継承
木々が生い茂る山の中を歩き続け、開けた所へ出た。
都会に出れば高層ビルなんかが立ち並ぶ現代にも関わらず、今目の前に広がる集落は何とも古めかしい。建造物は全てが木造。まるで100年前にタイムスリップしたような空間だった。
「やっっと着いた……。こんな遠いのに迎えの一人も寄越さないのなんなの?依頼内容も熊退治って…。そんなの行政に頼んでよね」
上がった息を整えながら、集落を歩き回る。この集落は、現在では喪われてしまった日本刀の造り方を継承している、との噂がある。
そのせいもあってかなり排他的なようで時折、警戒するような視線が肌に突き刺さる。
呼んだのそっちじゃんか。なんで共有してないわけ?
なんて愚痴りながら、村の中をぐるっと一周見て回る。
来たら村長の家に来い…ってあったけど、どこ?周りより豪華な作りになってるから、分かりやすいんじゃなかったの?全部同じに見えるんですけど?
気乗りしないけど聞くかー…。
「すいませーん!村長の家に行きたいんですけどー、どこか教えて貰っていいですかー?」
適当に、近くを歩いていた女性に話しかけた。
話しかけられた側はと言うと、ギョッとした顔でこちらを見てくる。
女性は周りに助けを求めるように、辺りを見回すも、誰もが顔を背け通り過ぎていく。面倒事に関わり合いになりたくない、といった様子だった。
「えぇっと、村長?…あぁ 族長のこと、ですか?それなら、二軒行って右に曲がったらすぐです」
教えてはくれるが、その引き攣った表情は隠しきれていない。
失礼しちゃう!こーんなに可愛いボクが話しかけてあげたのに。泣いて喜べとまでは言わないけど、この対応はないわー。
「…ありがとうございまーすっ!」
ま、聞き出せたから良しとしてあげる。二軒行って右だったよね。
言われた道順を辿り、目的の家と思われる場所へ辿り着く。
確かに、他と比べたら多少はマシな造りになっているようだった。
ドアベル…もないんだね。……見るからに古い木だけど、大丈夫これ?叩いたら壊れない?
…まあ壊れてもボクは困らないしいっか♪
「こんにちはー!あびから来ましたー。担当の者でーす」
扉を叩きながら、自身の来訪を告げる。
しかし返事はなく、一向に扉が開かれる気配もなかった。
は?何?どういうこと?……間違えた?だとしたら教えてくれてもよくない?しかも居留守だし。殺し屋相手にそれバレないとでも思ってるの?おめでたいんだねー。
仕方ないし、ちょーっと派手なことしても怒られないよね♪
「もし三秒以内にここ開けないんだったら〜…その辺の人に発砲しまーす♪さーん!にー!いー…」
重いだけだから、銃なんて持ってきてないんだけどね?まあどうせ開くでしょ。
開かなかったら〜……斬り捨てればいっか。銃だろうが刀だろうが誤差誤差♪
カウントを最後まで言い切ろうとしたその時に、慌てた様子で扉が開かれ、中から使用人らしい男が出てきた。
「ちょちょちょ、待って、待ってください!!今開けましたから!!」
「なーんだ。やっぱりいるじゃん。呼びつけたのそっちなんだから、最初っから素直に開けてくれるー?」
「す、すいません!ちょっと立て込んでまして…」
「そっちの事情なんて知らない、関係ない。無駄口叩いてないで、さっさと依頼人のとこに案内して」
「は、はいっ! こ、こちらです…」
使用人は怯えた様子で、廊下を進み案内する。
そんな怯えなくたっていいのに。
あ、もしかして熊に脅えてるとか?そんなのすぐ殺してあげるから、安心してよね〜♪
案内に着いて行きながら廊下を進んでいると、使用人が一つの部屋の前で立ち止まった。
襖をノックし、中にいるであろう人物に言葉を告げる。
「族長様、お客様をお連れいたしました」
「……入れ」
中からは返ってきた短い返答を聞くと、使用人は襖を開き、どうぞというジェスチャーをしてくる。
あぁ一人で行けってこと?まあ、いいけど。
敷居を跨いで、部屋の中に足を踏み入れる。
内装は外観と同じで、和風な造りとなっているようで、部屋中央には高価そうな一枚板のローテーブル、その奥には族長と思わしき人物が座っている。
「ご依頼ありがとうございます!お初にお目もじいたしますは、あび所属 四季送りが一人。ウツタヒメと申します♪どうぞお見知りおきを」
スカートの端を少しつまみ、カーテシーを披露する。
和風なこの部屋と、カーテシーはちぐはぐだが、案外様になっている。
初対面は最初が肝心♪ちゃんと考えてきたんだから!
族長の様子を伺ってみると、困惑しているようで、呆気になってカーテシーを見つめていた。
おおよそ身長通りの年齢だと思われているのだろう。
全然違うけどね。教えてあげる義理もないから、教えてあーげないっ♪
「……随分と若い。本当にあんたで大丈夫なんだろうな?これはおままごとじゃないんだぞ?」
「えー!いきなりめっちゃ失礼なんですけどー?!…そんなに心配なら、戦ってあげてもいいよ?」
暫しの沈黙の後、言葉が返ってくる。
「…いや、大丈夫だ。そこまで言うということは、相当な自身がおありの様子…。精々期待を裏切らないように」
ちぇっ。つれないのー。
「はいはーい。……で、早速だけど詳しい依頼内容教えてくれる?」
「事前に依頼した通り、熊退治というのは変わらない。が、ここら一帯の熊を支配している親玉がいる。熊が里にまで降りてくるようになったのは、そいつが現れてからだ。だからそいつを倒してほしい。何か質問は?」
なるほどね〜……一体倒すだけでいいんだ?
でもわざわざ依頼してくる、って事はもう人喰われてんじゃない?味知っちゃってんならもう手遅れでしょ。
「んー…親玉殺すだけで、はいおしまい!とは行かないと思うな〜。だってもう一人くらいは喰われてるでしょ?それとも、皆殺しにしろってこと?」
ぶっちゃけできるかできないかで言えば、できる。でも面倒臭いとかいう次元じゃないよねー。
有刺鉄線でも張って、残党は対策してくんないかな。
「それについては、柵を張ってなんとかする。とりあえずは親玉を駆除してくれ」
「…ふーん、ならいっか。じゃあ親玉の特徴は?まさかその情報から集めろなんて言わないよね?」
「特徴か…。そうだな……これが滅多に姿を表さないもんで、噂でしかないんだが…」
なんて前置きをしながら、族長は言葉を続ける。
「他の熊よりもひとまわりもふたまわりも大きく、知能が高い、とのことだ。」
はぁ?つまり知ってる情報は図体がでかいだけ?何それ。知らないのと同じじゃん。
あまりの無能具合に、ため息が漏れ出るのが止められなかった。
「……ゼロから集めろってことね?なら一日はかかるから。色々提供してよねー」
「幸い空き部屋がある。そこを寝泊まりできるように整えておこう」
「あ、そうそう。毎食後はデザート付けてよね♪糖分はエネルギーとして最強なんだから♪」
「っな…!?毎食!?」
「別にボクは今すぐ帰ったっていいんだけど」
沈黙が流れ、族長が観念したように口を開く。
「………果物でもいいか?」
「えー…?…無い物ねだりしてもしょうがないか〜…まぁいいよ」
「じゃ、情報収集してくるから、色々よろしく〜。お世話になりまーす」
もうこれ以上話すことな何もない。
立ち上がり、襖を開け部屋から出る。
さてっ!まずは聞き込みかな〜。歓迎どころか警戒されてるけど、そんなの知ったこっちゃないもんね〜♪
来た道を戻り玄関口へ向かっていると、背後からドタドタとこちらへ走ってくる音が聞こえてくる。
何?五月蝿いなぁ…もっと静かに走れない?
「たぁーー!!」
アホっぽい掛け声を上げながら、少年が刀を振り上げ迫ってくる。その顔に浮かぶ表情には討ち取ったり!と書いてあるようで、自信満々であった。
本当に何?意味わかんなすぎて怖いんですけど。
当惑する心とは裏腹に、冷静に刀を抜き、迫り来る刃を受け止める。
鋭い金属音が辺りに響く。
少年の方はと言うと、受け止められるとは露ほども思っていなかったのか、驚愕している。
「なんの真似?ボク今忙しいから迷惑なんですけどー?」
クレームを口にしながら、少年を観察する。
身長はボクと同じくらい。なんなら若干ボクのが高い?
どこから走ってきたのかは知らないが、既に息が上がっており肩で息をしている。
こちらが少年のことを観察しているように、少年もこちらを観察していた。とは言っても、少年の視線は刀に固定されているようだ。
こんな弱いのによく仕掛けてきたね?ああでも刀は良いやつだ。身の丈にあってないけど。勿体なーい!
少年の手に握られている刀は、匠の逸品と言っても差し支えない。刀身は白く美しく、光を受ける度に淡く揺れ、重なり合う蕾を思わせる刃文が浮かび上がる。
本当に良いやつだね…?なんでそんなの持って……あぁ、ここ刀造ってんだっけ?なら納得かも。
「お前の力を借りなくたって熊退治くらい、俺らでできる!!」
息が整いきらない少年が、こちらを睨みつけながら叫んだ。
「はぁ〜?あんたらで何とかできなかったから、ボクが呼ばれたに決まってんでしょ。何言ってんの?寝言は寝て言ってくれる?」
「っ……じゃ、じゃあ勝負だ!!オレとお前、どっちが速く熊の親玉を殺せるか!」
「だる…。勝手にやっててくれる?キミと違ってボクはお仕事なの」
話半分に聞き流し、その場から立ち去る。「絶対オレが勝つから!!」なんて言う声を背にしながら。
再び屋外に出て、空を見上げる。
標高が高いせいか、太陽がやけに近い。大多数にとってはいい天気でも、自分にとってはただの毒でしかない。
強い眩しさに目を細めながら、日傘を取り出す。
眩し……。山だししょうがないかなー…。日傘したら更に警戒されそー。ま、健康のが大事か。出来ればサングラスもしちゃいたいけど。
とりあえずお日様が出てる間は聞き込み、日が沈んだら山で偵察、って感じかな〜。
*
案の定、露骨に警戒された。
でも聞きたいことはだいたい聞けたしまあいっか!
熊被害は既に村の半数以上の人が体験してる…。
畑を荒らされた、干してた洗濯物を台無しにされた、倉庫の破壊…etc
特に多かったのはやっぱり畑。そしてより被害が酷いのは裕福な家。どの家もおんなじに見えるから、どこが金持ちとかさっぱりだけど。
どこを襲えば実の入りが多いか把握してる辺り、ちゃんと知能は高いんだろうね。
知恵比べとかできるかな?そしたらきっと楽しいよね♪
時刻は正確には分からないが、もうすぐ太陽が沈む。
「さてっ!いよいよお待ちかねの熊退治〜!ちょーっと頭がいいからってイキってる熊さ〜ん?首洗って待っててよね♪」
誰に聞かれているかなどは気にせず、山へと指を指し自信満々で言い放つ。
山に一歩踏み入れた時、真新しい足跡を見つけた。
その足跡は成人のものよりも遥かに小さい。自分と同じくらいか、それよりも小さく感じられる。
……馬鹿?あんな弱いのが熊に遭遇したら、パクッと食べられちゃうでしょ。ま、どうでもいっか。
*
獣道を辿って森を進んでいった。
なるべく熊の足跡が多い方へ、皮の禿げた木が多い方へと、奥へ奥へと入り込んでいく。
時折、ガサリと草が擦れる音とともに、熊やその他の動物と鉢合わせになる。こちらのことを食べ物としか見ていない表情。
ナメられてるなぁ…なんて苛立ちながら、目の前のモノを一刀両断に斬り捨てる。
「あんたらに用はないから。空気くらい読んでよねー」
斬っては捨て、斬っては捨てる……と繰り返しながら森の奥へ奥へと入り込む。
いつの間にか彼女の通った道には、真っ赤な絨毯ができている。
ヘンゼルとグレーテルのパンの目印は、小鳥に食べられて消えてしまうが、これならば安心だろう。もっとも、そんな目印は彼女にとって不要な物なのだが。
一際大きく木々が揺れ、低く野太い咆哮が聞こえてくる。びりびりと地を震わせる程の重低音に混じって、違う音――もっと言えば、人間の声が聞こえた。
「げ、先越されたか〜……しかも変に刺激してるし」
死なれたらまた親玉の居場所わかんなくなっちゃうから、急がなきゃね。
歩みを速め、音を頼りに出処に近づいていく。
一際開けた所に出た。そこには、今まで見たどの熊よりもずっと大きい熊と、小さな少年が相対している。
戦っている…とは言っても、既に勝負は決しているようなものである。それもそのはず、少年の攻撃は何も届いていない。少年の行動全てが親玉の想定通りなのか、まるで効いていない。なんなら、遊ばれている。
そろそろ少年をいたぶって遊ぶのにも飽きてきたのか、熊の空気が変わる。
今までとは違い、執拗に急所を狙うようになった。
最初の方は少年もなんとか、どうにかこうにか対処をしていたが、それも限界なようでついには地面へ倒れ伏してしまう。
そんな大きな隙を見逃すような馬鹿ではなく、腕を大きく振りかぶり、少年の頭部へ向けていまそれが振り下ろされようとしていた。
次の瞬間には少年の頭と身体は泣き別れ――と、なるはずだった。
熊の大きな爪と、刀が激しく触れ合う。不快な金属音を奏でながら、とうとう爪が弾かれる。
「あはっ 勝ったと思って油断したでしょ?だめじゃん。キミは馬鹿なんだから、最後まできっちりやらなきゃ」
少女が熊を煽る。
月光を反射し煌めく美しい白金の髪に、挑戦的に熊を射抜く紅と紫のヘテロクロミア。
こんな山の戦場には似つかわしくないほどの、可憐な美少女。
「理解できるのかは知らないけど…一応名乗ってあげるね?」
「お初にお目もじいたします!あび所属 四季送りが一人、ウツタヒメと申します。
貴方に、四季を送りに参りました♪」
名乗りもそこそこに済ませ、ウツタヒメは次の瞬間熊へと猛攻を始める。小柄な体格を活かした動きで、右へ左へ熊を翻弄していく。
熊はどんどんと対応が出来なくなっていき、段々身体への切り傷が目立つようになってくる。
「馬鹿なあんたに教えてあげる。舐めプってのはこういうこと。"遊ぶ"っていうのはこういうこと」
ウツタヒメが動きを止め、今まで左手で握っていた刀を、右手で持ち直す。
「ボクは左利きなんだ♪」
なんて口では言っているが、刀の扱いは先程の左手と遜色ないレベルに思える。利き手じゃない、というのは本当のようで、先程よりも白熱した戦いとなっている。もっとも、熊の放った攻撃は少女の髪の毛一本にすら、触れることは叶わなかった。
ようやく勝負らしい勝負が成立したものの、それも長くは続かず、ついにはまたもやワンサイドゲームと化してしまった。
そんな勝ちが確定した勝負は、ウツタヒメにとってつまらない物でしかない。
先のことが既に分かりきっていて、相手の動きも全てが想像通り。トリッキーな動きもなければ、予想を裏切ってくるような知能もない。
そんな遊びに飽きがくるのは当然であり、それに要した時間も、ほんの僅かであった。
「う〜ん……やっぱり、だめだな。人間よりは強いから楽しめるかと思ったけど…知能が、ね」
熊の爪を強く弾き返し、距離を取る。
少女は遊びが終わったことを暗に告げていた。
次の瞬間熊と、今までの光景を呆気になって見ていた少年の前から、少女の姿が描き消える。
「あ…!」
少し離れた場所から、俯瞰して戦いを見ることが出来ていた少年は、そう時間はかからずに少女の姿を再び捉えることができていた。
ふわりと宙を舞う少女の身体は、熊の上――正確には熊の頸の真上で固定されていた。
今にも頸へと振り下ろされそうな体制で、刀を構える少女の顔には、笑みが浮かんでいる。
少年は、それを不安そうに見詰めていた。
「ばいばいっ♪」
甘く可愛らしい、それでいてやけに耳に残る声が辺りに木霊する。
振り下ろされた刀は、頸へと当たり肉を斬り裂く前に、ポッキリと折れてしまう。
「…は?」
少女は驚きの表情で、地面へと落ちていく折れた刃先を、ただただ眺めていた。
✡
折れた。刀が、折れた。
なんで??どうして???
さっきまで普通だったじゃん。ありえないんだけど。
刃の入り方は正確だった。折れるわけない。本当になんで?
刀が折れた原因を考えてみるけれど、一向に正解は出ない。
そんな自分を見て、熊はチャンスと悟り猛攻撃を加えてくる。
……やばいかも。替えなんてないし、まともに戦える武器なんて護身用のナイフだけ。でも正直ほぼゴミ。
今からあびに連絡したところで、数分で来れるような距離じゃない。そもそも電波が繋がらない。
こんなことになるなら、面倒くさがらずに銃持ってくるんだった。
折れて使い物にならなくなった柄を、その辺に投げ捨てて、太もものガーターベルトに取り付けていた護身用ナイフで熊の相手をする。
そんな時、背後から声が聞こえてくる
「……やっぱり」
この場にいるのはさっきまで熊と戦っていた少年のみ。
「やっぱりってどういうこと?知ってたんならもっと早く言ってよ。折れちゃったじゃん。今原因言われても遅いってことくらいはわかるよね?」
「だってあんたのあの刀、ボロボロだったじゃん。
ろくに手入れもしてないんだから、折れるのは当然だろ?むしろ今までよく刃こぼれしてなかったよな」
「っ…えー?そうだったんだー。そっか…ボロボロ。……うん。そういえば閻魔も道具はきちんと整備しろ、って煩かったっけ。今思い出したよ」
余裕そうに答えてはみるものの、正直全くもって余裕はない。むしろ厳しい。
先程まで圧倒していた状況は180°変わって、立場が逆転していた。
それでも、今だ少女には大きな怪我はない。
これ、殺せるかなー…?縄使って首締めればワンチャンある…?でもどう締めあげる?
ん〜…やっぱ厳しいな。
せめて、剣でもいいから長身の刃物が欲しいかな〜。
負傷してるアレは使い物にならない。むしろお荷物。ここで死なれたら、血の匂いで動物が寄って来る。だから守ってあげるしかない。
アレ抱えて里まで戻る…?でもそれって依頼失敗じゃ…?
そりゃ、一件失敗したくらいじゃ閻魔は怒らないだろうね。…でも刀折って、依頼も失敗でしたー、なんてボクのプライドが許さない。許せない。
頭をフル回転させ、一つの結論を出す。
出血多量でならここからでも殺せる。体力が続くかが心配だけど……やるしかないよね。
「あーー!!もう!こんなはずじゃなかったのに!!!」
ずっと舐めてかかっていた熊への態度を改め、全力で挑むことにした。
全神経で集中し、熊と相対する。
視界の端で、少年が何か悩んでいることにも気づかないくらいに。
✡
目の前の少女が、自分のことを庇って、守ってくれていることは明白だった。
自分一人で親玉を倒せると思っていた。
結果は――惨敗。
今もずっと脚が動かないのはきっと、骨折したから。
目の前の、ウツタヒメはオレが手も足も出なかった熊を圧倒していた。
頸に刃を振り下ろして、彼女の持つ刀が折れるまでは。
本当はずっと気づいていた。昼に一度打ち合っただけだけれど、本能で理解した。
あぁ、この刀は限界だ。きっともうすぐ折れる。
予想通り、刀は折れた。一番大事なところで。
――なのに、どうしてあんたは折れない?
そんな小さなナイフで、どうして。
小さな護身用ナイフ一つで、果敢に熊と戦う少女を眺めながら、無意識自分の手にある刀――『白香』を握りこんでいた。
あ……。
この白香を貸したら彼女は、きっと熊を瞬殺できるのだろう。
白香だってダメダメな自分なんかよりも、彼女に使ってもらった方がきっと相応しい。
でも……。
嫌だ。貸したくない。
貸したが最後、白香は自分の物ではなくなってしまう気がした。
族長一族が代々受け継いできた大切な刀だから。
ちょっと前の13歳の誕生日。やっと親父から譲り受けることができた白香。それが、もう自分の物じゃなくなってしまう。
そんなのって……。
自分の中で葛藤していると、近くまでウツタヒメが飛ばされてきた。
「いったいなあもう!やるじゃん!?でもフェアじゃないと思うんだよねー その爪切らない!? フェアにいこうよー!!」
軽口を叩きながら、起き上がってまた敵へ向かっていく少女。
まだまだ全然余裕がありそうに見えるけど、ぜったいに強がりだ。既に息は上がっていて、呼吸が荒く、肩で息をしている。
「なんで……?なんで諦めないの…?」
疑問がふと口から零れていた。
「はぁ!?何?!なんか言った!!?言いたいことあるならもっとデカイ声で言ってよ!聞こえないんですけどー!?」
返答が返ってくるとは思っていなかった。
「…なんで! なんで諦めないんだよ!!? こんな…こんな絶望的な状況でさぁ!!」
「はぁ…?……ボクはワガママだからさ、依頼達成率は100%がいい。100しか認めたくない。それだけ。… あぁもうしつこいなぁ!それさっきも見たって!!ワンパターンしかないわけ!?」
え……?それだけ…?
この人になら………?でも……!!
そういえば、彼女の刀はあれだけボロボロだった。それなのに…刃こぼれだけは全くなかった。
これは――普通ならありえない。
時折、少女の楽しげな笑い声が辺りに響いた。
こんなにも危機的な状況なのに、彼女は楽しそうに笑っている。舞いのように舞いながら、全ての攻撃をうけながす。
そんな彼女から目が離せなかった。
それがなんなのか言葉には出来ない。
きっと、オレはもうウツタヒメという存在に魅せられているのだろう。
彼女はずっと楽しそうだった。もしかしたら、このまま勝ててしまうんじゃないか、と夢想するくらいには。
だが、現実はそう甘くない。
「痛……。やってくれるじゃん…?」
少女が始めて怪我を負った。
今はただの擦り傷。でもきっとこれから増えていく。致命傷だって負うかもしれない。
どれだけ強かろうと、彼女は人間。相手は熊なのだ。地力が違いすぎる。
しかも、この怪我は彼女が負わなければ、オレが負っていた。言わばウツタヒメだから擦り傷で済んだのだろう。
それは、彼女の限界がもう近いということに他ならない。
このままあいつが死んだら、オレも死ぬ。殺される。
そしたら白香も実質死ぬ。このままここで誰にも見られず、存在すら忘れられて朽ちていくだろう。
それだけは絶対に嫌だ!
白香ごと死ぬくらいなら…!!
そこで気づいた。
最初は、白香が奪われる気がして貸したくなかった。でも違う。
何もできないまま終わるのが、嫌だったんだ。
自分は村の誰よりも強い。
でも、彼女には手も足も出なかった。
だから、自分の価値を証明したかった。
結果は惨敗だったけど。
だから、決めた。
白香ごと死ぬくらいなら。
何もできなかった証だけを残して終わるくらいなら。
せめて、意味のある形で失いたい。
オレは白香の柄を強く握り込む。
手のひらが震えているのが、自分でも分かる。
重い。
でもこれは、刀の重さじゃない。
オレがここまで守りたかったもの、全部の重さだ。
「使え!!
名は『白香』。オレの…オレたちの大切な刀だ。
使いこなしてみせろよ!!!」
オレは叫びながら、ウツタヒメ目掛けて全力で白香を投げた。
✡
刀が、『白香』が宙を舞う。
一瞬、戸惑った。でもそれは一瞬だけ。
状況を正しく理解し、行動に移す。
敵の攻撃を紙一重で躱し、空中に手を伸ばす。
空に伸ばした右手が刀を掴んだ。
重い。
けれど、不思議と手に馴染む。
「ちょっともっとちゃんと投げてくれる!?危なかったんですけど!??」
鞘から刀を抜き、刀身を眺める。
「……やっぱり、いい刀だね。…最初に見た時から使いたいと思ってたんだよね〜♪ ラッキー♪」
それだけ言うと、雰囲気が変わった。
刀を返し、白香を構える。
その所作は静かで、無駄がない。
まるで、別人のようであった。
「今度こそ――おわりだね」
少女は地を蹴り、高く跳び上がった。
張り詰めた空気の中、熊が低く唸り、一歩後ずさる。
怯えているのだ。
あの、化け物が。
彼女の握る刀が熊の頸目掛けて振り下ろされる。
白香は紙でも切るように、すーっと頸を滑り落ちた。
ドサリ、という音とともに地に首が落ちる。
数秒後には熊――だった物の身体が倒れ伏す。土煙とともに。
少年がげほげほと咳き込んだ。
土煙が晴れた頃、そこに佇んでいたのはウツタヒメただ一人である。
勢いをつけて刀を振り、刀に付いた血を払う。
木々の葉の間から差し込む月光に、白香と少女が照らされた。
月明かりを受けて、白香は刃文を光らせる。
少女はどこか神秘的な空気を醸しながら、白香を鞘にしまう。
なんだか似ている。
少年は何故だかそう感じた。
"刀に選ばれる"とはこういうのを言うのかもしれない。
ウツタヒメは、何事もなかったかのように少年の近くへ歩いてきて、白香を差し出した。
「はい。返すよ。ありがとね?」
それだけだった。
「え……?」
「それにしても、いい刀だよね〜。…ボクの折れた刀どうしよっかな。ま、何とかなるか。かーえろっと」
少女は山から降りようと、歩き出していた。
少年は、そんな少女を引き留める。
「ま、待ってよ!!」
「…何?疲れたから早く寝たいんだけど」
「刀だよ刀!!なんでっ…どうして、どうして返したの…?」
「は?だってあんたのでしょ。何言ってんの?頭打ったわけ?」
「ちが…そうじゃ……。あーー!!!もう!!なんでわかんないかな。お前賢そうなのによ」
「…はぁ?何?喧嘩売ってる?そもそもその刀あんたのでしょ?違うわけ?それになんでもどうしてもないと思うんだけど」
本気で意味がわからないといった様子で、少年の質問に答える。そして続けて、
「それともそれ、くれるって言うわけ?それなら貰ってあげる♪」
ウツタヒメは軽い口ぶりで、冗談を言う。
けれど少年は、その言葉にぴくりと肩を揺らした。
「そうだよ…!」
静かに、しかし力強く少年は言う。
「これは、白香は…っ、オレの命より大事な物……だったよ……!!
でもオレじゃ使いこなせない、持ち味を引き出してやれない。
でもお前はそれを平然とやってのけた……」
「……ふーん?その持ち味とか何とかは知らないけど…。ボクは天才だよ?それが当たり前なの」
「……ムカつくけど、だろうな。さっき折れた刀だって酷使されてボロボロだったのに、刃こぼれは全くなかった………これが意味する所はお前の腕がいいってことでしかない」
少女は、腕を褒められたことに対して、満足そうに頷きながら、少年の言葉を聞いていた。
「だからこれを、『白香』をやる。お前は刀に選ばれているから。……だからって乱暴に扱ってさっきみたいに折るとか許さねーからな?」
少年はウツタヒメに白香を差し出す。
彼女はその様子を見下ろしている。
「えっ、本当!?いいの〜?…じゃあこれは今からボクの。今更返せなんて言われても絶対返さないから♪」
白香を受け取り、構えてみせる。
「うんうん、いい感じ♪ みんなに自慢しよーっと!」
少女は嬉しそうに白香を見つめては、くるくるとその場で回っていた。
自分だけの物ができた。それが余程嬉しいのだろうか。
「手入れちゃんとして大切にしろよ」
「どうやるの?血拭くだけじゃだめなの?」
「……お前さぁ…。…もういいよ。朝ここ出る前に教えてやる」
「はいは〜い。じゃ、戻るよ」
少女は刀をしまい、村へ向けて歩きだす。
そんなウツタヒメを少年はまたもや引き留める。
「…待て」
「何?まだ何かあんの?小分けにしないで纏め」
「足が動かないから、オレも連れてってくれ」
ウツタヒメの文句の言葉を遮り、少年が気恥ずかしそうに頼んだ。
「………お前さ…まいいや」
何か言いかけるがそれを飲み込み、少年を肩に担いで山を降りていく。
「ちょっ!もっとこう…おんぶとかあるだろ!!」
「何?文句あるなら置いてくけど。これくれたから助けてあげるだけ。忘れないでよねー」
少女は文句を言われても歩調を緩めることはなく、刀のお礼だと言わんばかりであった。
「……じゃない。"これ"じゃない。その刀の名前は」
少年が白香の名を言いかけたところで、
「白香でしょ。二回も言われなくても分かるから」
その言葉に、少年は文句を続けるのをやめた。
そのまま夜は更けていく。
✡
血が滴り落ちる。
地面を舐める死体共を見下ろしては、少女がため息をつく。
「はぁ…やっぱりつまんないなぁ。もっと絶体絶命!大ピンチ!!……みたいなの求めてるんだけど」
刀に付着した血を拭き取りながらボヤいている。
「白香が折れたらそうなるんだろうね〜。……まあそんなことは絶対無いわけだけど。こうしてお手入れもちゃんとしてるしね〜♪」
納刀しながら、絶対に起こりえないこととして、もしもを語る。
「さ、かーえろっと。今日のご飯なんだろ?楽しみ〜!」
少女はその場を後にした。
残るのは血を抜かれ、真っ白な肌となった死体のみ。
月冴ゆる @Strawberry_TRPG
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