愛をほどく呪文。( Go God Goo Good ―月の清掃記―)

柊野有@ひいらぎ

月の清掃隊が、見ていた。

その日、魔女は村に呪いをかけた。

村の収穫祭が終わった日、魔女が拾った少年を、村人たちが箒で打ちすえ、川に流したのだ。


••✼••


魔女は、長く生き畏れられていた。

ダークブロンドの長い髪を三つ編みにして手には杖を持ち、黒い古ぼけた長いローブをまとう。カラスが眼のかわり。

森のはずれの小さな尖った赤い屋根の家には、黒猫がいた。

村人が畏れた深緑の瞳は、いつも遠くを見ていた。


出生不明の少年は、村人とは違っていた。

黒い髪、光を灯した黒い瞳、浅黒い肌。

気立ての良い少年は、魔女を恐れなかった。

魔女が煮る薄いスープを、笑って食べた。

言われる通りに学び、多くの書物に触れた。

村人たちは、言葉を知る彼に、畏怖の眼を向けた。

その日少年は、ひとりで市場に芋を買いに出かけた。

魔女は出かけるまえに、声をかけようとし、かぶりを振った。


数日後、丸い月明かりの下、少年は戻ってきた。

川沿いに打ち捨てられた少年は、水を含み腫れ上がっていた。

魚に喰われ藻が絡んだ亡骸を、魔女は岸辺で見つけた。


••✼••


魔女は、夜通しかけ、土塊つちくれから美しい女をこしらえた。

長い金髪に包まれた優しい頬、白磁の肌。さくら色の唇と、紺碧の瞳。

たおやかに立つその姿に、すべての男が振り返り、すべての女が嫉妬した。

小さな村の市場で、魔女につき従い、美しい女は男たちを魅了した。


魔女は、その人形に「サラ」と名づけた。

サラは森の奥に住み、いつも鳥を呼んだ。

鳥たちは彼女の肩にとまり、歌うようにさえずった。


鳥を侍らせたサラに、若い男たちは夢中になった。

やがて男たちの間で血みどろの争いが始まり、 女たちは怒りに駆られ、サラを追いつめ、箒で打ち、焼いた。叫び声が森の外れまで響いた。


サラは再び、土塊つちくれから形を得た。

その夜、村は燃え、滅びた。


••✼••


サラは年老いた魔女の世話をした。

魔女が亡くなるまで、寄り添った。

サラを知らぬ人々が、森の近くに新たな村を築いた。


村の男たちは、彼女に夢中になり、サラは夜ごとの夢で誘惑した。



村人たちは山狩りを始めた。

森は燃やされ、魔女の家は焼き払われた。

サラは生き続けた。

女たちは、誰も彼女を捕らえることはできなかった。

のろいのように村は滅び、森は再生した。

サラは穏やかな毎日を過ごした。

新しくできた村は、また滅びた。


その土塊つちくれは人々を惹きつけ、翻弄し、 美女の姿で幾人もの男女を滅ぼし続けた。



また森から遠く離れた小さな村で、事件が起きた。

サラをめぐる関係の果てに、 羊小屋の中で数人の男女が血を撒き散らし、息絶えていた。 その静寂のなかで、サラはゆったりと血をすすっていた。


村人たちは呪い師を使い、サラを捕らえようとしたが、 もう見つけられなかった。


••✼••


ある日、東洋の学生、板野ヨシアキという青年がふらりと村に現れた。

黒髪短髪で黒縁眼鏡、日本から来たと話した。中肉中背の色の浅黒い青年は、煙を焚き犬笛を吹きながら、森のなかを歩きまわった。

彼は、たちまちサラを見つけてしまった。


泊まった魔女の家の奥で、彼は一枚の古びた羊皮紙を見つけた。

煤けた棚の隙間に挟まれていたそれは、まるで彼を待っていたようだった。

サラは言葉を持たなかった。


ヨシアキは、眼鏡を光らせ、無言でサラの瞳の奥にあるものを覗き込んだ。

それは、人として生きたかった渇望。

愛されぬまま形を保ち続けることへの、深い嘆きと苦しみ。


(だから僕をここに引き入れ、この紙を出してみせた)


ヨシアキは、その紙に記された奇妙な言葉を声に出さず、心の中で反芻した。

(Go God、Goo Goodか)

――直訳すれば「神に去れ、善き土塊になれ」

(なるほど。「Goo Good」とは、粘土のまま善くあれ、という願いではないんだな。もう土塊をやめたいということなのか……)ヨシアキは、つぶやいた。


サラの、生まれてから変わらないままのしっとりした肌艶の顔を見つめた。

月光が、頬をなぞる。

彼女は、 安らかな「土」に帰りたかった。


「簡単なことだ。君は、愛されたかっただけなんだ」


ヨシアキは断言した。


彼はサラの耳元に唇を寄せ、 儀式の裏に隠された「還す」呪文をささやいた。

その言葉は、小さく月の光の下で響く。


「ドゥー・グ、オーグ、ドー・グ、オグ……。ドゥー……」


呪文は、 彼女の体を構成する粒子を散り散りに分解していく。


「僕には、君の呪いは効かない。 君の身体も心も欲しいわけじゃないから……」


その言葉は、呪文を無力化し、 同時に彼女の願いを叶える『真の呪文』となった。

粘土の精霊の魂は満たされ、 元の「更地サラ」へと帰ろうとしていた。


彼女の体が完全に土塊と化す寸前、 ヨシアキは西の夜空の月を見上げ、微笑んだ。

彼は、人以外のものたちにも愛情を注ぐことができた。

深く傷ついた精霊を、丸い月が落ちる頃に空に戻した。

砕け散るサラの土塊に、 愛の言葉を贈った。

(愛しい人への言葉を届けることは、できるんだ。……日本の文豪の言葉だ)


「月が、綺麗ですね」




( 了 )

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愛をほどく呪文。( Go God Goo Good ―月の清掃記―) 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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