第17話 こいつ絶対誰かと間違えてる
一次会から数時間後。
二次会はカラオケボックスで開かれた。十五人ほど入る広めの部屋に、営業部長や先輩たちがL字ソファーに座っていく。
「おー、広いねぇ」と部長がどっかり腰を下ろし、田村さんと佐々木くんが「久しぶりのカラオケっすねー」と盛り上がっている。
気づけば私の隣には花森が座り、向かいには朝倉さん、その隣に田村さん。
絶妙に気まずい配置だ。というか、なぜまた花森が隣なんだ。
花森はもう真っ赤な顔でソファーに沈み込んでいる。さっきお手洗いで会話してからどれだけ飲んだんだ。完全に出来上がっている。
「花森さん、大丈夫?」
声をかけると、花森がゆっくりこちらを向いた。
「……だいじょうぶれすぅ」
呂律が回っていない。語尾が伸びている。目が完全にトロンとしてへらっと笑う。
はい、アウト〜。完全にアウトだ。
それを見た朝倉さんがテーブルの向かいから、いつもよりふわっとした顔で笑う。
「花森さん、酔っちゃって可愛い」
「わたし、よってませんから〜」
頬を押さえて照れている花森。
やばい、可愛い。いや違う、心配しているだけだ。先輩として後輩の体調を気にしているだけ。
曲が始まり、営業部長が昭和歌謡を熱唱する。
みんな拍手して盛り上げているが、私は気づけば隣をチラチラ見ていた。
花森は目を閉じて、ゆらゆら揺れている。重力に負けて、少しずつこちらに傾いてくる。
「花森さん、本当に大丈夫?」
「んぅ……?」
反応がゆるい。目が半開き。完全に意識が遠のいている。
そのまま私の肩に頭を乗せてきた。
「ちょ、ちょっと」
心臓がバグった。近い。香水の匂いが甘い。いつもより桃の香りがずっと近く感じる。
周りの視線が痛い。佐々木くんがニヤニヤしている。田村さんや朝倉さんも薄く笑っている。営業部長は熱唱中で気づいていない。
いや、これは後輩を支えているだけだ。介抱しているだけ。
「……水、飲む?」
「のみますぅ」
渡すと両手でコップを持ってこくこく飲む。
「……おいし」
首をかしげてこちらを見てにこっと笑う。
シラフの時は絶対に私に向けないような、完全に無防備な笑顔だ。
飲み終わると花森はコップを置いて、今度は私の腕にぎゅっとしがみついてきた。
胸が…胸が私の二の腕に当たっている…。
こんなことを考えていると知られたら、また花森に変態扱いされるに違いない。
やたらと近い。心臓の音が花森に伝わってないだろうかと心配になる。
「ちょ、ちょっと……」
「……あったかい」
やめて。こんなの反則だ。酔っているせいか、いつもよりずっと素直。
普段の生意気な口調や目線も、ツンとした態度も、全部どこかに消えている。
可愛い。素直すぎてめちゃくちゃ可愛い。
でもこれは花森が酔っているからだ。きっと相手を間違えているんだ。
田村さんと勘違いしているんだ。そうに違いない。
まったく、本当にこいつは肝心なところで馬鹿な女だ。
そう自分に言い聞かせるが、腕に伝わる温もりと重みが思考を狂わせる。身体が硬直する。
「花森さん、ねえ、ちょっと近いよ……?」
私が少し距離を取ろうとする。心臓が破裂しそうだ。
佐々木くんが「浅海さん、モテモテですね」と茶化してきた。
田村さんも笑っている。朝倉さんも、ふふっと笑いながらこちらを見ていた。
そんな中、向かい側では田村さんと朝倉さんがいい雰囲気で盛り上がっている。
「田村さんって、休日は何してるんですか?」
「んー、最近はジム行ってるかな。朝倉さんは?」
「私は映画観るのが好きで……」
完全にいい雰囲気だ。田村さんも笑顔だし、朝倉さんも楽しそう。
私は肘で花森をつついた。
「ちょっとちょっと、田村さん、朝倉さんと話してるよ?あっち行かなくていいの?」
こそこそとささやくと、花森がゆっくり顔を上げた。こいつ、半分白目を向いている。
「んぇ……?」
「ほら、田村さん。あっちで楽しそうだよ。話に混じってくれば?」
すると花森は少し寂しそうな顔をして、首を傾げた。誰にも聞こえない声で、耳元で囁く。
「あさみさん……、そんなにわたしの隣、いやなんですか……?」
花森の少し掠れた甘い声と共に、吐息が耳にかかる。
ドキッとした。周りの音が遠のいて、花森の声だけが耳に残る。
「え、いや、そういうわけじゃ……」
目がうるうるしている。完全に涙目だ。
「ただ、その、田村さんのこと、気になってるんじゃないかなって……」
そう言うと、花森は私の腕にぎゅっとしがみついて、俯きぎみに、消えいるような声量で言う。
「今は、あさみさんのとなりがいいです……」
は?今なんて?
シラフの花森からは一生出ることのないセリフ第一位だ。間違いなく。
いや、ていうか聞き間違えた?私
…こいつ、お酒で確実に頭がおかしくなってる。そしてそんな花森にドキドキしている私も完全に酔いでバグっている。
曲が終わって、次は田村さんが十八番であろう曲を歌い出した。みんな手拍子している。田村さん、歌も上手い。
花森は少しの間、田村さんの歌に聞き惚れていたようだが、しばらくして私の膝にごろんと頭を乗せてきた。
「ちょ、え、花森さん!?」
「……えへへ、太もも、やわらかい……」
完全に甘えている。子猫か。いや、子犬でもいい。とにかく可愛い。
でもこれは酔っているからだ。絶対に酔っているからだ。だから今だけ。今だけなんだ。
また出勤したらあのクソ生意気なあざと女に戻るのだ。
そう思いながら、花森の髪をそっと撫でた。まるで飼い猫を撫でるみたいに。優しく。
「んー」「うー」と小さい声を出しながら、花森は目を細めてふにゃりと笑う。
かわいい。心臓が痛いほどに。苦しい。
この時間が続けばいいのにと思ってしまった。ちょっとだけ。悔しいけど。
あざとくて憎たらしいのに、可愛いと思ってしまう。
矛盾している。分かっているけど、今はこれでいい気がした。
***
そろそろ二次会もお開きという頃。
帰る支度をして荷物をまとめていると、朝倉さんが私の方に顔を寄せてきた。
「凪さん、今日ゆっくり話せて楽しかったです」
「え……!?な…!?あ、はい、こちらこそ……」
まさかの朝倉さんからの"名前呼びイベント"が突然来た。
「じゃあ、また飲みに行く日、LIMEしますね」
そう言いながら私の肩に軽く触れる。
うわ、朝倉さん、距離近い。いつもより少しだけ無防備な笑顔が眩しい。香水の匂いと酔いがまざってくらくらする。
私はへらっとした笑みを朝倉さんに向けて手を振った。
でも同時に視界の端で——酔いが少し冷めた花森が、じっとこちらを見ているのが見えた。
ムッとした顔。眉間にシワ。分かりやすいぐらい、明らかに不機嫌になっている。
花森は黙ったまま、ゴクゴクと勢いよくコップの水を飲み干し、テーブルに置く。
ガチャン、とやたら大きい音を立てて。
その後、荷物をゴソゴソとまとめて足早に出ていく。
花森をまとう空気が明らかにピリついている。
「花森さん、そろそろ帰る?」
「……帰ります」
私がさっきのテンションで優しく話しかけると、完全に塩対応だ。
声が低い。目が冷たい。
「だいぶ酔ってるから危ないし……、家まで送ろうか?」
私はそう声をかける。
「いいです」
ぴしゃり。冷たい。目も合わせない。そっぽを向いている。
「え、いや……でも……」
「お疲れ様でした」
そう言って花森は私の元を離れる。さっきまであんなに甘えていたのに。
別に下心があったわけじゃない。単純に心配だったから声をかけただけなのに。
花森はわざとらしくふらつきながら、田村さんの方へ歩いていった。
「田村さ〜ん♡ 帰りの方向一緒ですよね〜?」
「ああ、そうだっけ?タクシー拾おうか」
「え?送ってくれるんですか?ありがとうございますぅ〜♡」
そう言って花森は田村さんの腕を組む。あざとさ全開スマイルで。
花森と田村さんは夜の街に消えていった。
私はその背中を黙って見送るしかなかった。
……はあ?
なんなの、あいつ。
……ん?いやでも別に、よかったじゃん。
お目当ての田村さんが心配してくれて送ってくれるってなったんだから。
そう自分に言い聞かせている間も、脳内では無意識にピンクな妄想が広がっていく。
——タクシーの中で二人きりになって、花森が田村さんの腕に寄りかかって「田村さん、優しいですね」って、あの猫撫で声で囁いて。
マンションに着いて「あの、お礼にお茶でもどうですか?」といつもの甲高い甘ったるい声で誘って。
田村さんが「ああ、じゃあちょっとだけ」って頷いて。
部屋に入ってドアの鍵を閉めて「ねむ〜い♡」とか言って、ベッドに横になって。
それで二人は酔いの勢いで、そのまま朝まで……。
……別にいいじゃん、それで。
花森は田村さんのことが好きなんだから。
ずっとやりたかったことなんだから。
私には全然、一ミリも関係ない。
なのに胸の奥がチクチク、ざわざわする。
ムカつく。なんで。なんでこんなにムカつくんだ。
営業部長が「浅海さん、俺ら三次会行くけどどうする?」と声をかけてくる。
「……は!??今日は帰りますけど!!」
イライラしたテンションのまま部長に返してしまう。「え、あ、そうだよね。お疲れ様」と部長は苦笑いする。
…やらかした。
自分の身体に残る花森の体温がまだ消えない。
「……何なの、あいつ。意味わかんない」
口の中で呟いた言葉は、街の雑踏にすぐかき消された。
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