祝い継ぐ

そうざ

Pass Down the Celebration

 母から連絡が来たのは、三日前だった。

 私は、出張先のスケジュールを何とか調整し、帰国したその足で郷里へ向かっていた。この時点で、連絡から既に数日が経過していた。

 そぼ降る雨、篠突しのつく雨、涙雨――タクシーの車窓を叩く音が、目まぐるしく変わる。

 付き合って三年になる恋人には、事前に連絡を入れておいた。予定では、帰国したら二人だけで慰労会をする筈だった。

 誰よりも大切な人、掛け替えのない人、何を置いても会いたい人。でも、慰労会は一日遅れでも二日遅れでも、来年だって出来る。これから会いに行く人には、もう誕生日が巡って来ないのだ。

 曾祖父は、数か月前から意思の疎通が出来なくなっていた。そんな状況もあり、私は仕事の忙しさにかまけ、顔を合わせる機会を失っていた。何処かで、曾祖父を待ち受けるものから目を背けようと、仕事を言い訳にしていたのかも知れない、とも思う。

 曾祖父は物静かな人だった。多くを語らない人だった。けれど、それが何だか心地好かった。実家暮らしの頃は、祖父や父よりも曾祖父の存在を側で感じていた。


              ◇


 実家の十二畳間は、お正月やお盆に親類が一堂に会した子供時代を思い起こさせる。ついさっきまで親類が膝を突き合わせていたらしいが、明日のお通夜に備え、もう引き上げていた。

 帰国すの直前に、病院じゃなくて家の方に来て、と伝えられ、その時に感情を整理したつもりだったのに、いざ対面となると涙は理性を追い遣ってしまった。

曾祖父おじいちゃんは、いつの生まれだっけ?」

「大正の最後の、西暦で言うと……何年だったかしら。うちの男系男子で百寿ひゃくじゅまで生きたのは凄い事よ」

 うちは代々男児に恵まれ難い家系で、ようやく授かっても幼くして急逝する事が多かったらしい。男系を重んじる昔の家にとって、これは由々ゆゆしき問題だったろう。

 そうなると婿養子を迎えるしかない。血の繋がりのない彼等は、幸いにして何れも長命だ。祖父は卒寿そつじゅまで生きたし、親戚の婿養子達も高齢を迎えて益々元気、父もまだ存命だ。

 けれど、婿養子との間に生まれた男児には薄命の試練が付き纏った。私の従兄弟の中にも、若くして逝ってしまった子が居る。前世の悪行。因業の血。時々そんな迷信が頭をぎる事がある。

 今なら遺伝子検査で原因を特定出来るのでは、と訴える身内も居るが、最後の男系である曾祖父はきっぱりとこれを拒絶した。もし真実が明らかになったとて、素直に納得出来る筈もないだろう。

 時代は移り変わり、もう男系、女系に執着する事はなくなった。が、それでも家系には歴然として女の方が多い。

「私が女の子だと判った時、どう思った?」

「安心したし、子供は貴女だけで充分って思った」

「でも、それが離婚の原因になったんでしょ?」

「まぁね……あの元夫ひとは男の子を望んでたから。けど、私は断固として突っねちゃった」

 そう言うと、母は眼をしばたかせながら中空を仰いだ。

 離婚から程なく、父は別の家庭を持った。今では待望の息子を授かり、幸せに暮らしているようだ。 

「あっ……曾祖父ちゃんから言い付かった事があるのよ」

 お茶を淹れていた母が、へ視線を遣った。天井の近くに神棚が奉られている。子供の頃は、あの小さなおうちに小人でも住んでいるのかと想像したものだ。

「おやしろの所に木の箱があるでしょ?」

「よく見えないけど……何かあるね」

 神棚に平たい箱が置かれているようだったが、私達の背丈では手が届かない。

「その箱を棺に入れてくれって……」

 母の声が明らかに重くなった。この話を娘にするべきか、という空気を感じた。

「いつ言われたの?」

「ほんの一週間くらい前。急に子供時代の事を話し始めた時にね」

「ずっと意識が朦朧としてたでしょ?」

「うん、だから何処までが本当の事なのか、よく分からないけど――」

 母が背後を振り返ったので、私もそちらへ視線を向けた。八畳間の蒼白い顔は、静かに天井を仰いでいる。

 屋外は騒がしい。また雨がぶり返したようだった。


             ◇◇◇


 或る年の霜月、庶民が新しい元号の『昭和』に馴染み始めた頃である。

「さて、どうしたもんかな……」

 そう言って腕組みをする惣作そうさくは、代々村長を務める飛渡ひわたり家の当主である。

 その屋敷の十二畳間にて、車座の男達が妙案を捻り出そうと根競べを続けている。

 僻遠へきえんのその村には、未だ〈褌祝へこいわい〉なる風習が残っていた。十三歳を迎える男女を成人と見做し、その証として行われる通過儀礼の一種である。

 元来、襁褓おしめの取れた幼児は下着を用いず、着物の下は裸であるが、この無防備な時代に別れを告げるべく、適齢の男児には褌が、女児には腰巻きが贈られるのである。

 この年の対象者は、惣作の一人息子である勇人ゆうと唯一人であった。

 褌の贈り主となる〈褌親へこおや〉は、当該男児の母方のおば(伯母、叔母)が務めるものとされた。万が一存在しない場合は、父方のおば、母親、姉妹が代替の候補となるが、そこにも適任者がなければ、血縁を手繰り、しかるべき女性を用立てる決まりになっていた。

 勇人は幼くして母を亡くし、姉妹は元より居ない。遠縁には幾人か年上の婦女が居たが、折悪しく前年の流感がことごとく命をさらってしまった。とは言え、血縁というだけで幼女や老婆で取り繕う程、この村の習わしは形骸化していない。〈褌祝い〉とは、極めて功利的な側面を持つあつい儀式なのである。

 残された手立ては、村の婦女子の中から養子を迎え、急拵きゅうごしらえの血縁にする事くらいかと思われた。

「矢次郎んとこの姪っ子は何歳いくつだっけか?」

「まだ四歳よっつだ、話にならん」

「留吉じいかかあは?」

中風よいよいけ老人に何が出来っかぁ」

 惣作は、相変わらずの腕組みで目を瞑っている。そんな村長を蚊帳の外にし、男達は更にかしましくなる。

「勘平の女房に一肌脱いで貰ったらどんだ?」

「馬鹿をくなっ。うちのは今、身重みおもだぁ」

「仁助あにぃの娘っ子は?」

「無理だ無理だ。腰巻を着けたばかりの処女おぼこだらぁ」

 侃々諤々かんかんがくがく喧々囂々けんけんごうごうの最中、男達は三々五々に酒を舐め始めた。酒好きの多い土地柄である。こうなるともう止まらない。

「おい、憶えてっか? 村外れに未亡人が住んどったろ?」

「あぁ、何処どっかから流れ付いた女な。中々の別嬪べっぴんと評判だった」

「実は俺も若い時分に世話んなった、ふへへっ」

「俺もだっ、ぐひひっ」

「そんでも、いつの間にか姿を消しちまったなぁ。今頃どうしとるんか」

「もうおっんどるってぇ」

「いやいや、大皺小皺になってもまだ男喰らいかも知れんてっ」

「そんなもん、金を貰ったって願い下げだぁ」

ちげぇねぇ、がはははっ」

 いつの間にか、夜這いの思い出話に花が咲いている。

 惣作は漸く腕組みを解いたが、深い溜め息を吐いただけで、怠惰そうに厠へ立った。

 障子戸を開けると、小さな人影が廊下の向こうへ消えるのが見えた。

「……勇人?」

 玄関へ向かうと、肩掛け鞄が投げ出されていた。学校から帰ったものの、十二畳間の騒がしさに気後れし、こそこそと中の様子を窺っていたと思われた。

 一事が万事、勇人は内気で覇気のない子であった。ほとんど男手一つで育てた事の反動だろうか――と、惣作は自問する。

 無事に高等小学校へ進学出来たが、相変わらず友達と呼べる者は居ないようで、専ら村の幼児ちびを遊び相手にしている。村に偶さか同じ年頃の男児が居ないとは言え、おはじきだの、綾取あやとりだのと、しまいには嬉々として飯事ままごとにまで興じる。仲睦まじい事を咎めはしない。しかし、いつまでもごっこ・・・の世界に安住出来る訳もない。〈褌祝い〉は直ぐそこに迫っている。その後も青年団に入り、徴兵検査を受け、一人前の男への節目は続くのだ。

 惣作が遣る瀬なさと共に十二畳間へ戻ると、いよいよ宴もたけなわであった。〈褌祝い〉の主役を欠いた酒宴は、夜半まで続いた。


              ◇


 惣作は、ご多分に洩れず、婿養子として飛渡家に迎えられた。屋敷には既に乳飲み子が居た。勇人は、妻の前夫との間に生まれた子であった。

 しかし、夫婦の暮らしは短過ぎた。惣作は、乳飲み子の勇人を気に掛けながら妻の葬儀に臨む事になった。飛渡家の男系男児が短命である事は、前以て聞かされていたが、妻に先立たれるとは思いも寄らない事であった。

 この家に生まれた男は、自らに呪われた血が流れている事を疑わざるを得ない。十三歳になる勇人は、どう思っているのか。

 男児を儲けようなどとはせず、はなから婿養子を迎えれば良い。しかし、この考えは浅墓に過ぎる。手放しに男系を放棄した不実な男は、未だかつて一人として存在しない。当時の世相も、家風のくびきも、一代で突破し得る程に柔軟なものではなかった。

 幸いにして、勇人はこれまで大病を患う事もなく、遂に〈褌祝い〉を受ける年齢になった。

 とは言え、この悪しき運命を断ち切る時代は来ぬものか――惣作の眠れぬ夜に終わりはなかった。


              ◇


 明くる日、曇天の川沿いを男児が一人、とぼとぼと歩いていた。

 勇人である。

 して重くない筈の風呂敷包みが、やけにずっしりと肩を引く。勇人は、何度もそれを背負い直した。

 青鷺あおさぎが一羽、細身の体を水面に映している。川辺の勇人に気付いても、悠然と魚影を探っているようだった。

 村の農業用水にもなる三越川みこしがわは、川幅を広げながら海へと向かう。下流では十間じっけん程の幅になるが、平時は水嵩みずかさが低く、葦を茂らせた砂州を目立たせている。対岸へ歩いて渡るのは、何ら難しい事ではない。

 一路、勇人の向かう先は決まっている。しかし、今にもきびすを返しそうになる自らの薄弱さと闘っていた。

 前夜の父との遣り取りが川面に浮かぶ。


『これは、今日の為に用意したさら木綿もめんだ』

 目にも鮮やかな白色が、黒ずんだ床板に映える。惣作はそこに丸餅と酒瓶を添え、一緒に風呂敷に包み、勇人に背負わせた。

 勇人は父親の瞳を真っ直ぐに視る。そこに答えを見い出そうとするが、鈍い光だけが跳ね返る。

『三腰川、分かるな?』

 こくりと頷く。

『川下へ行った事、あるな?』

 うんと頷く。

『向こう岸に古い船倉があるだろ?』

 軽く首を傾げる。

『行けば分かる』

 惣作は我が子の両肩に手を置き、心なしか声をひそめる。

『明日、その船倉へ行くんだ。父ちゃんは見送りも出来んから、早起きをして一人で仕度をするんだぞ。村の人に見付からんようにな』

 いよいよ不安に火がいたのか、勇人の顔が曇って行く。それでも惣作は言い含めた。祈りにも似た声音こわねであった。

『お前にも大人に成る時が来たんだ』


 勇人には霜月の水を冷たく感じる余裕すらなく、その意識は既に目指す対岸へ引き付けられていた。

 草生くさむした中に、傾き掛けた船倉が見える。打ち捨てられて久しく、あばら屋同然である。

 ようやく対岸の砂利を踏んだが、途端に足がすくんだ。不安だけではない。気付けば、足先が氷のようであった。

 それでも、勇人は怖ず怖ずと船倉へ歩を進める。

 背後で青鷺が飛び立った。全てから見捨てられたような感覚が、勇人を襲う。

 戸口の前まで来ると、板切れが転がっていた。掠れた筆致で『不要ノ立チ入リヲ禁ズ』と読めた。

 必要だから来たんだ――勇人は、摺り硝子の嵌まった戸に手を伸ばした。


             ◇◇◇


 いつの間にか、雨に遠い雷鳴が紛れ込んでいる。

 私は、鼓動が早まっている事に気付いた。母と二人と広過ぎる十二畳間に閉じ込められたかのような感覚に襲われる。

 母が溜め息混じりに言う。

「やっぱり、こんな話はめた方が良いわね」

 母が一人で抱え込むには重い内容なのは、もう察しが付いていた。かと言って、親戚一同に吐露したくもない。だからこそ、母娘だけの時間が選ばれたのだろう。

「最後まで聞かせて。木箱の中身と関係あるんでしょ?」

 私の誘い水に、母は安堵したように軽く微笑んだ。


             ◇◇◇


 長火鉢の鉄瓶が、埃臭い板間の真ん中で湯気を噴いている。薄暗いながらも仄かに暖かかった。

 屋内は古い釣り船が無造作に積み重ねられ、そこに手付かずの埃が堆積している。船倉と言えばまだ聞こえは良いが、我楽多がらくたの捨て所である。

 時折、背後の戸口が川風に揺らされる。その度に、土間に所在なく佇む勇人はびくっと身を縮こまらせた。

 勇人が頼れるのは、前夜に父から言い付かった事柄だけである。

『戸口で声を掛けても中から返答はないが、構わず中に入るんだ』

 待ち構えていたのは、着物に御高祖頭巾おこそずきんの人物――〈褌親〉であった。長火鉢の傍らで脚を崩し、湯気越しに勇人を見据えている。茄子紺の絹は顔の大方を覆い、僅かに窺い知れる目元も薄暗がりではおぼろな印象しか与えない。

 勇人は風呂敷包みを解き、板間に中身を並べた。

『お前の褌親を務めてくれる御人おひとおしでな。でも気にする事はない。お前は黙って従えば良い』

〈褌親〉はのそのそと勇人の許へにじり寄ると、丸餅や酒瓶には目も呉れず、折り畳まれた晒し木綿だけを引き寄せた。

 ここで何が行われるのか、父から簡単に聞かされてはいた。〈褌親〉が板間を指し示したので、勇人はそそくさと草鞋を脱ぎ、そこへ上がった。

〈褌親〉は目を合わせようともせず、立て膝で勇人の背後に回ると、帯に手を掛けた。

 その途端、十三歳の痩せた体が小刻みに震え出した。事前の覚悟など、現実の前には無意味に等しかった。

 しかし、〈褌親〉に躊躇は見られない。帯を解くと、着物を造作もなく剥がした。勇人はあっと言う間にあられもない姿になった。

 勇人は両手の遣り場に困り、指先で宙を掻くような仕草をするが、〈褌親〉は何も気に留めず、晒し木綿を勇人の股間に宛がうと、一方の端を捩じり始めた。

 物心を付く前から見慣れている褌が今、自らに巻き付こうしている。生地の感触と違和感、そして、見ず知らずの人間に全てを任せている事への戸惑いが、そこにあった。川風だけが饒舌であった。

 捻り上げた部分が腰に回される。蛇が絡み付くような連想と共に、されるが儘の勇人だったが、眼前の〈褌親〉から立ち昇る肌の香りは敏感に嗅ぎ取っていた。

 それは、淡い記憶の中にしか残っていない母を思わせた。晴れて成人する息子の為に、襁褓しか替えて遣れなかった我が子の為に、彼岸あちらからもどって来てくれた――そんな妄想が生まれた。

 やがて、作業は終わった。〈褌親〉は、勇人の腰骨辺りにそっと掌を添え、ほんの少し顔を上げた。一瞬、両者の眼差しが交わった。勇人は、その目に近しい物を感じた。

 ここでまた、父の言葉が頭を過ぎった。

『褌祝いは褌を締めて終わりじゃない……心配は要らん、大人に成るだけだ』

 果たして〈褌親〉のごつごつとした指が、締めたばかりの褌の隙間に忍び寄った。

 大人に成ろうとする十三歳が、再び小刻みに震え始めた。


             ◇◇◇


「今だったら性的虐待みたいな話だけど、儀式として行われてた時代があったのよね」

 二杯目のお茶を飲み干した母は、少し気が楽になったようだった。

「私、曾祖父ちゃんの褌姿を見た事がある」

 母の告白で、私も或る昔話を打ち明ける気持ちになった。

 あれは、まだ実家暮らしの頃だ。誰も居ないと思った浴室に、真っ白な褌を締めて佇む人影があった。曾祖父が褌を愛用している事は知っていたので、私はそう驚きもしなかった。

 けれど、曾祖父は違った。若い曾孫娘おんなにあられもない姿を見せてしまった、見られてしまった、という単純な反応ではなく、こちらが罪悪感を覚える程の動揺を見せた。

 場合にっては、ほんの笑い話に聞こえるかも知れない。でも、私はこの件を家族にも話してはいけないと思ったし、その後は何事もなかったかのように曾祖父と接した。

 神妙な顔で聞いていた母が言う。

「そう言えば、曾祖母おばあちゃんが言ってた。曾祖父あのひとは昔から褌だけは自分で洗うようにしてたって」

 曾祖父は生涯、同じ褌を使い続けた訳ではない。擦り切れれば、その度に新調していた。青空の下、物干し竿で揺れる白い木綿は、何気ない日常の象徴に見えたものだった。


              ◇


「手、届きそう?」

「うん、問題ない」

 私は、母が押さえるダイニングチェアに乗り、神棚から木箱を下ろした。二人共、居ても立っても居られなくなっていた。

 薄っすらと埃を付けたそれは、縦が二十センチ、横は十五センチくらいで、蓋には何も書かれていないが、上下左右に紙が貼られ、封印されていた。余程に大事な物なのか、見られたくない物なのか。

 母が表面の埃を布巾でぬぐう。

「やっぱり、初めて着けた褌が入ってるのかねぇ?」

「そうじゃなかったら、お母さんに褌祝いの話をしないよ」

 封は簡単に剥がれた。私は軽く息を呑み、そっと蓋を開けた。

「これ……褌じゃないよね?」

「素材が……木綿じゃなくて麻かな?」

 私達は、自然と顔を見合わせた。

 所々に黴の跡があるその布は、紫色に染められている。どうしたって、曾祖父の話に出て来た〈褌親〉の頭巾が頭をよぎる。

 布を取り上げると、その下に四つ折りの紙片が収められていた。記された文字は、曾祖父の筆だろう。


 ――簞笥ノ奥ヨリ見ツケシ父母ノ形見ナリ――


 木箱を曾祖父の枕元に置いた後、十二畳間のテーブルを端に避け、布団を二つ並べた。並んで休むのは何年振りだろう。

 雨音を聴きながら、眠れない時間が続く。恋人の顔を思い描いても、想像の中にしかない村の風景が覆い被さってしまう。

「お母さん……起きてる?」

「うん」

 私は、思わず上半身を起こした。

「曾祖父ちゃんが立ち聞きした村人の話だけどさ」

「うん」

「その中に出て来た未亡人って、曾祖父ちゃんの母親だったんじゃないかな。何かの事情で離婚して、村外れでひっそり暮らしてたとか」

「曾祖父ちゃんの母親は村長夫人よ。村人だったら皆、顔を知ってるでしょ」

「……曾祖父ちゃんは、母親の顔を憶えてないんだよね?」

「そうね、小さい頃に死に別れたからね」

「だったら、褌親を母親と混同してもおかしくないんじゃない?」

「だとしても、どうして父母・・の形見って書いたのかしら……」

 母もすっかり体を起こし、自分の考えを整理しようとする。

「⋯⋯あっ」

 母一人の形見ではなく、両親二人の形見――漫然とした思考から突飛な想像が生まれた。突飛でも、決して有り得ない事ではない。少なくとも私にはそう思えた。

 結局、何もも独断で決めた惣作に、村人はどんな反応を示したのだろう。


『なして一人で決めたんだや?』

『あんた等が雁首を揃えると、其方退そっちのけけで酒盛りが始まるかんな』

『んな事はっ……もうねぇよ。なぁ?』

 一同は口籠るばかりで、それ以上の抗弁には繋がらない。

『兎に角、勇人の褌祝いはもう済んだ』

『何処の女に褌親を頼んだんだや? まさか例の未亡人か?』

『知らんで良い。父親の俺が了解してればそんで良いんだ』

『それはそうかも知らんが、同じ村の者として気にな――』

『これは親子の問題だっ、勇人あいつん事は俺が一番よっく知っとるでっ』

 惣作はそれ切り押し黙ってしまう。余りの剣幕に村人も押し黙ってしまう――そんな想像が脳裏を駆け巡った。


「惣作さんって、どんな人だったのかな?」

「私も会った事がないからねぇ。お寺の過去帳に拠ると――」

 息子の〈褌祝い〉から間もなく、惣作は日中戦争に出征し、戦地で帰らぬ人となった。まだ二十代だった。

 大黒柱を失った飛越家が悲嘆に暮れている最中、時代は太平洋戦争へ突入する。やがて戦況が混迷を深めた頃、曾祖父の許にも赤紙が届いた。大戦末期の学徒出陣だった。物静かで争い事を好まない曾祖父の心中は、察するに余りある。

 幸いにして、間もなく終戦となり、曾祖父は再び故郷への帰還を果たした。その後、曾祖父は早々はやばやと婿養子に迎え、自らは生涯独身を貫いた。短命の血脈を断ち切らんが為の決断、とばかり思っていたが、本当にそれだけが理由だろうか。

 考えれば考える程、頭が冴えてしまう。相変わらずの雨も眠りの邪魔をする。目を瞑り、常夜灯の薄明りを遮っても、想像の光景が有り有りと浮かんで来るのだ。

 茄子紺の頭巾は、〈褌親〉が自らの正体を隠す為に用いられたに違いない。発語障害というのも、その声から覚られない為の方便だったのではないか。

 飛渡家の箪笥から頭巾を持ち出し、それをまた元に戻せる人間は誰か。母の形見でもあり、父の形見でもある、という意味を斟酌すれば、自ずと察しが付く。

「……!」

 私は咄嗟に声を上げそうになり、慌てて顔を掛け布団で覆った。

 惣作にとって勇人は血の繋がりのない連れ子だった。が、そこに愛情がなかったとは思わない。

 けれど、そこに村の習わしが重く圧し掛かった時、愛情は或る種の歪みを生じさせ、惣作を或る行動に走らせたのではないか。

 独身を貫いた曾祖父。褌姿を見られた時の、恥じらいのような動揺。隠し通す事を決めた、隠し通さざるを得なかった秘密――。

「どうしたの? 何か気付いた?」

 常夜灯の薄明りが、母の表情を一層、不安気に見せる。

「……ううん、推測の域を出ない事ばかりで」

「そうね」

「あの頭巾さ、最後のお別れの時にりげなく棺に入れてあげよう」

 親戚に変に詮索されないように――母は私の言外を読み取ってくれたのか、それが良いわね、とだけ応えた。

 明日は一旦アパートへ戻り、喪服を用意し、取って返してお通夜の準備――それまでに少しくらい時間が作れるだろう。明日はあの人も仕事が休みの筈だ。

「お母さん、まだ起きてる?」

「起きてるわよ」

 こちらへ身をひるがえす母に、私は正面を切って告げた。

「明日、会って欲しい人が居るの」

「こんな時に?」

「昼間、少しで良いから時間が欲しい」

 話すとしたら今だろう、と感じていた。いつの間にか鼓動の高鳴りは収まり、不思議なくらい声は軽やかだった。

 今はまだパートナーとしか呼べないけれど、恋人として紹介したい存在。隠さなければいけない理由なんてない。もうそんな時代ではないだろう。

 夜が柔らかい静寂に包まれている。雨はもう上がっているのかも知れない。

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