2.きっかけはこんなもの
ライブハウスに時々行くようになった。
自分の新しい居場所ができたと感じられる様になった頃、一人の存在が目に留まった。
少し気怠げな雰囲気に、ガラス彫刻の様に綺麗な横顔をした、スタッフのタクトという男性だ。
無意識に目で追う日々が始まった。
彼に会いたくてライブハウスへ行く回数が増えていった。
「君、A高行ってるの?」
突然、背後からタクトに声をかけられた。
何の心の準備もしていなかった私は、驚きと動揺で素っ気なく返してしまった。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
最大のチャンスを棒に振ったと後悔した。
「この前、制服で歩いてるところ見かけてたから。俺、A高からそのままA大に進学したけど、中退して今はライブハウスのバイト」
かなりの衝撃だった。
素っ気ない態度をとった私に自分について話してくれた事以上に、A高の卒業生がA大学を中退してライブハウスのバイトスタッフをしているという事実に驚いた。
「俺、シンガーソングライターになりたいんだ」
困惑する私の頭に、生まれて初めて聞く将来の夢が響いた。
「毎日、曲を作って歌詞書いてギターの練習してたら大学も行かなくなってそのまま中退しちゃった」
「そんなの、親、キレませんでしたか?」
「ヤバいくらいキレたよ自分たちの努力が全部無駄になったって責められた」
タクトはどこを見ているのか分からない瞳をして半笑いで言った。
そして、急に声のトーンを変え、私の方を真っ直ぐに見た
「で、優等生の反抗期でここに来てるの?」
ガラス彫刻の様な顔は正面を向いても綺麗だ…
そんな事が真っ先に浮かんだせいで返事が少し遅れてしまった。
「え… いえ、ライブが好きで…」
「ふーん、で、どのバンドの曲が好きなの?」
その質問に私は答えられない。
曲なんて何でも良いし、バンドの紹介なんてまともに聞いていた事がない。
俯く私の顔を口元だけニヤリとさせてタクトが覗き込んで来た。
瞳が無機質で感情が読めない、けれどそのミステリアスな瞳に吸い込まれた。
「雰囲気に便乗して勉強の憂さ晴らしってところかな?」
ぐうの音も出なかった。
「君、名前は?」
「カレン」
きっかけはこんなものだった。
それから特に「付き合おう」と言われた事は無いけれど、街で彼の友人に会った時、「彼女」と紹介されて曖昧だった関係が変わった。
彼の口から「彼女」という一言を聞いたとき、私の心臓は一瞬、止まった。
嬉しい、という単純な感情だけではなかった。
親にすら結果しか愛してもらえない私を特別な人にしてくれた。
見渡す限りの世界が今までとは違う色に塗り替えられたほどの幸せを感じた。
私達はありふれたデートを重ねた。
カフェでとりとめのない話をしたり、特に目的もなく街を歩いたり。
次のデートの日を待ち焦がれる日々。
バイト終わりの頃を狙って1秒でも早く連絡をしたくて時計を見て待つ時間もとても幸せに感じた。
ある日、いつものカフェで「俺の曲、聴いてみる?」とタクトが唐突に言った。
その言葉に、私は息をのんだ。
彼の世界に触れる大切な瞬間が来た事を感じた。
彼の部屋は、驚くほど殺風景だった。
壁にギターが一本、立てかけられているだけで、他には特に目につくものはない。
彼は壁のギターを手に取ると、珍しく瞳にも少し照れくさそうな表情を浮かべた。
「……なんか、緊張するな」
弾き始めたメロディは、少し切ない音色だった。
そして、彼の歌声は優しく、語りかけるようだった。
正直に言うと、音楽の良し悪しは分からなかった。
けれど、今、私だけに向けて歌われている。
そう思うと、胸が熱くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます