第3話
君たちが訊ねていることについて、その答えの準備は、まずまず僕に整っていると言ってもよさそうだ。というのは、こういうわけだ。つい先日のことだったが、僕はたまたま、路地でこういうやりとりが交わされるのを聞いたのだ。
有名な話だから、君も聞いたことがあるかもしれないが、君に話した人は、きっと僕よりも正確に話さなかったんじゃないかと思う。それだから、あの堅忍不抜の英雄、煉獄から帰還した男のことを誤解するのだ。僕が彼の熱心な擁護者であることは、君たちも知っているね。
まずざっとこうなのだ──。いや、むしろ、その路地の人が話していたままを最初から、話すことにしよう。
男:地獄にも名高きミューズよ、私にかの男の物語をして下され、
ミューズ:さてもこの頃、険しい死の運命を免れたものどもは、故郷たる地獄にとどまり、彼らの永遠の造形物たる煉獄界をながめていたが、ひとりかの男のみはプラトーンがかつて語ったとおり、天上の女神によるくじ引きを受けていた。
現世の儚き生を愉しまず、自らの徳に従い、その期限が来る前に命を投げ出され、死の審判を受ける姿に神々はこぞってかの男を憐れまれたが、天上の女神のみは期限を守らぬのに激昂なさった。ゆえに、太古より神々の用いたるくじ引きで、転生の処分をすることになったのだが、一際慈悲深い主神ゼウスはくじに細工せしめ、地獄へと転生するように図られた。
折しもかの男、傀儡屠りしレイの魂が天上の女神の元へたどり着き、勇猛な甲高き声でもっていうには
「異世界転生ってやつ? チート能力くれんの? どんな能力でもいい? じゃあ、あれだ、どんなスキルでも、っつーか、望んだ能力を手に入れられる能力。」
こういい放つも、その謎掛け難解極まり、神々も意味を解すること叶わず、もはや一刻も待てぬ天上の女神はくじを引かれ、ゼウスの図られた通り、かの男は地獄に転生することと相成った。
かの男が転生した後、くじに細工の後を認められた天上の女神は更に憤慨し、ゼウスを詰問していうには、
「おお、慈悲深き主神ゼウスよなぜかの男を地獄に転生させ、お救いになるのか。神々で定めた期限を守らず、自ら死にゆくことは、私たちへの侮辱ではありませんか」
それに答えて曰く、
「女神よ、そなたが憤慨するのももっともだ。だが、我々はかの男が自らの徳に準じたことを、慈悲深く見なければならない。無力な赤児に転生したことを罰とし、赦してやるわけにはいくまいか」
というと、他の神々も同意され、喝采を送られた。ところが天上の女神、怒りは収まらず、すでに地獄へ転生していたかの男を、煉獄へと堕天するよう図った。
神々はその所業を恐れたが、もはや止める手段もなく、プロメテウスのための永遠の造形物、流転する街、生き続け、消え続ける罰たる煉獄へと、かの男は送られた。
天上の女神は鉾を収めることなく、かの男に更なる苦難を与えるべく、煉獄に二つの使者を送られた。忘れられたプロメテウスの被造物たる人間の被造物たる蚕と、さらにその被造物たる生糸である。卑しき身の上とはいえ女神の使者として送られるからには、相応しき容貌をしていなければならぬ、と、女神は二つを女神の似姿に捏ね上げ、煉獄に住まわせた。それを見た、険しい死の運命を免れたものどもは喜んだ。
地獄より煉獄へと堕ちる道遠く、三百年もの月日流れたり。煉獄は恐ろしい時間の流れる世界なれば、蚕と生糸も己の使命を忘れて放浪し、別れ、再び合わさり、と、期せずしてかの男の育ての親となってしまった。女神はしかし、どのような形であれ、かの男を煉獄に住まわせることが叶えばよい、との考えであったので、満足なされた。
さしものレイも、転生し、ものの分からぬ赤児になっては型無しで、蚕と生糸に惑わされ、まんまと育てられていたが、あるとき煉獄の様子を見ていたゼウスがその様子を見つけられた。女神の蛮行に呆れた慈悲深き主神ゼウスは、その計らいでレイに前世の記憶を取り戻させ、かの男にそれ以上の手助けは不要だと思われ、地獄に戻るまで見守ることにされた。
ゼウスの計らいで目を開いたかの男は、しかし、蚕と生糸に育ての恩を感じ、しばしそれに報いるべく働いた。だが、煉獄にたどり着いて十年経ったころ、蚕と生糸が煉獄の恐ろしい月日の流れに逆らいうるわけが、煉獄を生かし続け、殺し続けるもの、すなわち地獄より溢れる真名の水にあることを知った。かの男の徳は、真名の水に生かされている神々の傀儡に甘んじることを許さず、煉獄を遡り、地獄へと帰還することを決意した。
その折、ゼウスの計らいに気がついた天上の女神は、蚕と生糸の目を開き、かの男を煉獄に住まわせ続けようと画策した。目を開いた生糸、堅忍不抜のレイにいうには、
「地獄に行くなんて、聞いたことないよ。どんなところか、私は知っているよ。暗くて、怖いところなんだ。しかも、レイはまだ十年しか生きていないじゃないか。私はもう三百年は生きているけれど、この生活から出たいと思ったことはないよ。レイも、それがわかったころには遅いってことになるんじゃないかな。そうだ、地獄に遡ろうとした、ここの住人がどんな目にあったのか、こういう話があるんだ。
昔々、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、二人がマナの川で洗濯と水浴をしていると、川上からざぶんざぶんと、大きな赤ん坊が流れてきました。二人はその赤ん坊に、旅太郎を名付け、毎日マナを与え、たいそう可愛がりました。
二百年ほど経ったあるとき、旅太郎はおじいさんとおばあさんに、こういいました。
「わたしは旅に出ようと思います。わたしを育ててくれたのは、おじいさんとおばあさんと、それとマナです。そのマナがどこから産まれたのか、見に行ってこようと思います。」
おじいさんとおばあさんは止めましたが、旅太郎は聞きません。二人が眠っている夜のうちに、家をそっと出て、旅に出かけました。マナの川を遡り、崖をよじ登り、森を抜けると、そこには門番がいました。門番は旅太郎に言いました。
「おまえはなにものだ。ここから先は通れないぞ。」
それでも旅太郎は聞きません。
「わたしは旅太郎です。マナがどこから産まれたのか見たいので、ここを通ります。」
門番は腰の刀を抜き、旅太郎を切りつけました。素早い身のこなしでよけた旅太郎は、「えいや。」と、門番をなぐりつけます。
「やったな。」
門番も負けじと、旅太郎に斬りかかります。こんどはよけられません。旅太郎は胸を切られ、ひるんだすきに縄で捕らえられます。旅太郎は叫びます。
「わたしはぜったいにここを通るんだ。」
それを見ていた天上の女神が、捕まっていた旅太郎に雷を落としたので、旅太郎は真っ黒に焦げて死んでしまいました。
門番は旅太郎におもしをたくさんつけて、マナの川底に沈めました。
こうして、旅太郎は川底で声もあげられず、おぼれつづけているといいます。
おしまい。」
それに返して、かの男がいうには
「いいや、おれは絶対に地獄の魔王を倒して勇者になるんだ。二人が止めてもダメだぜ。というか、そんなに必死に止めるってことはアヤシイな。お前も魔王の手下だな。こらしめてやる。」
というと、ゼウスもご照覧あれ、生糸に踊りかかり、首の骨を折って殺してしまった。それを見ていた蚕も黙っておられず、素早い身のこなしでかの男に殴りかかった。おお、堅忍不抜のレイは矢のような速度で飛び退いて躱すと、万力を発揮して、返す刀で蚕の首の骨をも折って殺していうには、
「おれは勇者レイだ! 魔王を倒すために地獄に行くんだ!」
そのようにして街を出て、真名の水が流れる川を遡り、崖をよじ昇り、森を抜け、門番をその万力でくびり殺すと、煉獄から地獄へ通ずる真名の水の流れを見出し、ゼウスに祈願したのち、地獄へ登っていった。
さてもこの頃、神々の宴によってしたたか酔っ払い、怒りも憤りも忘れた天上の女神、レイの旅路を見て称え、「傀儡殺し」の二つ名をレイに授けていうには、
「堅忍不抜の英雄、煉獄から帰還した男、傀儡殺しのレイよ、いまは仮借なき戦いの争いをやめようぞ、さもなくば、クロノスの御子、遥かに雷を轟かすゼウスの怒りを買うかも知れぬでな。」
レイは心嬉しく女神の言葉に随った。
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