世界を隔てる門 ver.2

燈台森広告舎

第1話

社会人になり随分経った。ここのところ毎日職場とマンションの往復だけ。

大学を卒業して間もない頃は学生の頃の友人と会う機会もあったけれど、しばらく途絶えている。

「おはよう源(みなもと)君。今朝は早いねー。その後体調はどう?あまり無理しないで。何かあったら相談に乗るから。」

「ありがとうございます。香原(こうはら)さん。」

直属の上司でいつもお世話になっている香原さんは朝が早い。

「突然入院した時は驚いたよ。急性胃腸炎だっけ?源君、痩せているし今以上ご飯食べなくなったらマジでこの世から消えちゃいそうだから。これでも結構心配したんだよ。」

「あの時はご迷惑かけちゃってすみませんでした。」

謝ると爽やかな笑顔で返される。

「いやいや、一人暮らしだって言っていたからね。面倒見てくれる人がいたらそれほど心配しないで済むんだけど。……あのさ、こんなこと聞いちゃいけないのは充分わかってはいるんだけどね。ほんとにその、いないの?」

「え?」

香原さんが耳元近くで急に小声になる。

「だからさ。面倒見てくれるひと。ほら、源君一般的に言ったらかっこいいほうじゃない?てっきり……俺がこんなこと聞くのは立場上まずいかもしれないから、無理に答えなくて勿論いいんだけどね?」

小声でごにょごにょと話す香原さんの言い回しにはどこまでも親しみが込められている。 

「あはは、いないですしかっこいいなんて言われたことすら無いですよ。香原さん僕のこと買い被りすぎです。」

他の社員の姿が増えてきたので、話をそこで中断する。

「それじゃ、今日のプレゼンの準備があるので。」

「ああ、そうか。ごめんごめん。」

香原さんがデスクに向かった後、深く息を吐く。


今一番身近にいてよく話すのが香原さんみたいな職場の人間くらいだと、ふと気づく。

高校卒業後に出来た友人とは、どこか気持ち的に垣根を感じていた。

それは就職を目前にしたライバル意識から出てくるものだったのかもしれない。

更に恋愛市場においても。

とかく大学の同期にはやたらと合コンの声をかけられたが、その理由が「だってゆづきが来るって言ったら、女子受けいいじゃん?とにかく大勢の女子集めたいんだよね。」ときた。

まるで人寄せパンダみたいな扱い。

そういう奴に限って一番目立つ女子に出す手だけはとにかく早い。

元々合コンに対して興味も持てないし、そこで出会う女子もどこか浮ついている様がどうにも好きになれなくて自然と気持ちが遠のいていった。

社会人になる前にしか真の友情は、はぐくめない。

だって社会に一歩出たらみんな競争相手になるからー。

誰が言った言葉だったっけ。

それなら自分にとっての、心を許せる友人は大学以前の人ということになる。

そうして、それなら自分に今まさに真の友人など1人としていなかった。


昼休みに社員食堂に一人でいると、やたらと他人の会話が耳に入る。

「ねー、でもほら、彼とは遠距離だし会えないのがやっぱ物足りないんだよね」

すぐそばの女性社員の声がやたらと耳に入ってくる。

「遠距離ってどれくらい離れてんの」

「半年に一度くらいしか会えないんだよね。時々我慢の限界!ってなる」

「やっぱり頻繁に会えないと心も離れちゃいそうで不安になるよね」

周りの声が気になりすぎて落ち着かない。

休憩時間に本でも読もうかと取り出したのをそっとしまう。

隣の女性社員が急にこちらを向いた。

「あれっ源さん。」

突然話しかけられて肩が震える。

「はい?」

「やだ、怖がらせた?お一人で静かだから、今まで存在に気づきませんでした~。」

平気な顔で嘘をつく。

さっきから視線がたまにこっち向いてただろ。

いたたまれずに席を立つ。こういう時の嫌な予感で過去に外れたためしがない。

「まだコーヒー飲み始めた所じゃないですか。休憩時間まだあるからここでもうちょっと休んでいきましょうよ!」

「女子トークにうまいこと乗れる自信が全く無いので遠慮しときます。」

彼女達の視線が刺さる中上手く退場することに成功する。

さっさと席を立っておいて良かった。


「そうそう、もうすぐ来週に広島のS社のコンペあるから一泊で出張あるけど。源君ほんとに、大丈夫?」

珈琲を持ったままデスクに戻ると同時に香原さんに声をかけられる。

「だいじょうぶです。資料準備しておきますね。」

「そうか。じゃあ頑張ろうね。俺も一緒だから、何かあればいつでも相談して。」

香原さんは仕事がとにかく出来る上、周りへの配慮も細やかで気が回る人だ。

香原さんの下で働けることをよく別の部署からも羨ましがられた。

「桜が咲きだしたね。風が気持ちいいから、窓少し開けたままでいい?」

香原さんがそう言うので、思わず窓の外を見る。職場の目の前の車道沿いに一本だけ植えられている桜のつぼみが開花し始めている。

「もうすぐ連休、そうかお彼岸の時期か。今年もみんなで花見に行きたいねえ。」

窓に手を置いたまま香原さんが振り向いて笑っている。


資料を作成するのに時間をかけていたら、また深夜になった。

いつも通りにバスを降りてマンションに向かう。

レモンみたいな月が薄雲の中にぼうっと光っていた。

霧が出ている時みたいな春霞。

日中の騒がしさが嘘みたいな静けさの中を深夜の道路を横切って帰路へ着く。

ふと昼間耳にした会話を思い出す。

半年に一度しか会えない程度の遠距離恋愛かー。

半年に一度でも会えるだけ羨ましいと内心思った。

相手が生きていてたまに会えるだけでも。


エレベーターは自分一人だけを乗せてしんとしたマンションをあがってゆく。

たまに住民と通路で会う時もあるけれど、さすがにこの時間帯は人なんて滅多にいない。

かすかにテレビの音と話し声がするけれど、一番奥の自分の暗い部屋に近づくにつれてしんとする。

毎日誰もいない部屋に帰ることにいつから慣れてしまったのだろう。

普段通り鞄から鍵を取り出し、鍵穴へ差し込む瞬間。

その先の非常階段の物陰からいきなり声がしたので僕はひどく驚くと同時に鍵を取り落とした。


「よお。」

顔をあげて暗がりを凝視する。

ほのかに月の光を浴びるようにして佇んでいたのはー。

「ゆづき。また会えたな。」

「……」

鍵が通路に軽い音を立てて落ちていったが、拾うこともできないままそこから目を離せずにいる。

乾いた喉の奥から声が出せるようになるまで、実際にはそれほど長い時間は立っていなかったのだろうけれども。ひどく長い時間のように感じた。


「海緒(みお)……」

ようやく出した声が震えた。

そこに立ち尽くしていたのは、あの日現世と異界を隔てる巨大な門の前で別れたはずの海緒だった。








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