第18話 なんで、こんなに。
忘年会の翌日。土曜日の朝。
昨日の夜はあまり眠れなかった。そのせいか身体がだるくて朝も布団の中でゴロゴロ過ごしている。
私は布団の中で天井を見上げては寝返りを打ち、また見上げては寝返りを打った。
「どうでもいい、どうでもいい」
枕に顔を埋めながら、私は必死に自分に言い聞かせる。
「花森のことなんかどうでもいい…」
でも脳内では勝手に、花森と田村さんのピンクな妄想劇場が上映されていた。
——ベッドの中で、うるうるした瞳で田村さんを見つめる花森。
『田村さん……わたし……』
『花森さん……』
ブンブンッ!!と頭を振って妄想を追い出す。
でもまたすぐに、ピンクなBGMと共に別バージョンが始まる。
——花森の部屋。浴室から出てきた花森はバスタオル一枚で、髪を濡らし頬は紅潮している。
『田村さん…、次シャワーどうぞ……♡』
「やめろォォォッ!!」
思わず叫んで枕を殴った。
なんでこんなにモヤモヤするんだろう。相手は好きでも何でもない女なのに。
それに私には朝倉さんがいる。憧れの美人デザイナー、朝倉さんがご飯に誘ってくれたんだ。
「そう、朝倉さん……」
スマホを手に取り、朝倉さんとの「忘年会楽しかったですね」なんてやりとりをしているLIME画面を見つめる。
なのに、なぜか頭に浮かぶのは花森の顔。カラオケで甘えてきた時の無防備な表情。帰る時の冷たく不機嫌な表情。
朝倉さんのことを考えようとしているのに、脳裏から消えてくれない。
……もう、何なの。
***
月曜日。
目覚ましより先に目が覚めた。睡眠時間三時間。目の下にクマ。
鏡の前でコンシーラーを何度も肌に重ねて、寝不足を誤魔化した。
オフィスに到着すると、コピー機近くに花森がいた。
淡いピンクのブラウスに、膝丈のフレアスカート。いつも通り、フェミニンな服装を完璧に着こなしていた。メイクにも隙がない。
「花森さん、おはよう」
できるだけ普通を装って声をかける。
「おはようございます」
こっちを一切見ずに挨拶だけ。
いつも通りの塩対応。
……通常運転なのに、なんか無性に腹立つ。
すごく腹立つ。理不尽に腹立つ。
隣の席の田村さんが佐々木くんに「忘年会、盛り上がったね〜」とか言ってる。
花森はすぐ反応して、二人の会話に入る。
「ですよね〜♡カラオケも楽しかったですぅ。田村さん歌お上手でしたね〜」
ってあざといテンションで笑う。その声が、やけに高く猫なで声。
完全に"あざといモード"発動中だ。
私はあくまでも冷静に淡々とメールを返信しているが、頭の中では緊急討論会が開催されていた。
(ていうか、あの後田村さんとどうなったの?)
(送ってもらってたよね?)
(やっぱりあの後、そのまま……家に?)
(花森の家?それとも田村さんの家?…いやいやそんなことはどうでもよくて…)
(いや、意外と何もなかったりして…)
(田村さんも男だし……酔ってる時に甘えられたらやっぱり…)
(キスぐらいはしたのかな…いや、そんな雰囲気でキスで終わらないでしょ……)
(ぅぅあああああもうわかんない!!)
脳内がやたらと騒がしい。
自分で勝手に考えて、自分で勝手にムカムカしてくる。
これは単なる心配だ。先輩としての、同じ部署の仲間としての心配。
そう、社内恋愛の男女のもつれなんかあったら面倒だから。それだけだ。
キーボードを叩く音が、なぜか攻撃的になっていく。
***
昼休み。
給湯室で花森と鉢合わせた。
目が合うと花森はすぐに視線を落とした。ちょっと気まずい。
でも、思わず気になって聞いてしまう。
「ねえ、金曜さ」
「はい?」
「田村さんと、その後どうだったの?」
花森がぴたりと動きを止める。
紙コップを握る指先にほんの少し力が入ったように見えた。淡々と答える。
「……そんなこと、浅海さんに、関係あります?」
「……え?」
冷たい反応で空気が凍る。給湯室の温度が三度くらい下がった気がする。
なんだその冷たさ。飲み会の時との違いが心臓にグサグサ刺さる。
「いや別に、心配っていうか……二次会ですごい酔ってたから。…田村さんと帰ったのかなって」
「それが浅海さんに何か関係あるんですか?まあ……色々ありましたけど」
色々あった?
心臓がドクンと鳴る。やっぱり田村さんとあの後……?
素っ気ない。完全に氷の壁がある。
あのカラオケで腕にしがみついてきた"あの子"と同一人物とは思えない。もしかしてあのカラオケにいた花森はドッペルゲンガーだったのかと疑ってしまう。
「ていうか浅海さんこそ、よかったですね」
「え?」
「朝倉さんと、ご飯行けるみたいで」
ズキッと胸が痛む。
今の言い方、完全にわざと言ってる。しかも"よかったですね"の"ね"に明らかな棘がある。
「……別に」
「ふぅん、そうですか。デレデレしてたから、もうご飯の後に朝倉さんをお持ち帰りするところまで妄想してるのかと思いましたけど」
笑顔。でもその笑顔が、全然笑ってない。目が冷えていて怖い。
「はあ?いや、だからそういうんじゃ……」
「すみません。わたし、戻りますね」
軽く会釈して、花森は去っていった。紙コップのカフェラテの香りだけが残る。
何なの、あれ。
なんであんな言い方されなきゃいけないの。
てか、私、なんか悪いことした?
カラオケではあんなに甘えてきたくせに。
ていうか、デレデレって何?私いつデレデレしてた?
頭の中でモヤモヤとイライラが渦巻いていた。
***
午後。
営業会議のあと、資料確認で田村さんと話す機会があった。普通に仕事の話。……だったのに。
「そういえば二次会の後、花森さん大丈夫でした?」
つい気になってしまい田村さんに尋ねる。田村さんは苦笑していた。
「いやー、酔ってたね。あんな花森さん初めて見たわ」
「ですよね。フラフラしてて危なっかしくて。あの後送られたんですか?」
できるだけさりげなく聞く。
「一応タクシー呼んで送ってこうと思ったんだけどね」
「……はい」
「タクシー乗るところで、"一人で帰れるんで大丈夫です"って言われてさ」
「へ」
思わず間抜けな変な声が出た。声が裏返った。完全に裏返った。
「一人で、ですか?」
「うん。そのまま一人でタクシー乗って帰ったよ」
え……じゃあ。
田村さんと一緒に帰ったわけじゃないのか。
「……そ、そうなんですね」
無理やり笑顔を作る。顔の筋肉がつりそう。
机に戻って、パソコンの画面を開く。でも、全然頭に入らない。頭の中はさっきのことでいっぱいだった。
一人で帰ったってどういうこと?
せっかく、田村さんと二人っきりだったのに?
今、そのことにすごく安堵している自分がいる。
田村さんと何もなかったことに、ものすごくホッとしている自分がいる。
「よかった……」って心の底から思っている自分がいる。
ん?
いや、待って。
なんでホッとしてるの?
カタカタとタイピングする手が止まる。モニターの反射に、ぼんやりと自分の顔。
ちょっとニヤけてる。いやいや、何でだ。
別に、あんな女のことなんか、どうでもいいはずなのに。
画面の前でため息をつく。
ふと前を見ると、花森と目が合う。
花森はすぐに視線を逸らした。
心臓が、ドクンドクンとうるさいほど跳ねる。
……マジで、何なの。
もう一度心の中で呟く。
誰にともなく。自分にともなく。
ただ、オフィスの蛍光灯だけが、やけに眩しかった。
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