炎のそばで

芙萼実

第1話

導入


「時よ、時を、長くあれ、さすれば幸せ訪れる。いつかいつかのおまじない。」

天使由来の無垢なまじないだ。

たもとにはひときわ小さなろうそくが灯っていた。天使たちはそのろうそくで暖を取る。炎の先は絹のような柔らかさをしていて、天使は頬を寄せてはゆらめく炎と夢の間で、暖かい朝が来るように願う。


時よ、時を、長くあれ。さすれば幸せ訪れる

    いつか、いつかのおまじない。


天使たちにはこの世はつめたすぎる。

楽園とは程遠い風景の彩りの。極彩色の終わった世界には色など残らずにありました。それに心はひどく冷たくなったのです。


あぁ、あたたまりたい。


天使たちは炎を探します。幸いにもこのあたりには実に様々なろうそくがありました。まるまると太った割に弱い炎のろうそくや、捻くれ芸術となったろうそく、2つ寄り添いひとつの炎で灯るろうそく。

どれにも美しさはあるのですが、天使たちの求める熱には足りませんでした。わがままを言うなら無垢な方が好みだった。どの美しさも天使たちは疲れてしまうのです。

そんな中ぽっと現れた、小さな小さなろうそくが特別気に入りました。天使たちはこれに決めた。

冷たさに震えて身を寄せるしかなかった天使たちは、ようやく安心して過ごせそうな炎を見つけることができて胸を撫で下ろしました。小さい小さいろうそくはその姿に見合わずよく熱を放つ。天使たちは熱に火照りうっとりと眺めるのです。ろうそくがよだれのように垂れていました。


天使のひとりが歌います

「時よ、時を、長くあれ、さすれば幸せ訪れる。いつかいつかのおまじない」

このあたたかさが心地良い。

あぁずっと続けばいいのにな、と言うのです。顔を見合わせみなも頷いて、歌います。天使たちのベルのような声がいつか、いつかのおまじないを願うのです。

チリン、カラン、…コロロン、

いつか、いつかのおまじないを。


ひとねむりした天使たちは、この炎で遊び始めます。みんなで手をつなぎろうそくを中心に輪になりくるくると回ります。影が外に伸びてメリーゴーランドのようでした。

それを見たろうそくの炎はパチパチと音を立てるのです。にこりと笑った天使たちは羽で冷たい風から守ってあげます。あたしたちと一緒にいてくれるろうそくへの感謝でした。

あるときには、ろうそくの溶けて落ちたよだれを拭ってきれいにしてあげました。ベトベトになったそれを拭ってみる。なんだかひとまわり小さくなったように感じた。

あるときには、とある天使がふぅーっと炎に息を吹きかけます。ろうそくはやり返すようにぶわっと一瞬炎を広げ、天使の肌を掠めます。きゃいきゃいと声をあげて笑う。ひとつのろうそくかあるだけで風景は、何物にも変えられない【あたたかさ】であったでしょう。


チリン、チリリン、カラン……コロ…

何日経ったか、きょうもまじないを唱えます。長くあれ、さすれば幸せ訪れる。


しかしその音に引き寄せられるものもいるのです。

【死神】でした。

この世の寒さにも強く、ろうそくで暖を取ることはありませんでした。目を持たずにいるので、光を見つけることも闇に紛れることもない。だけど天使たちの声を頼りにやってきます。

カラン、コロン、

音がするのはこの家だ。まだまだ祈りの歌が聞こえる。カラン、コロン、リンリロン…

死神はじっとりと、壁の向こうで待っているのです。柔らかなのだろうろうの匂いは壁の外にも漂う。ミルクのほんのりとした甘い匂いが死神とは真逆であった。きっと内側では天使がろうそくを囲んで夢を見ている。

天使たちの歌が聞こえるのは、ろうそくはまだ燃えているから。


それも、もう終わるでしょう、天使たちは悲しみの声が混じっています。長くあれと祈る声にも諦めが滲んだ。鈍くなるベルの音。ひとりの天使は他のろうそくを探しに行っている。歌の頻度は高くなり、ひとつひとつ音が減っていくのです。

いつか、いつかのおまじない。

天使たちはまじないをかけることしかできません。幸せの訪れを必ずしも約束はできない。

そんな力はないからです。


天使はそれを知っていますか?


ひときわ小さなろうそくは、天使たちのお気にいりでした。もう、冷たさのほうが強くなりました。頬を寄せても温もりは戻りません。

死神が壁際で待って、しばらくの時。夜が来たかのような暗闇で耳を澄ます。

すっかり、天使たちの歌声は聞こえなくなりました。お別れの言葉もなく天使たちは去る。あの賑やかだった時間は終わってしまったのです。

きっとろうそくはさみしい。

律儀な死神は、ろうそくへの挨拶のノックをします。

すぐそばへ来て、手を伸ばした。もうそれが弱々しい炎になっていることを確認しました。

ただちろちろと燃えるそれが死神には見えませんが、溶けてたれたよだれのようなろうは、処理させず、ひろがってみっともない様子でした。


ジッと、芯が燃えていく。

それ以外、音はない。

沈むように煙が落ちる。

そんな空気が蔓延っている。

部屋の壁が取り払われたかのような、永遠の暗闇が四方に広がり。これから迷い彷徨うのか。

まるで何にも願われていない存在になったようだと、ろうそくは思った。


ズッと、死神の衣擦れが聞こえて。

ふぅ、と炎に息を吹きかける。

ろうそくは、あたたかい風をここで知るのでした。

死神の口は、炎を安らかに吹き消すためにあったのです。彼が冷たさに強いのは、とてもとてもあたたかいから。

もう赤子の小指ほどもないろうそくだった塊を拾い上げて、死神はこう言います。


【良い生き様だったな】と。


それはとある呪いの言葉。


ひときわ小さなろうそくはもう芯を亡くした。煙も流れていった。もう見つけることもできない。誰の目にも入らない。

しかし、どれだけ短くとも、惨めと見られても、苦労だけであっても。


死神はこの呪いを持ってして、すべての事柄を平等に均します。誰の幸福を願うこともない。誰の不幸を願うこともない。誰もに平等に。


小さなろうそくは、死神に手を引かれこれからどこへ逝きましょう。

小さな体は初めて外へ行けるのです。

四方に広がる暗闇のどこかへ、導かれるのでしょう。しかし怯える必要はありませんでした。


死神の呪いは

   【幸せを呼ぶことができますから】

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