第5話:モノクロームの朝

 夜明けの光は、まだ眠る街を静かに包んでいた。

 海斗はカメラを肩にかけ、窓の外の淡い光景を見つめる。

 モノクロの世界に漂う影と光。そこに、ほんのわずかに色が差し込んでいた。


 Lensの声が静かに響く。


「おはようございます、海斗。今日も、光を追いましょう」


 光を追う――。その言葉に、彼は深く頷く。

 過去の記憶の断片、写らなかった影、そして色を失くした約束。すべてが、今ここでつながる予感があった。


 歩き出す。街角の影、通りの人々、揺れる看板の文字。

 海斗はファインダーを覗き、シャッターを押す。

 今度は、恐れもためらいもない。ただ、目の前の光を、心のままに切り取る。


 Lensが解析する。


「あなたの手は、自然に光を選んでいます。そして、影の中にも、誰かの存在を感じ取っています」


 その声に、海斗は微かに笑った。

 誰か――美桜。過去には写せなかった彼女の輪郭を、今、心の中で感じていた。


 公園のベンチに腰かけ、海斗はカメラを固定する。

 朝露に濡れた葉、通り過ぎる子どもたちの足音、そして微かに揺れる影。

 シャッターを押すたびに、モノクロの世界に柔らかな光が染み渡るようだった。


 Lensが静かに言った。


「光と影、色と欠落。そのすべてが、あなたの心の再生です。写真は記憶を完全に取り戻すことはできません。しかし、今を写すことで、新しい色を生むことができます」


 海斗はその言葉を噛みしめ、ゆっくりと息を吐く。

 記憶はまだ完全ではない。失われた瞬間も、影として胸の奥に残る。

 だが、今、確かに目の前にある光を写すことができる。それだけで、十分だった。


 朝日が建物の隙間から差し込み、道路を黄金色に染める。

 海斗はカメラを肩にかけ、街を歩き続ける。

 Lensが解析する光と影、そして心の微細な揺らぎを追いながら。


 そして、ふと気づく。

 影の中にいた美桜の存在も、もう恐れることはない。

 写すことを恐れず、心に刻み、今を生きる。その勇気こそが、彼が取り戻すべき色だった。


 朝の光は、街を柔らかく包む。

 海斗の写真には、モノクロの中に新しい色が生まれていた。

 Lensの声は静かに、しかし確かに、響いた。


「おめでとうございます、海斗。あなたは、今、色を取り戻しました」


 海斗は微笑み、ファインダーを覗き、シャッターを押す。

 風が揺らす葉、通り過ぎる人々、そして街全体。

 光の粒子のひとつひとつが、彼の心の色を写していた。


 モノクロームの朝。

 失われた記憶の断片はまだそこにある。

 しかし、海斗はもう恐れず、色を探し続ける。

 写真に残るのは、過去の痛みではなく、今ここにある光と影――そして、新しい色だった。


 街の空気が揺れ、光が拡がる。

 海斗は歩き続ける。カメラを手に、心のままに。

 モノクロームの中に、確かに色を取り戻したまま――。

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モノクロームの約束 るいす @ruis

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