第21話 なんで、邪魔してくるの

 金曜日の夕方。朝倉さんとの約束の日だ。

 更衣室でいつもより少しだけ気合を入れて身だしなみを整えていると、後ろから花森の声がした。


「浅海さん、なんか今日おしゃれしてません?」


 ギクリとした。振り返ると、目を細めた花森が腕組みをしてこちらを見ている。


「……もしかして今日予定あるって言ってたの、朝倉さんとですか?」


 この女、鋭い。というか、なぜそこまで察するのか。


「え、ち、違うよ?」


 なぜか、本当になぜか、咄嗟に嘘をついてしまった。

 別に後ろめたいことなんてないはずなのに、口が勝手に動いた。


「ふぅん」


 花森の視線が冷たい。

 それ以上は何も聞かれなかった。

 私はなんとなく気まずくて、「お疲れ、また来週」と言って足早にその場を離れた。


***


 仕事終わりの夜。待ち合わせは十八時。

 朝倉さんとの待ち合わせ場所に向かう。約束の店は、前の忘年会で話題に出ていたビストロ。洒落た内装に、少し緊張する。


「凪さん、今日はありがとうございます」


 朝倉さんが柔らかく笑う。メニューを見ながら、ホットワインを注文した。


「じゃあ、乾杯」


 グラスが触れ合う音。ホットワインが喉を滑り落ちる。冷えた身体に染み渡って美味しい。


 最初はかなり緊張していたが、お酒が進むにつれて会話も自然と弾んでいく。

 朝倉さんは話題の振り方も絶妙だし、時折見せる軽いボディタッチやふと見せる笑顔に思わず心臓がドキリとする。


「凪さんって、しっかりして見えるけど、意外と抜けてるところありますよね」

「……え、抜けてますかね」

「そこがいいんですけどね」


 朝倉さんがふふっと柔らかく笑う。顔が近い。シャボンの香水の匂いがふわりと漂う。


 ——ああ、ほんとに綺麗だな。


 内心パニックになりながらも、表面上は平静を装う。いや、装えてない気がする。顔が引きつっている自覚がある。


 三杯目のホットワインのグラスが空になる頃には、心地よく酔いが回っていた。

 同じペースで飲んでいる朝倉さんの頬も、少し赤い。


「そういえば、凪さんって花森さんと仲良いですよね」

「えっ」


 不意打ちだった。グラスを持つ手が一瞬止まる。


「……い、いやいや、全然ですよ」

「そうですか?いつも楽しそうに見えますけど」


 ホットワインで酔いが回りやすいせいか、つい本音が出た。


「いやもう、あいつ本当に生意気なんですよ。年下のくせに、やたらと煽ってくるし。先輩のこと平気で年寄りいじりするし。あざといし男好きだし」


 朝倉さんがくすくすと笑う。


「ふふ、そういうところも後輩としてかわいいと思ってるんですね」

「いや全然可愛くないです。本当にウザいんですよ。まず右眉だけ上げるんですよね、煽るとき。で、口角が微妙に上がってて、目は笑ってない。まあ顔は可愛いかもしれませんけど、それがまた腹立つんです」

「へぇ」

「しかも私のこと煽ったりいじったりする時だけ語尾伸ばすんですよ。『〜ですよぉ』みたいな。まじでイラっとしますよね」

「……なるほど」

「花森さんって、笑う時は目が垂れるんですけど、怒る時は目に一切感情が入らなくなって、口が一文字に結ばれる。喜怒哀楽が分かりやすすぎるんです。子どもかよって。社会人なんだから顔に出すなよって感じですよね​​​​​​​​​​​」


 気づけば、一気に喋っていた。アルコールのせいで饒舌になっている。朝倉さんが困ったようにくすくす笑っている。


「……アッ、すみません。なんか私ばっかり喋って」

「いえ。……すごい、花森さんの細かいところよく見てるんだなって」

「いやいや、ぜんっぜん見てませんから!嫌なとこが目につくだけです。本当に生意気なんですよ、あいつは」


 必死に否定して、追加で注文したホットワインを飲み干す。朝倉さんはただ微笑んでいた。


 ——なんだこの会話。なんで私は今、花森の話をしてるんだ。

 胸の奥がざらざらとした感触を残している。


 朝倉さんがグラスを揺らしながら、ふと言った。



「凪さんは……好きな人とかいますか?」


 ——え?


 頭が真っ白になった。答えに詰まる。

 口がパクパクしている自覚がある。滑稽なぐらいに。



 そして、なぜか、ちらちらと無駄に脳裏に浮かんでくるのは目の前の朝倉さんの顔じゃなかった。

 あの生意気な表情。素で笑ったときの顔。

 それから、キスをした時の――

 ふわっと浮かんでは消えていく。


 ――私の好きな人は朝倉さんのはずなのに。​​​​​​​​​​​​​​​​


 お酒のせいだ。酔ってるんだ。脳がバグってるだけだ。


「無理に答えなくてもいいですよ?ふふっ」


 朝倉さんが少し意地悪な表情で笑った。完全にからかわれている。恥ずかしい。


「あ……朝倉さんはどうなんですか?お付き合いしてる人とか」


 必死に話題を逸らすように聞いた。


「好きな人はいますよ?」

「え、そうなんですね…、社内の人ですか?」


「はい……」


 朝倉さんが肘をついて、こちらを艶やかに見てくる。


「実は、……営業部の人なんです」


 え!?

 ちょっと待って。こっち見てる。

 もしかして……それって…。


 心臓がバクバクと音を立てる。顔が熱い。完全にパニックだ。

 でも、口には出せない。

 出したら終わりな気がする。


「優しくて、仕事ができて……一緒にお酒を飲んでても楽しくて」


 朝倉さんが首を傾けてこちらを見ながら静かに続けた。


 ぅわああ、どうしよう。

 これって、やっぱり……!?



 自惚れてる自覚はある。でも、全部当てはまってる気がする。……いや、仕事ができるかは微妙だけどさ。

 いやでもそれも朝倉さんから褒めてもらったことがあるし。


「……そう、なんですね」


 搾り出すように答えた。我ながら声が震えている。顔が完全に熱い。


 それ以上聞くのはなんとなく恥ずかしくて黙っていると、会話はそこで途切れた。


***


 帰り道。駅までの道を並んで歩く。夜風が心地いい。


「凪さん、今日は楽しかったです」


 朝倉さんが軽く腕に触れてきた。その瞬間、心臓がドクッと鳴る。

 憧れていた人と、こんな風に二人で過ごせて、本当に嬉しい。


 なのに。


 更衣室で冷たくこちらを睨み、「ふぅん」と言った後、少し寂しそうな表情を浮かべた花森の顔がよぎる。


 ——いやいや、なんで今、邪魔してくるの。


 どうせまたあの女は、今も合コンだの飲み会だので男に囲まれて遊んでいるんだろう。

 それなのに、なぜか胸の奥がずっとざらざら、もやもやしている。


「また、飲みに行きましょうね。凪さん」


 朝倉さんはひらひらと手を振り、私はその背中を見送った。


 朝倉さんの笑顔。本当に艶やかで上品で素敵だ。

 そうだ、花森の笑顔なんかよりもずっと。


 そう思っているのに、なぜか脳裏に浮かぶのは素でケラケラ笑っている時の花森の顔。


 なんでなの。


 もし、朝倉さんが私のことを本当に好きなんだとしたら、嬉しい。本当に嬉しい。


 でも、また脳裏に花森の顔が浮かび、無意識に呟いてしまう。



「"あいつ"、今なにしてんだろう」



 小さく呟いた声は、夜風にさらわれて消えた。


 何なの、私。

 一体、どうしたいの。

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