case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(16)
騎士団諜報部のグレイが、魔力の高い潜在冒険者のリストからあぶりだせといっていたのは、このことだったのか。リタはようやく合点がいった。
グレイはどこまで把握していたのか?もしキマイラの存在を知っていれば、ギルドに外注しなかったはず。魔力の高い冒険者や子どもが次々と行方不明になっている、くらいだろうか。
キマイラを始末するだけなら今すぐにでもできるが、生け捕りで騎士団に引き渡すべきだとリタは悩んだ。
誰が、どうしてここまで強大なキマイラを飼っているのか。よほどうまく襲撃しなければ、このプロジェクトの黒幕は尻尾切りして逃げてしまう。殲滅するにはもう少し計画を練らないと。
床に座ってどうしたものかと悩んでいると、食事が運ばれてきた。リタの分も用意されるが、何かが入っていることを警戒して、屋敷で出されたものには手をつけなかった。目の前の食事に手をつけず見過ごすなんてリタには修行のように辛いことだったが、今は仕事中なので仕方がない。
住み込みで外出もできないので亜空間収納ポーチから携行食をとりだしてもそもそと齧る。最近仕事が立て込んでいるのでよく食べているけど、相変わらず美味しくない、とリタは心から思った。
この数年で種類も増え、ずいぶん改善されてきたとはいえ所詮携行食。見た目は棒状の焼き菓子のようだが、栄養価とエネルギー補給を最優先に作られているので、なんともいえない味と匂いにぼそぼそとした食感が特徴だ。
口の中の水分が容赦なく奪われていく。昔仕事で一緒になった若い冒険者が「洗ってない犬の臭いがする」と言っていたのを思い出してリタのテンションは一気に下がった。
ここにいる限り、この携行食を食べ続けるしかないのだ。チーズ味、あぶり豚の串焼き味、くるみ味、ドラゴンのステーキ味…色々あるが、何を食べても口の中で主張してくる洗ってない犬感。
―やってしまおう。
キマイラを生け捕りにしろという指示は出ていない。文字通り、炙り出したって言い逃れの余地はある。よし、いこう。
その夜遅く、リタは気配を消しながらそっと部屋を出た。屋敷の外には何人か護衛が立っているが、屋内は静まり返っている。ここは本拠地ではないのだろう。おそらく、キマイラや攫ってきた魔力持ちを囲っておくためだけの屋敷。
リタは2階から1階へそっと降りていく。探知魔法で地下のキマイラの居場所を探りながらたどり着いたのは書斎だった。大きな窓には年代物の厚いカーテンが引かれ、それ以外の壁には作り付けの本棚が並んでいた。
この部屋の真下にキマイラがいる。
屋敷が煉瓦作りで良かった、とリタは思った。土魔法との相性は最高だ。ここから錬金術で床の組織を組み替え、地下までの入り口を作る。災害援助ではがれきの山によく使った手法なので造作もないことだった。そこから隙をついてキマイラを仕留める。
そして明日の夜には祝杯をあげるのだ。どこで何を食べようか考えている時間が一番楽しい。
床に敷かれた絨毯をめくる。心躍らせながらリタが床に両手をついたその時、低く鋭い声がした。
「やめておきな。」
入り口を見れば、いつの間にやって来たのかリュカがドアにもたれて立っていた。
「リュカ。」
なるほど、屋敷内の警備が妙に手薄だったのは、リュカ一人で事足りるからということなのか。リタも声をかけられるまで全く気付かなかった。
「こんばんは。」
「眠れないから読書でも…ってタイプでもないよね?一応聞くけどさ、何してんの?」
下にキマイラ、目の前にリュカ・アポリネール。ここは引くべきだろう。
リタは遠のいた祝杯に深いため息をついた。
「洗ってない犬の臭いがするんです…」
「えっ?」
「私はここにいる限り、洗ってない犬の臭いがする携行食を食べるしかないんです。あれさえ潰せば、美味しいものを食べに行けるのに。」
「あー…。ハイレベルの魔術師だと思ってたけど、リタちゃんってそういう子だったよね。なんでここに来ちゃったんだか。廊下でいきなりすれ違った俺の身にもなって欲しいよ。」
リュカには、ここで戦う意志はないようだった。さっきまで張りつめていた空気がゆるみ、顔つきも喋り方もリタが知っている都市遊民のそれに戻っていた。
「とりあえず、今夜は部屋に戻ってもらっていい?」
リュカはそう言ってポケットからショコラナッツバーを取り出してリタに渡した。
「俺の夜食だから、へんなものは入ってないよ。」
「ありがたく頂戴します。それで、ヒモ男のリュカがどうしてこんなところにいるんですか?あなたほどの才があるなら、汚れ仕事を請けおわなくたって充分稼げるでしょう。」
冒険者なんて割に合わない。楽しく生きられればそれでいいと言っていたリュカが選ぶ仕事としては、どうにも違和感がぬぐえない。
「まあ…色々事情ってもんがあるのよ。」
「そうですか。ここに、アマディ・ローランという魔術師がいますよね?彼は無事ですか?」
確信を持ってそう尋ねるリタに、今度はリュカがため息をつく番だった。
「まだ生きてるよ。リタちゃんがお行儀よくお部屋に戻ってくれるなら、彼の命の保障だけはする。どう?」
「分かりました。」
リュカは小さく頷いて、やれやれといった表情で、胸の前で両手を挙げてみせた。
「それじゃレディ、部屋まで送るよ。」
「結構です。私たちが顔見知りだと知られるのは得策ではありませんから。それと、パルフェのお礼に今度は私がご馳走するという話は、なかったことにして下さい。」
「そうだね。」
ここから無事に出られたとしても、”向こう側”にいるリュカと食事に行けるかどうかはわからない。こういう仕事をしていると、別れ道ばかり。これだから冒険者は嫌なんだ、とリタは思った。
地下からは、キマイラの不気味は唸り声がかすかに聞こえていた。
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