第2話

「ゆづき、あれ以来だな。久しぶり。どうした?……なんか亡霊でも見るような顔してるな。」

淡い月明かりの下軽い口調で話し出すと海緒がかすかに笑う。

その表情からあの時の記憶が一気に蘇った。

手を握られ引きずられるように連れて行かれた記憶、森の中での奇妙な光景、巨大な門を通り過ぎる風の咽び泣くような音、海緒の指先の、無骨でどこか不器用な動き、耳元で囁く声ー。

「……一体なんの、冗談」

「そうだよな、実際亡霊だもんな。はは」

自分で自分にそう突っ込んで笑っているのを見てようやく我に返る。

「何言ってんの?ていうかなんで、ここにいるわけ?海緒……確かそう簡単に現世には来れないって……言ってたよな?」

問い詰めるように尋ねる。

「そんなに険しい顔するなよ。話し出すと長くなるんで、とにかく部屋に入れてくれ。……ほかの住民に見つかるだろ。」

ようやく鍵を拾いドアに差し込む。鉄製の重たい扉を開いた。

「ありがとな。お邪魔します。」

礼儀正しく玄関に入るとドアが重い音を立てて閉まる。

海緒が後ろ手にドアに鍵をかける音が静かな部屋に響く。誰もいない空間に二人きりになったことを知る。

「ゆづき。会いたかった。」

そのままドアを背に押し付けられるような態勢で海緒が目の前に立ちはだかる。

壁ドン体勢のままゆっくりと顔が近づいてくる。

「スーツ姿もかわいいな。」

「ほんとに、さっきから!何言ってんの!?」

胸に抱えた鞄で海緒から身を隠すと、近すぎる視線から目をそらす。

「フッ、照れるなよ。仕事終わりずいぶん遅いな。長いこと外で待ってたんだぜ。身体が冷え切ったし、風呂入らせて。」

「だから、いきなり人んち来て、何言ってんの!?ていうかお前元から身体冷たいし。風呂とか必要ないし。」

「はは、ばれたか。そうだよな。ゆづきとは肌をあわせた仲だもんな。なんでも知って……ちょっと、どこ行くんだ?」

海緒を無視してずかずかと室内へ上がる。

「電気つけるんだよ」

だんだんイライラしてきたので動きが雑になる。

室内灯がつき、部屋全体がいっぺんに明るくなった。

振り向くと蛍光灯の下で海緒の姿も見えなくなるんじゃないか……と思った僕の予想は見事に外れてしまう。まだ居た。

ただしよくよく見るとその姿はいくらか透けている。やはり亡霊だからか。

「明るい中で見ると尚更、ゆづきのスーツ姿たまらなく良いな。早くネクタイ取って脱がしたい。」

「寄るなよ変態……」

額に手をやる。もしかして熱でもあってこんな幻覚が見えているのならば、早く横になって休みたかった。


結局幻覚でもなくそこに海緒は居座っている。

「身体透けて向こう側見えてるし。一体全体どうなってるんだ」

「あの時と違ってここが完全に現世だからさ。やっぱり異界にいる時程には身体を再現出来ないんだよ。」

言いながら海緒の顔が近づく。僕の後頭部を海緒の手が固定し、髪にその太い指先が潜り込む。

「ただ今夜ひと晩くらいならなんとか肉体的に保てそうー」

言いながら唇を重ねられる。

「ん……」

柔らかい感触と冷たい舌先。

ソファーにゆっくりと身体を倒される。

今夜が休日前の金曜日で良かった。

いや、なに考えてるんだ。

「待って、お腹空いた。」

慌ててすり抜けるように身を起こすとキッチンへ向かう。

「何だよ、これから良いところだったのに。今から晩飯か?」

ワイシャツの汚れ防止にエプロンを急いで身につけて冷凍鍋うどんをガス火にかけていると、海緒がやって来て背中側から腕を回し抱きついてくる。

「エプロン姿もすげぇいい…」

「ホントに止めろよ!火にかけてる最中に危ないだろ。」

逃れるように身体を離すと、つい怒ってしまう。

「さっきからなんだよもう!勝手に人んち上がり込んでるんだから、大人しくしてろ。」


海緒は食事をいっさい取らないため(考えたら当たり前だけど)普段ならテレビを見ながら一人で食べる所を海緒に見られながら食べるはめになった。

「あんまりじろじろ見ないでくれない?さっきから食べにくいんだけど。」

「見られて減るもんじゃなし、ケチケチするなよ。なかなかここに来れないんだからな?めちゃくちゃ楽しみにしていた俺の気持ちを少しは理解しろよ。」

海緒が心底嬉しそうに笑っている。

「いつまでも子供みたいにフーフーしてうどん冷ましてるのもたまらなく可愛い……」

「猫舌なんだよ!」

ついキレてしまう。

「おっかねえなー。昔からゆづき、ちょいちょいそういう顔して怒ってたもんな。ま、今はもう騙されないから。本音じゃお前、俺に会えて嬉しいんだろ?」

海緒の手が頭を撫でてくる。

「俺さ、なんて言うか、今は人の心の中がよく見えるようになったんだよ。やっぱ生きてないからかな。全部言い当ててやろうか、内心じゃ早くご飯と風呂済ませて俺とベッドで……」

一気に顔が赤くなるのが自分でもわかった。

向かい側でテーブルに肘をつき、こちらを見つめながらからかうように海緒が云う。

「ゆっくり食べていいぜ。今夜ずっとここにいるからさ。」


食べ終えた食器を洗っていると海緒が背中側から声をかけてくる。

「なあ、シャワー浴びるんだろ」

「……」

「はは、無視すんなよ。」

腰に腕を回される。

「お前と俺、恋人になったんだぜ?そりゃ、そういうことくらいするだろ。」

洗い物を終えたので海緒のほうへ振り向くと、思いのほか真剣な表情をしていた。

「お前を抱きたいんだよ。」

腕の中に強く抱きしめられる。

「もちろん嫌ならはっきり断ってくれて構わないぜ。どちらにせよ明日の朝にはいなくなる。」

















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