TOROTTORATTORATTATTA
篠宮 るな
『自由な言葉を入れてください』
『トロットラットラッタッタ』
突如若者間でこのような言葉が口ずさまれるようになった。
この言葉に意味はなく、音節も、抑揚も存在しない。もちろんなにかしらの必要性も持っていない。
強いて挙げるならば、
『
という『A』と『O』のみの母音で構成されているために生まれる、壁に滑らかに接着する吸盤のような語感と、歯の裏に吸着する感覚が、不思議と脳に吸い付くような錯覚を作り出すことだろうか。
この言葉は突如この世界に現れ、世界中で突然拡散されたが、起源をたどることに長けたネットワークの戦士たちがあらゆる書物やウェブサイトを気分任せに探索し始めたが、何故かその好奇心は、その言葉の神秘性を打ち破るには至らなかった。
何処からか突然に、天使が預言者に宣告を与えるように現れ、感化された聖人が細菌のように伝播させた言語。
「ト、ロ、ッ、ト、ラ、ッ、ト、ラ、ッ、タ、ッ、タ」
「トロットラットラッタッタ」
それが、黎明期におけるこの言葉の歴史であった。
「トロットラットラッタッタ」
あなたは、この言葉をどのように区切り、どのような抑揚を加えて口にしただろうか。
一度口に出してみよう。直観でも、熟考でも構わない。もちろん何度も出る言葉だからと、無視しても構わない。
「トロットラットラッタッタ」
どのように、区切り、どのように、音を上下しただろうか。
『トロットラットラッタッタ』は意味を持たないが、意味を持たないが故に、宿題の無い夏休みのような自由さを持っている。
世界は、この何の意味のない言葉に対して何かの意味を求め始めた。
そのために、世界はこの言葉に『言葉の最低条件』を作り上げ始めた。
「トロット、ラット、ラッタッタ」
「トロッ、トラットラ、ッタッタ」
「トロットラット、ラッタッタ」
若者達は、ガラス板を発端に、現実世界で口々に音節を創り出し、各々の抑揚で声を発する。
二日目の時だった。
若者を中心に注目を集める、電撃的な脳情報を与えることに長けた動画サイトの若者が『トロット、ラット、ラッタッタ』という音節の区切りを用いてこの言葉を騙った事により、この言葉の音節は大方『トロット、ラット、ラッタッタ』というフレーズでこの言葉を発音するようになった。
時折、先程提示した『異なる発音』を積極的誤用するような人間もこれ以降存在し続けていた。だが、そのような『逆張り』『異端』と称されていく集団は、一度定着していった語感と脳と舌が欲する魔力に抗うことが出来ず、生物の自然淘汰のように日ごとに数を少なくしていったことで、七十五日後にこの言葉の音節は『トロット、ラット、ラッタッタ』へと定着していった。
『トロットラットラッタッタ』が『トロット、ラット、ラッタッタ』へと変容していく原因を作り出した要因の一つとして、世界共通の言語家達が沸騰し始めの泡のように、『トロットラットラッタッタ』の語感を用いたリズムを用いた事も挙げられる。
四十二日後だった。電子の波に乗り慣れたベテランが、機械音声を用いて捻りないタイトルで音楽を作り出し、それが『トロット、ラット、ラッタッタ』として若者と幼年の耳をくすぐったのである。
だが、『トロットラットラッタッタ』は留まる事を知らなかった。独特の言語形態を持つ島国から発端となった『トロット、ラット、ラッタッタ』の泡は世界中から湧き出し始めたのである。
初めの電子音楽では、ベテランネットサーファーが得意とする『恋』を『トロットラットラッタッタ』に代入し、愛する音の波長に流し込でいた。
ある場所に在住する二人目は、『喜び』を『トロットラットラッタッタ』に代入し、自らの声帯を震わせて反論を述べた。
ある人は『憤怒』を。また、ある人は『憐憫』を。『油断してコップの水を零し書類を汚した虚しさ』を代入し、主張し始めていった。
簡潔に述べるならば、発端者以外の、それぞれが思い浮かぶ『トロット、ラット、ラッタッタ』が世界中で生まれ、それぞれに信者が現れ始めたのである。
これが、七十六日目から生まれた「『トロットラットラッタッタ』大爆発(以下『トロット大爆発』)である。
『トロット大爆発』が生まれた要因は、『トロットラットラッタッタ』という言葉に意味がないからである。
言語には必ず意味が付随するものであり、人間が手の届く範囲のものを抱くことが出来ないように、関連性に限界を持っているというのが常識である。
だが、『トロットラットラッタッタ』は『トロットラットラッタッタ』という言葉以上の意味の無い空白地点であり、色の付いていないキャンバスそのものであった。
いや、意味を探そうとした人間の無意識的な行動で『色の付いていないキャンバス』という意味を持ってしまった事で、歴史的起源を主張し、紛争を起こすように言葉を発する能力を持った人間が、『トロットラットラッタッタ』を争奪するようになっていったのである。
そのため、『トロット大爆発』を『トロット戦争』と称するものもいた。
意味を持った『トロットラットラッタッタ』は『エネルギー』を加速度的に産み出していった。九十日が経過した頃、電子の海で『トロットラットラッタッタ』を作り出した創生者を騙りだす人間が世界各国から現れ始めたのである。
ここから世界は歪み始めた。
九十日前に聖杯を探索した一部の戦士たちは『トロットラットラッタッタ』が『トロットラットラッタッタ』であることを主張し、偽物の創生者を言論によって否定していった。
だが、相手は現実世界において、最大の泥沙を運ぶ黄河の数百倍の泥の濁流を流し続ける電子海である。十数人、多く見積もって数十人の英雄が持つバケツで、特定の汚泥を取りきることは不可能であった。
すると、英雄たちは、日和見達と共に不思議な光景を見ることになった。
濁流の中、偽の創生神がまた別の創生神を殺し、それをまた別の創生神を殺し、殺される蟲毒が始まったのである。
一般的な英雄譚であれば、この期に乗じ民衆を結託させることで、全ての偽の神を殺し、王国が生まれるであろう。
だが、電子の世界には濁流の河川しか存在しない。濁った河川に澄んだ魚がいないように、電子の英雄は、楽観的で享楽主義である。
自滅する神たちの大立ち回りに、英雄は日和見達と共に大笑いをすることにしたのだ。
これが機であるかは分からないが、『トロットラットラッタッタ』は人殺しの凶器へと変貌していった。英雄たちや日和見達の顔を引きつらせながら。
初めは創生神同士が撃ち合っていた程度のものに過ぎなかった争いが、言語の銃が交わる際に発した火花によって、周囲で観戦していた信者の綿の如き衣服に引火し、熱意が伝播したことで争いを作り出してしまったのである。
それは、『トロットラットラッタッタ』の信者同士の話題に過ぎなかったものであった。
だが、それは時間が経つごとに、信者そのものがもともと持っていた武器を絡み合い、『トロットラットラッタッタ』以外のものを交えた戦争へと切り替わったのである。
あるものは『恋』を、ある人は『憤怒』を。また、ある人は『憐憫』を。『やるせない日常の不満』を代入し、顔を隠した信者たちに投げつけ始めたのである。
そう。『トロットラットラッタッタ』は、思いをぶつけるための方便としての意味を持ち始め、既にキャンパスからその姿を変え始めていたのである。
一線は、矢のように過ぎ去った。
九十一日と、十三時間後。治安の悪い、とある地域で『トロットラットラッタッタ』信者が、別の『トロットラットラッタッタ』信者を銃で殺害する事件が起こった。
これは、電子の河川の出来事ではなく、銃は、比喩表現を持たない直接的なモノである。
原因は、『民族』という大半が見向きもしなかった異端の『トロットラットラッタッタ』と、『宗教』という営利を結びつけることを目的とした私欲の『トロットラットラッタッタ』という、過激且つ少数派の『トロットラットラッタッタ』同士の争いだ。
『トロットラットラッタッタ』は、意味を持たない。形を持たない。
だが、ここで『トロットラットラッタッタ』は銃の姿を手に入れた。
この一発の銃弾と五百メートルから二キロまで届く音が、一億四千万平方キロメートルの陸地に緊張と恐怖を生み出した。
これが『トロットラットラッタッタ』が電子の海の天井にあるガラス板を打ち破り、地上に降り立った瞬間である。
『トロットラットラッタッタ』によって、現実世界に殺害事件が起こった事を認知した現実は、対抗策を取り始めた。
だが、対策をとればとる程、状況は悪化していくということを、現実世界の代表者たちは理解していなかった。
例えば、殺人が起こった国家の対応だ。その国家の民衆代表者は『トロットラットラッタッタ』という言葉に対して言及をし、言葉の使用を控えるように命令を下した。そうしなければ、現実において予防策を取れないからである。
だが、『トロットラットラッタッタ』は細菌やウイルスのような感染症ではない。ネットの濁流のぽつりと浮かび、広がった意味を持たない言葉である。
本来意味を持ち得なかった『トロットラットラッタッタ』は今や数十万意味の『トロットラットラッタッタ』があり、数千万の『トロットラットラッタッタ』信者がそれぞれの『トロットラットラッタッタ』を有していたのだ。
これによって『トロットラットラッタッタ』は、現代機器に疎い人々にも伝播したことで恐怖の共通概念を持ち始めた。
『恋』は怒りを抱いた。『トロットラットラッタッタ』は崇高な物であり、恐れるものではないというのが通説だったからである。
『憤怒』は喜んだ。『トロットラットラッタッタ』が脅威であると認められたからである。
『憐憫』は悔しがった。『トロットラットラッタッタ』は抱えるべきものであり、国家の主張は似て非なる概念であったからである。
そして……『不満』は政府を批判し、デモを行った。『トロットラットラッタッタ』なんて、どうでもよかったからである。
その他の『国家』にも似たような事象は起こっていたが、唯一例外があった。
それは、『トロットラットラッタッタ』で音楽を初めて作った、泡の発生源たる島国である。
彼らはほとんどが様々な言語で交わされる『トロットラットラッタッタ』を理解することが出来ず、『トロットラットラッタッタ』を意味無い言葉として、もてはやし、遊び倒すこと以外の事を考えていなかったからである。
そんな独立した河川の濁流を眺めていた島国の代表者は、敢えて放置を決め込むことにした。
すると、『世界』の喧騒をよそに、百五十日ほど経った頃には島国の『トロットラットラッタッタ』はその国以外が持つ共通語という認識となっていた。
蚊帳の外では、世界の『トロットラットラッタッタ』が猛威を振るっていた。
ある時は銃、またある時は剣。またある時は毒物の形を取るようになった『トロットラットラッタッタ』は、現実世界にある変化をもたらすようになった。
コミュニケーションツールとしての役割だ。
例えば、ある場所では、『トロットラットラッタッタ』は愛を囁く浮ついた言葉へと変化していた。
またある場所では、喧嘩の罵声が『ト』と『ロ』と『ラ』と『タ』だけで構成されるようになっていた。
そんな喧嘩が路上で行われていると、母親に抱かれた赤ん坊が『トロットラットラッタッタ』と泣き喚き始めた。
『トロットラットラッタッタ』は、言語を『侵食』し、言葉を『トロットラットラッタッタ』する意味を有するようになっていたのだ。
十三か月後。
世界中で『トロットラットラッタッタ』という叫び声が響いていた。
そこでは、ある『トロットラットラッタッタ』陣営と、『トロットラットラッタッタ』陣営が対立し、言い争いをしていたのだ。
片方の『トロットラットラッタッタ』の代表者は『トロットラットラッタッタ』と言って、武器を構えた。
もう片方である『トロットラットラッタッタ』の代表者は、『トロットラットラッタッタ』と言って、両手を挙げ、説得するように優し気な表情で『トロットラットラッタッタ』に語りかけていた。
突然『トロットラットラッタッタ』声が鳴った。
一瞬の静寂の後、『トロットラットラッタッタ』は片方の『トロットラットラッタッタ』と同じ意味の『トロットラットラッタッタ』を叫んで、鬼のような形相で『トロットラットラッタッタ』達に殴り込んだ。
『トロットラットラッタッタ』も『トロットラットラッタッタ』に反撃し、本格的な『トロットラットラッタッタ』が始まる。『トロットラットラッタッタ』の音や爆弾の爆発音が響き、『トロットラットラッタッタ』飛沫が辺りに散り始める『トロットラットラッタッタ』が始まった。
『トロットラットラッタッタ』は、『トロットラットラッタッタ』中を巻き込んだ。
『トロットラットラッタッタ』は、『トロットラットラッタッタ』の影響で『トロットラットラッタッタ』した。
それだけではない。
『トロットラットラッタッタ』は『トロットラットラッタッタ』になってしまったことで、『トロットラットラッタッタ』してしまった。
『トロットラットラッタッタ』が『トロットラットラッタッタ』し、『トロットラットラッタッタ』していく。
そんな『トロットラットラッタッタ』の最中、『トロットラットラッタッタ』に巻き込まれてしまった『トロットラットラッタッタ』が叫んだ。
「もうやめて! こんな『言葉』、もう聞きたくない!」
その『トロットラットラッタッタ』は、一年前まで意識不明状態となっていたさほど裕福でない『トロットラットラッタッタ』であり、『トロットラットラッタッタ』に触れたことが無く、目が覚めた時にこの意味の分からない言葉が蔓延る世界となっていた。
ただ、偶然にも『トロットラットラッタッタ』を認識していなかった少女である。
その偶然が、歪んだ世界を引き戻していった。
「あぁ。私たちはどうしてこの言葉を『愛して』いたのだろう」
「そうだ。私たちは何でこの言葉を『怒って』いたのだろう」
「どうして、私たちはこんな『悲しむ』事態を作ってしまったのだろう」
『恋』した人、『憤怒』を抱いた人、『憐憫』した人々は、それぞれ自身の行いを反省し、『戦争』と『戦火』の蔓延る今に憂いを抱くと同時に、世界に響く声を聞いた。
『トロットラットラッタッタ』『トロットラットラッタッタ』『トロットラットラッタッタ』
そして、同時に同じ言葉を口にすると、『トロットラットラッタッタ』と口ずさむ『ただ、便乗する者たち』に声をかけた。
「もう、そんな意味の分からない言葉を口にするな」と。
口々に人々がそう口にすると、不思議なことに『トロットラットラッタッタ』の浸食は、まるでそんなことなど初めから無かったかのように消え去っていた。
ゲジュタルト崩壊を引き起こしてしまいそうな言葉の連打であったにもかかわらず、世界が『トロットラットラッタッタ』に染まり切っていた期間というものは、僅か三日間に過ぎなかったのだ。
数日後、世界は『トロットラットラッタッタ』に特定の意味を持たせることにした。
それは、『言葉にしてはいけない言葉』という意味だ。
現在では、音楽業界においての規制音として勢力を強めていると共に、唯一世界中で通じる言葉として、愛着を持たれている。
余談だが、島国では「玩具」が無くなってしまったと、不満を口に漏らしていたそうだ。
……そうして世界が落ち着きを取り戻し、『トロットラットラッタッタ』に略語や俗称が生まれ始めたネットの濁流の中で、ある言葉が口ずさまれるようになっていた。
その言葉は──
TOROTTORATTORATTATTA 篠宮 るな @Thukuyomu
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