第7話 汚染地帯で祈る亜人


 汚染地帯の空はどこか胡散臭い。太陽も雲も灰に塗りつぶされ、本当に存在するのかも分からない。

 薄く光は射すが、熱はない。奈落の周辺だけ、別の空間になっていると言われても信じるだろう。風だけが吹いている。乾いて焦げくさい匂いを運んでくるだけだが。


「嘘くさい空だな」

 そう呟くと、光さんは小さく笑った。

「書き割りみたい」

「牡蠣割り? お腹空いた?」

「?」

「?」

 しばらく見つめ合って首を傾げた。……馬鹿じゃないよ?


 地面はひび割れたコンクリートと赤錆色の砂に覆われている。

 昔は工業地帯だったのかもしれない。錆びた鉄骨や鉄パイプ、崩れたビルの一部が地面に突き刺さっている。まるで墓標だ。

 道路脇に『立ち入り禁止』の標識が立っていた。皮肉なもんだ。ここ一帯、全部立入禁止なんだから。

 支柱の根元を軽く蹴ると、簡単に折れた。

 今日の武器は道路標識。『立ち入り禁止』のプレートは、武器として使うとチャームポイントになる。軽く振るとずっしりと重いが、振り回すには問題ない重さだ。

「今日の相棒は君に決めた!」

「……重くない?」

「重い方が威力が出る」

「……普通は振れないと思うけど」

 しばらく歩くと、空気が変わった。

 重く、濃く、肺がひりつく。亜人なら違和感だけで済むが、人間なら即死だろう。防毒マスクでも怪しい。

「仁くん、感じる?」

「ああ。結構な太客だな」

 崩れた高架の向こうで、何かが蠢いていた。腐った肉の匂い。

 ゾンビは本来腐らない。奈落の理に影響された肉体は、全ての生命活動を行わない。細菌も活動できない。だから腐敗しない。

 つまり——あれは腐乱死体がゾンビ化したもの。見た目が最悪すぎる。

 顔の皮膚は溶けかけ、左目だけが異様に光っている。そして、口が動いた。

「……オマえハ……オなジ……?」

 喋った。知性型——奈落の理が濃く影響した存在。意思を残したまま死を超えた化け物。

「喋るゾンビか……告白されないよな?」

「仁くん……」

 光さんの悲しそうな声に、俺は標識を真面目に構える。

『立ち入り禁止』がまるでお守りに見える。ゾンビと付き合う気はない。頼むよ、“立ち入り禁止”。

 ゾンビの口角が裂け、笑ったように見えた。

 ——その瞬間、景色が歪む。

「なんだ? へぇ、面白いことするな」

 見渡すと、ゾンビが五体に増えていた。どれも同じ腐り具合、同じ腐臭。……いや、普通にキツイ。腐臭が五倍だ!

「仁くん、気をつけて!」

 幻影? いや、実体もあるな。知性型の厄介なところだ。奈落の理を操る。

 だけど——

「分身ねぇ……歯応えあるのかい?」

 俺は笑って、標識を振り抜く。

 肉が裂ける音。軽い手応え。煙のように一体が消える。他の四体が一斉に突っ込んでくる。

「……甘いな」

 標識を左から右へと一気に振り抜く。

 肉を断つ感触、だが軽い。

「おっ——」背後に気配。次の瞬間、背中に衝撃。

 本体は隠蔽か。偽物をばら撒いて隠れてたな。予想外に力がある。胸まで腐った腕が突き刺さる。

「仁くん!?」

「まぁまぁか?」

 思ったより強いか? いや、もう少し様子見だ。

 俺は胸から生えた腕を掴み、標識を投げ捨てた。

「お客さんは本物?」

 掴んだ腕を引き寄せ、背後のゾンビの頭を掴んで——握り潰す。

 潰した感触は本物。だが残骸が逃げ、二体に分裂した。

 分身じゃない、実体分裂だ。

「……知性型で奈落の近く。強い筈だが……どうかな?」

「仁くん気をつけて! 奈落の気配が強くなってる!」

 ふーん。数は減ったが力は増してる。

 あー、胸の傷? もう治ってる。得意なんだ、再生。

 光さんの胸元が淡く光る。ギャグじゃない、本当に光るんだ。

 光さんの光は灯火って呼ぶか……そんな感じがする。灯火の正体は光さんの子供だね。居るのは分かるけど姿は見えないんだよね。いつか紹介して欲しいもんだ。

 灯火が瞬き、周囲の力が落ち着く。奈落の力で奈落を抑える。

 ……やっぱり、ゾンビより亜人の方が怖い。

 ゾンビたちの左目が同時に俺を見た。鏡写しのように。

 どちらも本物。でも力は落ちてる。灯火の影響か。

 一体が前から、もう一体が後ろから。

 ——知性型って言っても、ゾンビだからね。頭が残念なんだろう。

 同じ動きしてどうする。せめて光さんを狙えよ。

「やっぱり知性型は弱いね」

 足元の標識を拾い上げ、ぶん回す。

 鞭のような音が鳴る。そして二体が同時に弾け飛んだ。

「もしかして二体同時に倒さないと増えるタイプ?」

 ゾンビは答えず、灰になって消えた。

 腐臭が消えたのは助かる。……俺の鈍い鼻でも臭かった。

「……終わった?」

「うん、まぁね」

 期待外れ。考えすぎなんだよ。もっと力で押せばいいのに。ゾンビアタックの方が怖いくらいだ。

「仁くん、大丈夫?」

 光さんが隣に立つ。灰色の風に髪が揺れ、空の色と混じる。

 こうして見ると、灰色の世界も悪くない。

「ん?」

 ぼんやりしてた俺を見て、光さんは苦笑した。

「服、直すね」

「お、頼む」

 服に大穴。ほんと服まで再生できたらいいのにな。

 このままだと露出系主人公だ。


 乾いた風が頬を撫でた。灰色の空の下、俺たちはまた歩き出す。

 奈落の奥へ。何かに導かれるように。

 ——出来るなら、もう少し遊べるゾンビが出てきますように。

 

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