第30話 影
ほどなくして、私の傍に座るアディユがアイコンタクトを送ってきた。
彼女が小脇に抱えるのは、数枚に渡る会議資料。
私が突貫で進めるよりは遥かに良質だろうと思って、アディユを司会に任じることにした。
「えと、議題は主に二点。テナシテ軍との交渉の要件と、魔王軍の扱いについて、ってことで」
拙いながらに言葉を選ぶアディユに向かって、今度は私の方から、気を遣わず、自然に喋ってよいと視線で伝えた。
「ん、と。それじゃ、ひとつめですけど。私たちには、大きな交渉材料がある」
アディユの目線に釣られるように、円卓の皆がロータスを一瞥する。
彼は視線にたじろぎつつも首肯して、隣の椅子に腰掛けるメルセを皆に見せた。
「メルセ・クアーツユ。女王テナシテの溺愛する娘、ってことで……はい、エシェック、発言をどうぞ」
「扱い方次第ですが、現状、我々は強気に出られる。求めるものは、一気に要求すべきかと」
「そうですね。怨恨が終戦の交渉に影響を与えぬよう、バランスを取る必要がありますが……」
私は顎に手を当てて
他の騎士に一瞥をくれつつ、勘定を進めていたところで、──ひとりの老兵が目に入った。
「ジェールトヴァ卿。会議中に余所見とは、さぞかし優秀な考えをお持ちのようですね」
皮膚から魔力を滲ませつつ、皮肉めいた言葉を以て、私はその老騎士を咎めた。
先の大戦で負傷したのか、右目に巻かれた包帯の奥に、落ち窪んだ瞳の気配が漂っている。残された左目に生気はなく、彼が始終捉えているのは、ロータスの足元のみだった。
エシェックは呆れたように息をつき、侍従たちに目配せする。彼らと騎士に引き摺られるようにして、老兵は静かに円卓から去った。
「……けどさぁ、人質より前にやることがあるでしょ」
残留する微妙な沈黙を破ったのは、メリュジーナだった。
「テナシテのあの魔法は、ぼくだって防ぎ切れないからね」
「つまり、私らの眼でもダメってことかな」
「やりたきゃ人柱でも立てることだ。そうでもしなきゃ、代償は賄いきれないよ」
妖精の体重を受け止めて、ぎぃ、と椅子が悲鳴を上げる。
その眼球に見据えられ、メルセは蛇に睨まれたように身震いした。
「せっかく獲ってきたんだ、うまくこれを使わなくちゃ。ロータスとか、そういうの得意でしょ?」
「まあ、思いつかなくは、ないですけど」
「ロータス。発言の責任は私が負いますから、貴方は気負わずに」
「わ、わかりました」
皆の視線に萎縮しながら、ロータスは躊躇いがちに提案した。
「自分の魔法なら、自分が一番わかっている、はずですよね。だったら人質と交換で、テナシテ自身に、魔法の解析書でも作らせればいいんじゃ」
「ふふ、あはははははははははッ! 傑作だね、やっぱり訊いて正解じゃないか!」
「……なるほど。それなら、対策を調べる手間も省ける」
反射的な返答を避けつつ、私は再び黙考する。
音に聞くテナシテの狂乱を考えても、現在の奴にとって、最優先事項は娘だ。
己が魔法の全てを曝け出すくらい、娘の命に比べれば、遥かに楽なことのはずだ。
故に、問題点はひとつだけ。
「想定通りに事が運べば、それで済む話でしょう。しかし、順序が違えば話は変わる」
「遠回しが過ぎるよ、陛下。わかりにくい」
「えと、つまり、……要件を聞いたテナシテが、交渉の前に王城へ攻めてきたらアウト、ってこと?」
「ええ。あくまで可能性ですが、あの血の雨は未知数ですから」
「お言葉ですが、陛下。それができるなら、テナシテは既に例の雨を発動しているのではありませんか」
「はは、魔法を使えない理由があるって? 希望的観測じゃないかなぁ、エシェック」
「そうだな、見込みの甘さは否定できない。だが俺は、現状それに頼るしかないと思っている」
「私もエシェックに同意。とりあえず、その方向で進めるとして、時間も限られてる。一旦、次にいこうか」
アディユは紙を捲りながら、声のトーンを一段下げる。
「魔王軍のこと、だけど」
私は小さく咳払いして、騎士たちの視線を我が物にした。
──如何に身体が重くても、今だけは、女王として振る舞わねばならないから。
「先の戴冠式に際して、魔王は許諾なく軍を送り込んできました。これをどう捉えますか」
真っ先に手を挙げたのは、エシェックだった。
「管見の限りですが、魔王軍は、浅葱色の兵士だけを狙っていたように見えます」
「だから敵意がないって? でも、傍から見たら、ぼくらって組んでるようなもんだよね」
「現実に組む手もなくはないだろう。テナシテ側との戦力差は大きいし、向こうには、その用意があるはずだ」
「いけません。それは、ッ……」
「利用できりゃ理想だけど、あのシルクハットは信用できないな」
誰にも見えない円卓の下、アディユが優しく手を握って、代弁者を務めてくれた。
「王権の正当性も懸念だよね。外部の力を借りた事実が、後でマイナスに働く可能性だってあるでしょ」
「その言にも一理あるが、戦に勝てなきゃ未来は無いんだぞ」
「ん。結局、戦力不足ってことだよね。ぼくが誰か、暗殺しようか」
「よしなさい、メリュジーナ。下手な殺害は却って戦争を早めます」
「うるさいなぁ。大体、これといった策なしに会議を始めたのはキミたちだろ?」
議論を不毛と断じた途端、メリュジーナは肩をすくめて席を立つ。
「話がまとまらないなら、ぼく、もう帰るから」
「ちょっ、ジーナ」
アディユがすぐさま手を取るが、言葉に迷って口をまごつかせてしまった。
軋むような思考の中に、破綻の気配が差し込んでくる。
堂々巡りの議論が却って、予期せぬ亀裂を生もうとしている──。
「すみません。一つ、いいですか」
その破滅を制したのは、たったひとつの
「議論が進まないのって、魔王が一体何者なのか、わかってないからだと思うんです」
「つまらない質問はやめてよ、ロータス」
メリュジーナの
額に汗を浮かべつつも、ロータスは負けじと声を張った。
「メリュジーナさんは、知らないかもですけど。今の学生は、魔王をほとんど知らないまま、大人になるんです」
ロータスが私を一瞥する。
側頭部を衝撃が走り、心臓が軽く跳ねた気がした。
「千年君臨する外国の王様を、王国が教えさせない意味はわかりません。でもそれは、僕らのような考えの持ち主か、テナシテのような考えの持ち主にとって、何か都合が悪いから。そうだと、思いませんか」
「……盲点でした。確かに、大学においても、対外史に関する資料を参照できるのは、教授陣。つまり、教師の側でも最高位の人物だけだったと記憶しています」
「資料が手に入れば、善悪くらい判断できそうだけどねぇ。厳しいか」
「そうでもないよ、アディユ。教授に変装するくらい、ぼくならお手の物さ」
「でも、いいんですか。陛下が城を留守にするなんて」
「気にしすぎは毒だぜ、ロータス。代わりは私が演じられるもの」
「うん、ぼくの魔法で映り方を歪ませちゃえばいいんだ。警護はエシェックもいるし、安心だよね」
「女王代理は任せて。私は誰より、グラシエのことを解ってるから」
繋がった掌のもと、私の手の甲で指を躍らせ、アディユはきゅっと目を細めた。
悟られぬように、ほんの少しだけ唇を歪めた。
「——では、おまえたちの提言通りに進めましょう」
ふら、と頭が揺れたけれど、最後だからと意地を見せて踏ん張った。
「回復後、私とメリュジーナが魔法大学へ向かいます。アディユとロータスは政務を担当なさい。エシェック、貴方には王城の守護を任せます。この場にいる他の騎士たちは、王都全体の哨戒を徹底すること。よろしいですね?」
皆が同意を告げたのを聞いて、私は会議を解散した。
冬の空気がやたらと重くて、目が痛むほどに瞼を揉んだ。
夜の帳が下りてすぐ、私は眠ることにした。
寝室内にはアディユをつけた。今宵ばかりは、激務が見込まれるだろうからと、メルセも私が預かった。アディユの就寝時には、交代でエシェックが寝室の外に待機する手筈となっていた。
けれど、言ってしまえばその守護は、形式的な警戒のためだ。
魔王軍の気配がなく、テナシテが狂乱に陥った今、王城に攻め込む者などいない。
私を含めて、騎士の誰もが、そう断じていたに違いない。
夜半過ぎ、アディユとエシェックの交代時刻になった。言い換えれば、最も気の緩む頃に。
エシェックを待つのみとなって、約束を五分ほど過ぎたとき。
ぎぎい、と、何かの軋む音が漏れた。
微睡む私の鼓膜は、確かにそれを捉えていた。
けれど、靄のかかった意識を目覚めさせるには、刺激の小さな音だった。
「──おまえ、ッ!」
間髪を容れず、アディユの叫び声が響く。
銀に鈍く、淡く光る凶刃が、目覚めて最初の光景だった。
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