アリス・ソレア(前編)

 長かったけれど、終始胸が高鳴りっぱなしの入学式が終わり、私は席を立った。

 隣のハンスは、主席挨拶でセロが登壇した瞬間からずっと頬を赤くしている。


 本当にセロが大好きなんだな。


 じっと見ていたら、ハンスがむっとした表情で睨んできた。


「……なんだよ? 言いたいことあるなら言えば」


「いや……すごいセロのこと好きなんだな、って思って」


「悪い? 別にそういう趣味じゃないし。普通、親友の晴れ姿はテンション上がるでしょ」


「どうだろ。そこまでは……」


「まあ、お前の考えなんてどうでもいいけどさ」


 そう言ってから、ハンスはふっと表情を引き締めた。


「一応言っとくけど、俺はまだお前を受け入れたわけじゃない。あいつは愛だ恋だに構ってる場合じゃないんだよ。お前、絶対それ目的だろ?」


 冷ややかな視線に思わず睨み返すが、

 それよりも“構ってる場合じゃない”という言葉が刺さった。


「……目的って、何かあるの? セロに」


「お前に言う義理はない。でも……最初にセロに駆け寄ったときのお前の目。あれは、別の何かがあった。それが少しだけ気にはなる」


「なに……それ?」


「知らん。でもそういう女は大抵、愛だ恋だのやつだけどな。それと……入学式要綱、持ってんだろ、お前?」


 私は凍りついた。

 胸の奥がざわつき、全身に冷や汗が走る。


「デタラメ……言わないで」


「ああ、デタラメだよ。でも“適当に言ってみたらめっちゃ動揺しまくり”って時点で、大当たりだったようだな」


「……へ?」


「本当に失くしたなら、受付に駆け込むだろ。開始ギリギリまで廊下でぼんやりさまよってるわけない。今日一日の流れ全部書いてあるんだから。大丈夫、お前? その浅い思考で卒業できんの?」


「絶対に……卒業する」


「そ。頑張れよ。要綱の件はセロには黙っとく。あいつのことだから、知ったら落ち込むだろうしな」


 悔しかった。

 でも……反論できなかった。


 単なる“色恋目当て”の女子より、私はもっと悪質だ。

 私は……彼から故郷も母親も奪った。


「えらく深刻な顔してんな。まあ無理もねぇか。どうせお前がどう思ったところで、セロは魔術バカだから」


「私は……」


 言いかけて、噛みしめるように口を閉じた。

 私は……そうじゃない。

 そんな軽い気持ちで彼に近づいたわけじゃない。


 じゃあ何なんだろう。贖罪?

 でも、それこそ彼にとっては何の意味もない。


 破滅のきっかけを作った張本人が、彼に何を差し出せるというのか。


 俯いたまま言葉を失っていると、すっと背後から女の子の声が聞こえてきた。


「キャロル・ラーセン。クラスは確認しなくていいのか? 式のとき『白の間の掲示板で確認後、速やかに教室へ』と指示があったはずだ。そこの君もだ。女の子を責めるより導くのが紳士の振る舞いというものだよ?」


 振り向くと、金色のおかっぱの小さな少女が本を胸に抱き、こちらを見つめていた。

 まるで精巧に作られた人形のようで、目だけが妙に《大人びている》。


「……あなた、誰? なんで私の名前を……」


「それは後で説明する。私たちは同じクラスだ。急ぐぞ。担任は“ストラド・ガダニ”。遅刻者に優しくない」


 そう言うと、彼女は迷いなく歩き出した。


「……おいキャロル。あの女、何なんだよ。態度でかすぎない?」


「わかんない……でも行こう」


 彼女の案内のおかげで、私とハンスは混乱することなく教室へたどり着いた。


 おかっぱちゃんは教室を一瞥すると満足げに頷き、その視線の先には……セロがいた。

 私たちを見ると、セロは柔らかく微笑んだ。


「遅かったな。心配したよ。初日から遅刻はさすがにマズイだろ?」


「悪い。ちょっとキャロルと話してて」


 ハンスがセロの隣に座る。

 私も続こうとした瞬間、おかっぱちゃんが私の袖を引いた。


「まだ開始まで少しある。来い」


 教室を出て廊下の突き当たりまで連れて行かれ、

 おかっぱちゃんはゆっくり振り向いた。


 その目は、子供のものではなかった。


「……変わったな、キャロル」


 息が止まった。


「えっと……どこかで会った?」


 おかっぱちゃんは小さく鼻で笑う。


「思い出せないか。まあ当然だろう。八年という時間は、人を変える」


「八年……?」


 胸がざわつく。

 この声、この空気……まさか。


 おかっぱちゃんは一歩近づき、

 私を覗き込むようにして言った。


「お父上のことだ。君の“過去”に関わった者を、忘れたか?」


 心臓が跳ねた。


「……まさか……アリス、さん?」


 少女はようやく微笑んだ。


「ああ、私はアリス・ソレアだ。久しぶりだな、キャロル」


「でも……身体……どうして……」


「事情がある。君を見守るには、この姿が必要だった……それだけだ」


 彼女の瞳は、深海のように静かで冷たく、それでいて懐かしい温度を持っていた。


「どうしてここに……?」


「償いだよ。君とお父上の人生を歪めた、あの日の過ちの」


 淡々と言いながら、アリスは灰色の布を取り出す。

 焼け焦げたような痕が残っていた。


「今朝、学園裏の山で遺体が見つかった。治癒魔法の講師、クレア・バンドだ。全身……炭化していた」


 思考が止まる。


「炭化……?」


 アリスはわずかに眉を寄せ、低く言った。


「プレッシ村の炎に似ていた。私は……そう


 胸の奥が冷たくなる。

 ぞわりと背筋が震える。


 プレッシ村の……あの夜の炎。


 アリスは私の手を取った。

 少女の小さな手なのに、鋼のような意志がある。


「キャロル。もし私の推測が正しければ、君は近いうちに狙われる。そして、今の君では……死ぬだろう」


 言葉が出ない。

 アリスは静かに、しかし強く告げた。


「だから私が必要なんだ。君を守るために。……そして、君がお父上と向き合える魔道師になるために」

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