case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(18)
書斎には立派なデスクがあった。
書斎の体裁をとるための、お飾りの家具なのだろう。実際に誰かが使っている形跡はない。リタはデスクの足元に敷いてある絨毯をめくって、そこに錬金術で地下に繋がる穴をあけた。
小柄な自分が通れるだけの穴はこれまでどんな場所にも何度も設置してきた。手慣れた様子で頭から穴へ突っ込んでいく。途中から横穴にして、天井部分と自分の体が並行に位置するように調整していけば、地下はすぐそこだった。
埃と土の臭いに混じって、やがてなんともいえない生臭さと獣臭さが混じってきた。澱んだ空気に、かすかに死臭も混じっている。
「よっと。」
ぽこり、と小さな覗き窓を作って下を見まわたす。
空間魔法でつくられた地下広場の中心に、キマイラが繋がれていた。獅子の頭に山羊の胴体、尾は蛇という典型的な容姿だったが、その大きさが異様だった。全長5メートルはあるだろうか。よくここまで生きたまま連れてこれたものだとリタは感心する。
真っ白だったはずの胴体は血と脂で汚れたまま乾いたのだろう。毛が絡まってくっつきあい、薄汚れていた。
そして、キマイラの前でたった今派手に殴られて床に転がったのは、リュカ・アポリネールその人だった。
「暴れないように制御しとけと言ったはずだが、どうやら伝達ミスがあったようだ。」
そう言ってリュカの脇腹にブーツの先を蹴り込んだのはカルメルだった。
二人の力量は明らかだ。なのになぜリュカは反撃しないのだろう。
カルメルに殺意がないのを感じて、リタは天井から様子を見ることにした。
「無理だ…。コイツは大きくしすぎた。これ以上喰わせたら、もう俺でも抑えきれない。」
地面に膝をついて、よろよろと立ち上がったリュカの頬を、再びカルメルが殴りつけた。レモンイエローの頭が、ゆっくりと倒れて地に伏した。
「自分の立場を分かっているのか?できないんじゃない、やるんだよ。そろそろ次の餌を与えんとな。そうだ…次はお前の妹にするか?大した魔力ではないが、コイツの小腹を満たすくらいにはなるだろう?」
「やめろ…っ!」
リュカの怒号が、地下空間に響き渡った。
カルメルはうずくまっているリュカの顎を乱暴につかむと、自分を見るようにと持ち上げた。
「だったら分かるだろう?死ぬ気でやれ。」
リュカの無言を肯定と受け取ったのか、カルメルとその配下たちは高らかに踵を鳴らして出て行った。
「大丈夫ですか?」
リタは彼らの気配が完全に消えたことを確認すると、リュカの傍へと降り立った。
「部屋にいろって言ったのに。…かっこ悪いとこ見られちゃったな。」
いってぇ、と言いながらその場に座りこんだリュカは、ポケットからハンカチを取り出すとキレた口元を拭った。
「事情って、妹さんのことだったんですね。」
「そ。前から俺に目をつけてたんだろうね。俺たちは孤児でさ、物心ついた時からシャルロットと身を寄せ合って生きてきた。運よく魔力持ちだったから路上暮らしからは這い上がれたけれど、冒険者になってようやく安定したかと思えばこのザマだ。」
「シモン・ヴァレル氏もこのキマイラに?」
リタが行方不明になっていた魔術師の名前を出すと、リュカはあっさり頷いた。
「ああ。封印でダンジョンに繋がれていたのを起こしちゃってね。やめろって叫んだ時にはミンチになってたよ。同じパーティじゃなかったけどギルドに報告義務はあるあるだろう。だから遺品だけでもって装身具を拾ってたところにアイツらが現れた。その時にはもう、シャルロットは連れ去られた後だった。」
「シャルロットさんの居場所は?」
「商業地区ウェストヒルの空き店舗。探魔かけてるから無事は確認できてるんだけど。俺がここを抜け出せば、絶命するように誓約魔法をかけられてる。」
なるほど、とリタは呟いた。
「居場所が分かっているならそちらを先に救出しちゃいましょう。違法な誓約魔法の解呪が得意な知り合いがいます。腕は保障しますよ。」
まあ、誓約魔法が強ければ強いほど興奮する特殊な癖はあるが、そこは黙っておこう。
シャルロットを救出すればリュカはこちら側につくだろう。そうすれば、子どもたちを連れ出してこの屋敷を一掃できる。鉄板焼きはすぐそこにある。
けれどリュカはゆっくり立ち上がると、ため息まじりに首を横にふった。
「ここから出られないのはキミも同じだ。住み込みでの雇用形態に契約し直す時に書類にサインをしただろう。屋敷から出ようとすれば、次にミンチになるのは俺たちだよ。」
居場所は分かっているのに助けに行けない。そんな歯痒さにリュカは痣だらけの顔を歪めた。
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