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「で、どういうことか説明していただけますか」


 生贄役を買ってから、なんて先生の言葉は無視した。冷蔵庫からスイカを取り出して四等分にし、ひとつを皿に乗せる。残りにはラップをかけて、元の場所に戻しておいた。

 ちらりと居間に目をやる。先生は畳の上に枯れ草色の座布団を敷いて座り、困ったような笑みを浮かべていた。


「話さないと、頼まれてくれませんか」

「当たり前です。わけもわからず『はーい、わたし生贄になりまーす』なんて言うひとがどこにいるんですか」

「そこに」

「わたしを頭の軽い女みたいに言わないでください」


 扇風機の前に陣取り、スイカにかじりつく。冷たくて甘い汁が口のなかいっぱいに広がった。思わず顔が綻びかける。

「おいしいでしょう」と先生は言った。

「ええ、とっても」とわたしはうなずく。

 それがうれしかったのか、先生は口元に白い歯をのぞかせた。


「もらいものなんです。今年は豊作だったそうで、あまったぶんをわけてもらいました」

「あら、そうだったんですか」


 なんとなく気が引けてスイカを手放すと、こちらを見つめる先生の瞳がきらりと輝いた。まるでいたずらを企む子どもである。


「じつは今朝、そのかたに仕事を頼まれまして」


 先生のささやきに、わたしはかすれ声を上げて目を丸くした。


「それって、あの例の仕事とやらのことですか」


 はい、と先生が答える。

 例の仕事というのは、先生いわく『やや常識から外れた事件を解決すること』だそうで、ちなみになぜ先生がそんな仕事をするようになったのか等の詳細は不明である。やりかたによっては危険なのだと言うから、気になってこれまでに何度か訊ねてみたものの、どんな質問にも曖昧な返事しかもらえなかったので、拗ねてそのままにしておいたのだ。


「先ほどお願いした生贄の件は、今回の仕事に必要不可欠なものなのです」先生はなんだか申しわけなさそうだった。「僕の仕事についてきちんと説明するのは、これがはじめてになりますね。おかしな話なので、あなたを怖がらせてしまうのではないかと心配だったのです。半端な真似をしてすみません」


 そう言って、先生はぴんと背筋を伸ばし、ちいさく低頭した。こちらが困ってしまうほどの潔さである。わたしはあわてて腰を浮かせた。


「いいんです、いいんです、気にしていませんから。お心遣いとも知らず、しつこく訊ねたりしてすみませんでした」


 わたしたちは懇ろに頭を下げて謝罪合戦を繰り広げ、五分ほどしたところでようやく埒が開かないことに気づき、互いに顔を見合わせてやめた。


「覚悟はできています」わたしはすっきりした気分で口を開いた。「お話、聞かせてください」

「わかりました」


 力強い語調で、先生は言った。


「依頼主は、ここから車で四時間ほど離れた、ヒノサカ村というところに住んでいらっしゃいます。山のなかにひっそりとあるちいさな村で、住んでいるみなさんはほぼ自給自足の生活を送っているというから、驚きですよね。

 さて、本題に入ります。依頼主によると、どうもそのヒノサカ村で、三週間前から深刻な水不足が発生しているそうなのです。突然のことで、原因も不明。それに加えて、何人かの村人が姿を消すというおかしな現象が」

「ひい、やめてやめて、ストップです先生!」


 金切り声を上げて話を遮り、わたしは先生の細い両肩をわしづかんだ。


「わたしが怖い話駄目なことを知っての犯行ですか! 鬼、悪魔、人でなしっ。ばかあ」

「ばかはないでしょう、ばかは」先生は口をへの字に曲げてわたしを叱った。「それに、さっきの覚悟はどこへ行ったんです。話してもいいと言ったのはあなたじゃないですか」


 今度はわたしがうなる番だった。悔しくなって、座り直しながら、ちょっとつっけんどんにつづきをうながす。


「すみません。……で、それがどうしたんですか」


 よろしい、と先生はうなずいた。


「先ほど言ったとおり、水不足も神隠しも原因は不明です。当然のように村人たちは驚いて、なぜこんなことになったのかと考えました。結果、彼らの出した答えは、『怒れる神や妖怪が、我々になんらかの罰を与えようとしているのだ』というものだったのです」


 わたしはぽかんとしてしまった。はあ、という、言葉ともため息ともつかないくもった音が、ゆるんだ口元から無遠慮に飛び出る。


「彼らは昔から、神や妖怪といったものが存在すると信じているのですよ。そして、災い事をそれらと結びつける傾向にある」


 しまった、と思ったところで、すかさず先生のフォローが入った。


「あなたの反応は当然だと思います。想像はできても、理解するのは難しいでしょう」

「ごめんなさい」

「なに、気にしていませんよ。こういった事件を何度か見てきた僕にだって、完全に理解することはできないんです」先生はまぶしそうに目を細めた。「それに、あなたのすなおな反応は、心地よくて好きですよ」

「ありがたいですけど、さらっとそういうこと言うのは、ちょっとどうかと思います」

「そうですか?」

「そうです。わたし、一応女の子ですし」

「むむ……さっぱりわからない」

「もう好きにしてください」

「まあまあ。そう怒らずに、話のつづきを聞いてください」


 先生は、ついと手を伸ばして、棚と棚の隙間からうちわを引っ張り出した。白地に、薄い青色の朝顔がふたつ描いてある。


「じつは、ヒノサカ村は僕の故郷なんです。数年前まであそこに住んでいたのですが、とある事情で追放されてしまいましてね。まあそれはいいとして――信じてもらえないかもしれませんが、村人たちの考察は、おそらく正しい。彼らの言うとおり、神や妖怪が、なにかしらの理由で怒っているのでしょう。前にも似たようなことがありました。

 依頼主は、わけあってあの村の色に染まっていません。ただただ、事件の解明と収束、そして『ほんとうのヒノサカ村』の復活を望んでいます。そのために、僕の力が必要だと判断したようです。事実、神や妖怪の仕業であれば、僕は依頼主の願いを叶えてあげられる。けれど僕は追放された身ですから、村に入ることはおろか、近づくことさえできないでしょう。そこで生贄の出番です」


 相変わらず置いてけぼりを食らっているわたしに向かって、先生はにこやかにうなずいてみせた。ずいぶん生き生きとして楽しそうだ。


「神や妖怪の怒りをしずめる方法として、最もポピュラーなものがなんなのか、あなたにもわかりますね? 村人たちは今、それを実行しようとしているのです。しかし顔見知りを捧げるのは、やはり良心的ではない。村人たちは赤の他人を欲しています。道に迷った女性の観光客なら、それはもう大歓迎でしょうね。

 生贄は僕の代わりに村へ入り、僕の指示どおり動いてくれればいい。あとは僕がなんとかします。準備が整いさえすれば、こちらの勝ちです。いのちを落とすことは絶対にありません」


 寒気がした。先生は、左手でうちわを扇いでいた。


「――それでは、もう一度お訊ねします。生贄役は得意ですか?」

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