第11話 境界透過モデル

夜明け前の風は、まだ冷たかった。


 リイナは研究室の窓を閉めると、灯の消えた村を見下ろした。


 南の丘には、ルゼ派の哨戒灯が点滅している。


 その向こうに、マコトが最後に姿を見せた山道が続いていた。




 机の上では、昨夜の設計図が乾ききらないまま、青いインクをにじませている。


 《共感網 第2形態案:境界透過モデル》


 その文字の下に、自分の筆跡でこう書き足してあった。


 〈境界を結ぶのは、制度ではなく、聴くこと〉




 リイナは静かに息を吸い、装置の部品箱を開いた。


 古い通信筒、電気式共鳴盤、そして記録用の紙片。


 それらを並べながら、彼女はマコトが口にしていた言葉を思い出す。


 ——「制度は呼吸する生き物なんだ」




 午前の光が差し込む頃、ドアがノックされた。


 「……リイナさん?」


 顔を出したのは、若い配達員だった。まだ十七、八歳ほどの少女だ。


 「ルゼ派の検問が厳しくて、北への文が届かなくて……。


 でも、これだけはどうしても渡したくて」


 差し出された封筒には、見覚えのある筆跡があった。


 ——マコト。




 震える手で封を切ると、中にはたった一枚の紙が入っていた。


 《もし制度が沈黙するなら、人が言葉を継げ。


  “境界透過”とは、制度が耳を傾けるための仕組みだ。


  お前なら、それを“人の形”にできる。》




 リイナは目を閉じ、深く息をついた。


 ——マコトは、生きている。


 その確信が、胸の奥で小さな灯をともした。




 午後、彼女は研究室の扉を開け、村の広場へ向かった。


 崩れた噴水のそばに、子どもたちが集まっている。


 「これを見て」と、リイナは小さな木箱を取り出した。


 中には、透明な水晶盤が入っている。


 それに声を吹きかけると、淡い光が波紋のように広がった。




 「誰かの声を記録するの?」と子どもが訊いた。


 「ううん、声じゃなくて——その人の“沈黙”を映すの。」


 リイナは微笑みながら答えた。


 「たとえば、誰かの言葉を聴いて黙ったとき。


  それを、この装置が拾うの。」




 子どもたちは不思議そうに見つめ、やがて一人が言った。


 「じゃあ、ぼくの“聴いてる時間”も残るの?」


 「そう。みんなの“聴く”がつながれば、村はまた話せるようになる。」




 その瞬間、広場の風が少しだけ柔らかくなった。


 リイナはふと空を見上げる。


 西の空には、薄い雲の切れ間から光が差していた。




 ——制度ではなく、人の耳から始まる制度。


 彼女は、ようやくマコトの言葉の意味を掴みかけていた。




 夜になり、研究室に戻ると、通信筒が微かに鳴った。


 リイナが開くと、短い信号が届いている。


 《北側、起動確認。共鳴率0.42——応答を求む。》


 ルゼ派の境界線を越えて、誰かが装置を作動させたのだ。




 リイナは微笑み、静かに返信を書いた。


 《こちら南側。呼吸、継続中。》




 夜の風が再び窓を揺らす。


 彼女はノートを開き、次のページに新しい見出しを書き込んだ。


 《第3形態案:沈黙の共鳴》




 ——制度が聴く夜が、始まろうとしていた。

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『社畜コンサル、異世界でも最速で事業再建して王に成る』 深夜 @sin_ya

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