。


つまり、江町出身者は生まれ、成功し、死ぬときには他所の人間として扱われる。

地元に残るのは出生と成功の記録だけ。

死が記録されない村――それが江町の最大の異常である。


教授は報告書にこう書き残している。


「江町の繁栄は、“死を記録しない文化”によって成り立っている。

 肉は腐らない。腐敗とは、記録の停止だからだ。」


【5】補遺:昭和期資料との照合(斑座記録との一致)


民俗資料室に保管されていた昭和22年の未整理資料に、

以下のメモ断片が発見された。


「江町・主部肉良 田下に眠る。

 見たものは皆“昇る”。

 その昇りは祝福にあらず。

 肉が名を欲したのだ。」


署名欄には「班座一」と読める筆跡が残っている。

(調査員・斑座による現地調査記録の一部と推定)


和泉助手はその文字を見て、手を止めた。


「教授、この人は、見たんでしょうか」

「いや、書かされたんだろう」


教授は即答した。

記録という行為そのものが、すでに“接触”なのだと。


【6】和泉助手の記録ノートより(抜粋)


田の泥の匂いが、記録の匂いに似ている。

どちらも濡れていて、時間を留める。

私たちは時間の上を歩いている。


教授は「文化は息をする」と言うけれど、

この村では、文化が眠りながら夢を見ている気がする。


誰が夢を見ているのか。

村か、人か、文字か。


いまはまだ、どれも区別がつかない。


【7】三度教授補記(所感)


江町における文化構造は、

民俗学の範疇を超えて“自律的記録生命”と呼ぶべき段階に達している。

祠、田、水、言葉、記録――それらが相互に記録し合っている。


“シブニクラ”とは、おそらく神の名ではない。

記録が自らを保つために作った“代名詞”である。


文化とは死の代用であり、

この村では、死のかわりに記録が生きている。


【8】末尾注記(未提出原稿)


報告書の最後の頁に、

和泉助手の書いた小さな付箋が貼られていた。


「教授、声を録りました。

 誰の声か分かりませんが、

 “また書くね”と、確かに言いました。」


ページの下部には、赤いペンで日付が記されていた。

「2025年4月18日」

だが、その日、調査は行われていない。

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