4.口に出来ない想い

 季節は秋から冬へと向かい、街路樹の葉は色を変え、冷たい風が吹き始めた。


 タクトとは殆どメッセージのやり取りだけになっていたけれど、ライブが始まる頃にそっと人垣から更に離れたところで彼の歌声だけを聴く事を私はやめなかった。


 メッセージのやり取りと言っても『今日のライブも良かったよ』という私のメッセージに『ありがとう』と返してくれるだけのものだった。



 そんな中、久しぶりに、タクトとカフェで会った。


 テーブルの上には、クリスマスを少しだけ先取りしたような、大きなマグカップが二つ並んでいた。



「最近、全然会えてなかったし、メッセージも適当になっちゃってたから」


 相変わらずの綺麗な顔のタクトは無機質な瞳を逸らしたしたかと思ったら紙袋を差し出した。


中には、鮮やかな赤いマフラーが入っていた。


「だいぶ寒くなってきたし、そのマフラーをしてくれたら俺からならどこにいてもカレンを見つけられるから」


 そう言って、彼の口元は微笑んだ。


 彼の言葉と柔らかなマフラーに口に出来ずにいた寂しさがじんわりと溶けていくのを感じた。


「ありがとう、大切にするね!」

 私はマフラーを首に巻いた。


「想像以上に似合ってる」と、満足そうに彼は言った。



 その週のライブから、私は赤いマフラーを巻いて行った。


 やはり、タクトの姿は人垣に隠れて見えなかった。


 それでも、私からは見えなくても、タクトからは私が見えている。


 そう思うと、冷たい風が吹き抜けてもマフラーの温もりで寒さなんてまるで感じなかった。



 年末のイルミネーションが街を彩る頃、タクトのライブを聴きに、音楽関係者が来るようになり、その噂がすぐに広まった。


 話はトントン拍子で決まり、彼は中堅のレーベルからデビューすることが決まった。


 彼の夢が現実になるにつれ、タクトはあっという間に人垣の先よりももっとずっと遠い人になった。


 デビューが決まった当初は毎日のように近況を伝えてくいれるメッセージをくれていたけれど、徐々に間隔が空いていき、月に一度程度の連絡頻度になった。


 タクトからの連絡が無くなるのに比例する様にSNSや動画配信、街中の広告でタクトをみる機会が増えた。


 ミュージシャンとしてのデビューは中堅のレーベルだったものの、彼の容姿は瞬く間に評判になり、音楽よりも雑誌や大手企業のCMといった広告で見かける機会が多かった。


 大きなスクランブル交差点の真ん中で満面の笑みを浮かべた大きな広告のタクトと私は目が合った。


 いつもの無機質な瞳ではなく、微笑みを感じる… あんな風に目も笑うんだ…


 ふと見渡すと、私の知らない様々な表情をしたTAKUTOというアーティストがスクランブル交差点を取り囲んでいる。




 別れ話は、なかった。



 メッセージもいよいよ数ヶ月来なくなったことを、私は「そういうこと」と理解した。


 頭では「そういうこと」としながら、心ではタクトのメッセージを待っていた。

 ただ、その待つ時間が辛過ぎて、辛さを紛らわす為に私は勉強をした。


 夢を叶えていく彼に対して、何もしないで悲しんでばかりいる自分が恥ずかしくなり、目の前の勉強を頑張る事にした。


 学年順位も両親が納得するトップ層を常にキープする「頭の良い子」をすっかり取り戻した。



 高校三年生になった。


 人気の学部は難しかったけれど、内部推薦で大学に入学が決まった頃だった。


『会いたい。いつものカフェやファミレスは難しいから個室のレストランで食事をしよう』


 タクトからのメッセージだ。


 胸がザワついた。


 今更…と無視しようかと思ったけれど、会いたい気持ちが前のめりに返信をした。

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