異世界転写録

寝子寝子ワンターン

第1話 猫の写真

 放課後の校舎裏、夕焼けが赤く差し込む。

 写真部の部室へ戻る途中、俺はフェンスの影で丸くなっている猫を見つけた。

 白と茶のまだら模様。

 光に照らされた毛並みが、まるで金色に輝いて見えた。


 ――あ、これはいいアングルだ。


 シャッターを切る。

 猫は一瞬だけこちらを見たが、すぐに目を閉じ、再び丸くなった。

 俺はその穏やかな姿をカメラの液晶で確認し、満足げに息を吐く。

 「かわいいなぁ~……」

 そんな独り言を呟き、カメラをしまうと、俺は何も知らぬまま帰路についた。



 ◇◇



 ――同時刻、遠い異世界。


 獣人たちが奴隷として人間に仕える帝国の片隅。

 見習い商人である青年、ネリードは、廊下の隅で一枚の紙を拾った。

 それは、見たこともない素材の薄い板に、信じられないほど精密な“絵”が焼き付けられていた。

 いや、絵ではない。

 “写し取った現実”のような、不思議なものだった。


 そこには、一匹の猫が眠っていた。

 柔らかそうな毛並み。

 小さな鼻、丸い背中、閉じられた瞼。

 ネリードは息を呑んだ。


「……なんだ、この生物は……美しさは……」


 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 理屈ではない。心が自然と震えた。

 

 それからというもの、ネリードは仕事が手につかなくなった。

 商品の売買や、帳簿をつけていても、

 頭の片隅には、あの猫の姿が浮かぶ。


「おい、どうした? 最近ぼんやりしてるぞ」

 同僚のリースが声をかける。

 ネリードは机の引き出しから、例の板を取り出した。

 「……これを見てくれ」

 「なんだこの絵は?」

 「絵じゃない。だが見てると……なんだか胸が締めつけられるんだ」

 

 リースは最初こそ笑っていたが、しばらく見つめると表情が変わった。

 「……ああ……わかる。これは……神の御姿ではないか?」


 その一言をきっかけに、噂は広がった。

 人々はその“猫の絵”を見ようと役所に押しかけ、見た者は皆、涙を流した。

 「こんな穏やかな獣の姿、見たことがない」

 「神は獣の姿で現れたのだ」


 数日後、神殿の神官たちがその板を回収にやってきた。

 「これは神託に違いない」

 そう言って彼らは厳かにそれを神殿の奥へ運び入れた。



 ◇◇



 神殿では、祈りの儀式が行われた。

 司祭たちは“猫”の柔らかな表情を前に、これまでの教義を見直すことを決定した。

 「獣人は人間に劣るのではなく、神の血を分けられし尊き種族である」

 その一文が新たな聖典に記された。


 それから、街では少しずつ変化が起こった。

 人間に使役されていた獣人たちが、“神の末裔”として敬われるようになったのだ。

 小さな優しさが芽生え、差別が減り、やがて国の法も改正されていく。

 誰も知らない――そのすべての始まりが、たった一枚の“写真”だったことを。

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