ただいまカンニング中……

渡貫とゐち

第1話


「――はい、かしこまりました。では対応させていただきます」


 電話を受け付けた女性が無表情で対応した……もちろんクレームである。悪質かどうかはまだ分からないが……まあ十中八九、悪質だろう。偏見だが。


 電話越しに、相手が女性であることが分かったのか、矢継ぎ早に文句を言い出した相手の男性。少しだけヘッドホンを耳から遠ざけながらも、きちんと受け取った女性は視線を泳がせ、少しだけ逡巡しながら……デスクの引き出しへ手を伸ばした。


 引き出しを開け、取り出したのは冊子だ……マニュアル。

 クレームがあった際、どういう対応をすればいいのか書かれている。本来なら覚えておくべきことで、つまりカンニングなのだけど、下手なことして大失敗するよりはマシだろう。


 口元へ伸びるマイクに手を添えながら、女性が迷うことなく冊子を開いた。


「かしこまりました、少々お待ちください……はい、大丈夫です。では、あらためてご用件を伺ってよろしいでしょうか?」


 丁寧に、相手のクレームを聞き……たかったのだが、頭に血が上ってしまっているようで、よく分からない。分からないなりに考えてみて――内容に合わせてめくるページの枚数を変える。


 ふむふむ、と頷きながら……マニュアル通りに「まずはこうするのね」と、頭の中で呟いた受付女性が口を開いた。


「ええと、誠に申し訳ございません。お客様の、ご要望はなんでしょうか?」


 相手の言い分に要領を得なかったので仕切り直しだ。

 教科書を片手に用意しておけば、どんな要望であっても可能か不可能かを判断できる。いちいち上司に聞かずともページをめくれば答えがある。


 感情で動かなくていい分、楽だ。教科書に従い、感情を抜いて冷たく判断した方がいいだろうし、仕事も早い。まあ、そんなわけで。


「申し訳ございませんが、そのご要望はうちでは難しいですね……では、他にこういう提案はいかがでしょうか?」


 教科書通りに、ぺらぺらとめくりながら、クレーム対応をしていく。

 電話の向こうから「なにを見ながら話してんだ」と強めの言葉が飛んできたが……繰り返したくないような罵詈雑言も混ざっていたが、しかし女性の方は教科書に夢中で聞き逃していた。


 さすがに、「え?」とは聞けず、相手には伝わらない愛想笑いで全スルーだ。ま、中身なんて大したことないだろう……、だって重要なことなら二回言うだろうし。

 そう思って、受付女性は聞き逃した部分を相手に任せることにした。


 次第に、相手の怒りもどんどん上がってきた。最終的には会話にもならなくなり……こうなるともう教科書通りも通用しないだろう。

 ミスをしないように教科書片手に対応していたのだが、結局ミスをしてしまっていたらしい。どっちにしろ、だった。


「……もう、なんてこった」


 もちろん、マイクを切っている。

 こんなセリフが相手に届いていたら、もっと酷い現場になるだろう。


 今はまだマシとは言え、それでも酷い有様だった……仕方ない、最終手段である。


 受付女性が、電話をAI対応に切り替えた。ここから先は教科書の内容、全てが頭に入っている、感情では動かないAIが対応してくれる。


「……ふう。AIなら、罵詈雑言もなんとも思わないはずだし、頭も良いし……任せればなんとかしてくれるわよね……。でもこれ、最初から全部を機械任せにしたらいいんじゃないかなー……って、思ったりするのだけど」


 さてさて、人間が対応する必要があるのだろうか。……あるのだろうけど。


 AIに最初の部分を任せて、話が弾んだところで人間側にバトンタッチをすればいいとも思う……、頭が冷えた後のクレーマーは、もうクレームを言わなくなっているだろうし……。


 ただ、それはそれで、交渉が始まってしまうので厄介ではあるのだが……、罵詈雑言を浴びるよりはマシだろうか。


 ――しばらくして、AIに任せていたクレーマーからちゃんとした要望があった。


 やっと出番が戻ってきた。そんなわけで、受付女性が対応する。


「お電話変わりました、ご要望を受け付けます」


 さっきとは別人と思うくらいに穏やかになったクレーマーと真摯に向き合う。

 ちゃんと聞けば、こっちに落ち度があったので、相手は悪質なクレーマーではなかったようだ。……言葉こそ強かったが、それは感情が高ぶった結果である。


 落ち着いてくれれば話し合いもスムーズだ。お相手は、こちらのミスに気づいて報告してくれた……自分に不利益があったから修正してほしいのだと、そういう内容だ。


 最初から優しくそう言ってくれればいいのに、と思うものの……実際に当事者になってみれば叫ぶことしかできない気持ちも、まあ分からなくもないわけで。


 落ち着けばいいのに、と口では言える。が、それができれば人間、苦労しないのだ。


 一旦、冷静になってクレーム対応をすれば、お互いに良い落としどころを見つけられた。つまり、解決だった。


 相手の不満をAIが受け取ってくれたおかげで、最後は楽しく雑談をしていた。こうして、クレーマーはお客様となったのだ。


 端に置いていた教科書をぱたんと閉じて。引き出しの中へしまう。


 しかし――「あ」と思い直し、引き出しから取り出しておく。

 どうせまた受け付けるだろうし、と思えば、『しまう』『出す』の手間が無駄だ。カンニング対応をする前提なら出したままでいいだろう。


 そして、タイミングよく電話が鳴った。


「はい、こちら受付センターですが」


 案の定、クレームが入った。


 悪質かどうかはまだ分からなかったが……、



 そんなわけで、彼女はまた、教科書をめくるのだ。




 ・・・おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただいまカンニング中…… 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説