第五章 嫌いな後輩と会社の忘年会
第14話 忘年会、隣のあざとい女
師走の中頃。
「それでは、今年一年お疲れ様でした!乾杯!」
社長の掛け声と共に、居酒屋の大広間に響き渡るグラスの音。会社の忘年会が始まった。
私は、ビールのグラスを軽く掲げながら周りを見渡す。テーブルは三つに分かれていて、私が座ってるのは窓際の席。で、なぜか——本当になぜか——隣には花森がいた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
花森と私も乾杯する。
私は自分のグラスに口をつける。少し離れたテーブルには朝倉さんがいて、別のテーブルには田村さんが座ってた。まあ、こういう席順って大体偶然だよね。偶然。
「今日、浅海さんなんか気合い入ってますね」
花森が小声で、でもニヤニヤしながら言ってくる。
「何が」
「服装」
ずばっと言い切りやがった。
「普通だけど」
「そうですか?いっつも地味なのに、今日明るい色着てるなーって思って」
「は?」
「褒めてるんですけど、一応」
花森が首を傾げながら、わざとらしく疑うような目を向けてくる。
腹が立つ。こいつはいちいち喧嘩を売るような言い方をしてくる。
私も花森に意地悪で言ってやった。
「今日はピーチウーロンなんだね。可愛いお酒で、男ウケ狙い?」
「そうですよ?」
花森は、当たり前ですけど何か?みたいな態度でこちらを軽く睨んでくる。ダメージが与えられてなさそうだ。ぐぬぬ
私と花森は、小声で話し始めた。小声で話すからか、いつもよりも距離が近い。
「田村さん、今日の私服おしゃれだな〜」
花森が頬杖をついて遠い目をしてつぶやく。たしかに田村さん、いつもとちょっと雰囲気が違う。
「宮下課長、だいぶ気合い入ってますよね」
「だね。飲み会の時はいっつも胸元出すんだよ。宮下課長」
胸元が空いた服を身にまとった宮下課長が、隣にいる男性上司に豊満なソレをすり寄せる。
そして上司に異様に近い距離で話しかけている。
私たちはその光景を見て「うわ…」と小さく呟きながら話を続けた。
「一年間、お疲れ様です」
「こっちこそ。あのプロジェクト、マジでギリギリだったよね」
「ですよね。急に方向転換しましたもんね」
「そうそう。あれ、部長絶対その場の気分で言ってるよね」
「確実にそうですよ。あの後のフォロー、全部浅海さんがやってたじゃないですか」
仕事の話を淡々と小声で続ける。
「そういえば、The Hollow Echosの新曲聴きました?」
花森が急に話題を変えた。
「聴いた聴いた。めっちゃ良かった」
「ですよね。またワンマンライブありますよね」
「あ、うん。申し込んだよ。」
「へえ、いつですか?」
「え?二月二十日」
「へえ……じゃ、わたしも申し込も」
「え、なんで同じ日に」
「別に理由なんかないですけど」
周りには聞こえないような声量で、二人だけの空間。なんか、こういうの、楽しいと思ってしまう。少しだけ。ほんのちょっと。
枝豆に手を伸ばすと、花森も同じタイミングで手を伸ばして、指先が触れそうになる。花森がさっと手を引く。
「お先にどうぞ」
「別に譲ってもらわなくていいんだけど」
「いやいや、年上の方を優先しないと」
「年上とか関係ないし」
「関係ありますよ。敬老精神って大事じゃないですか」
「敬老って」
私が睨みながら枝豆を取ると、花森がくすっと笑う。なんか、楽しそう。つられて、私も笑いそうになる。
「あ、ほら。田村さんの隣空いたよ」
私が小声で言うと、花森がちらっと田村さんの方を見て、また私に視線を戻す。
「そうですね」
「そうですねって…行かないの?」
何気なく聞いたつもりだったが、花森の表情が一瞬、微妙に変わった。困ったような、でも何か言いたそうな顔。
「……別に、今すぐじゃなくても」
「え?」
「だって、まだ始まったばっかじゃないですか」
花森が視線を逸らして、グラスの水滴を指でなぞり始める。
「もうちょっと場があったまってからの方が、盛り上がるし」
「別に今行ってもいいと思うけど」
「いや、でも……あ、ほら、まだ料理全然来てないし」
「料理?」
「そう。料理来る前に移動したら、どれ食べたかわかんなくなるじゃないですか。」
花森がまた視線を逸らす。しどろもどろに言い訳を並べながら。
「それに、田村さん今他の人とも話してるし。タイミング的にゆっくりできる、後の方がいいかなって」
「ふーん」
でも、なんか引っかかる。花森の言い方が、妙に言い訳っぽい。私の気のせいだろうか。でもそんなに理由並べなくても。
「浅海さんこそ、朝倉さんのところ行ったらいいじゃないですか」
「え、私?私はいいよ……朝倉さん他に話したい人いるだろうし」
「ふぅん」
花森が視線を逸らして、グラスの縁を指でなぞる。
「まあ……」
少し間が空く。花森が言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。
「わたしは別に……ここでいいです」
花森が少しむくれたような顔で伏し目がちになり、ピーチウーロンを一口。その表情が——なんだか色っぽく見えてドキッとしてしまった。
「そういえば、今年年末年始めっちゃ休み長いですよね」
花森が急に話題を変える。
「あ、そうだね。九連休だっけ」
「浅海さん、その間どうするんですか?」「え?まあ、特に予定ないけど」
「やっぱり。絶対家でゴロゴロするつもりでしょ」
「しないし」
「じゃあ何するんですか?」
「……まだ決めてない」
「ほら、それ絶対引きこもるやつですよ」
花森がニヤニヤしながら言う。むかつく。
「花森さんだって、どうせまたカフェ巡りとかするんでしょ。イソスタでキラキラアップしまくるやつ」
「え、何ですかそれ」
「いや、なんとなく。花森さんって絶対そういうタイプじゃん」
「そういうタイプって……まあ、否定はしませんけど」
「ほら」
花森がくすっと笑う。
「まあ、カフェ行くのは好きですけど。先週行ったカフェ、浅海さんも好きそうだと思ったんですけどね」
「どういう意味?」
「静かで、本とか読めそうな雰囲気だったから。浅海さん、ああいう場所好きそうだなって」
「まあ……嫌いじゃないけど」
「じゃあ、年末一緒に行きます?」
花森がさらっと言う。え、今なんて?
「え?」
「冗談です。浅海さん、休日は家でゆっくりしてたいんでしょ?」
花森がニヤッと笑う。こいつは、冗談なのか本気なのか、本当にわからない。
「別に、誘われたら出かけるけど」
「え、本当ですか?じゃあ——」
「花森さん以外となら」
私は半ば照れ隠しでそう言うと、花森が少しむくれた顔をする。
「ひど。わたし、真面目に誘おうとしたのに」
「どうせ冗談でからかってるだけでしょ」
「二割ぐらい本気だったんですけど」
「二割だけかい」
私が小突く真似をすると、花森がケラケラ笑う。
なんか楽しい。そして花森の反応がまた可愛い。ちょっと待て、さっきから可愛いって何回思ってるんだ、私。
いや、酔ってるから何かがバグってるだけだ絶対。
***
「……実は」
花森がぽつりと言う。
「ん?」
「ここ、わたしバイトしてたんです。大学の時」
「え、この店で?」
私が驚いて周りを見渡すと、花森が小さく頷く。
「へえ、知らなかった」
「まあ、言う機会もなかったですし」
「花森さんは、ここでホール?」
「そうです。週三くらいで。けっこう忙しかったですけど」
花森が少し懐かしそうな顔をする。
「浅海さんは、何かバイトしてました?」
「してたよ。スーパーとか」
「っぽいですね。なんかパートさんとかに可愛がられそうなイメージありますもん」
「どんなイメージだよ」
私がツッコミを入れると花森が笑う。
少しからかうような、でもどこか優しい笑顔だった。
「ここでずっと働いてたの?」
「大学卒業までバイトしてました」
花森が急に黙り込む。グラスを見つめて、何か考えてるような顔。
「……浅海さん」
「ん?」
花森がゆっくりと顔を上げる。いつもの生意気な表情じゃなくて、真剣な目。
「二年前——」
花森が何か言いかけた瞬間、後ろから声がかかった。
「何の話してるんですか?」
振り返ると、モスコミュールの入ったグラスを片手に微笑みを浮かべる朝倉さんが立っていた。
やば。朝倉さん、今日はひときわおしゃれで綺麗だ。
「あ……、朝倉さん。お疲れ様です」
私が慌てて答える。
「ここ、空いてます?」
「……え、あ、どうぞどうぞ!」
私が即答すると、朝倉さんが私の隣——つまり花森の反対側——に座った。
ふわっと香水の匂いが香る。
視界の端で、花森の笑顔が少しだけ固くなったような気がしたけど、まあ私の気のせいだろう。
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