第2話 果汁グミと門番

 城壁の塔が、近づくたびに大きくなっていった。

 灰色の石を積んだ壁は、まるで山のようだ。

 近づけば近づくほど、その存在感に圧される。


 田中は立ち止まり、周囲を観察した。

 石の加工精度、塔の高さ、門の構造。

 ――おそらく中世後期。都市型の防衛構造。

 考えるより先に分析してしまうのは、もう癖のようなものだった。


 「さて。あの中に、人の暮らしがあるわけか」


 門の前には、槍を持った門番が2人。

 鎖帷子の上から鉄の肩当てをつけ、日差しに目を細めている。

 行き交う商人たちは慣れた様子で金を払い、街の中へ消えていく。

 それとなく列の最後尾に立った。


 (話しかけるべきか? 言葉、通じるのか?)


 喉の奥が乾く。

 自分が今どこの国にいるのかもわからない。

 だが、黙っていても始まらない。


 「……すみません」


 声をかけた瞬間、門番のひとりが鋭く顔を向けた。


 「おい、そこの者。止まれ!」


 思わず背筋が伸びる。

 言葉が――通じた。

 発音も抑揚も違うが、意味は理解できる。

 心臓がどくんと鳴った。


 田中は小さく頭を下げた。


 「こ、こんにちは。ここは……街の入り口で間違いないですか?」

 「見ればわかるだろう。どこから来た?」

 「丘の上のほうです」

 「丘? あんな所に人の家はないぞ」

 「……まあ、ちょっと迷いまして」


 門番たちは顔を見合わせる。

 言葉は通じても、警戒は解けない。


 「旅人か。旅人が入るには、税がいる。銅貨1枚だ」


 とりあえずポケットを探ったが、当然、何も出てこない。

 財布もカードもない。

 この世界で使える通貨など、あるはずがなかった。


 「すみません。お金を持っていないんです」

 「なら、入れられんな」


 当然の返答だ。

 苦笑しながら胸ポケットを探る。

 指先に触れたのは、小さな袋――グミ。


 唯一、現実から持ち込まれたもの。

 どう考えても、これで事態が好転するとは思えない。

 それでも、何かを示さなければ前へ進めない。


 「……これ、食べ物なんですけど」


 袋を開け、1粒を取り出す。

 陽に透ける半透明の紫が、妙に神秘的に見えた。


 「それはなんだ? 葡萄、か?」

 「似てますが、違います。人工的に作ったお菓子です」

 「じんこう……?」

 「説明が難しいですね。とりあえず、食べ物です。美味しいですよ?」


 門番たちは怪訝な表情で顔を見合わせる。

 田中は軽く息を整え、1粒を自分の口に入れた。

 噛む。甘酸っぱさが広がる。


 「ほら、平気です」


 もう1粒を差し出す。

 門番のひとりが訝しげに見つめながら、慎重に手を伸ばした。


 「毒ではないな?」

 「はい。少なくとも、僕はまだ生きてます」


 半信半疑で口に入れた門番が、次の瞬間、目を見開いた。


 「……っ! あ、甘い……!? これは……果実ではないのか!」

 「何だそれ、本当に食べ物か?」

 「果物よりも濃い。まるで……神の蜜みたいだ」


 もう1人も、堪えきれずに手を伸ばす。

 彼は、笑ってもう1粒渡した。

 目を閉じて味を確かめるようにして、ゆっくりと息を吐く。


 「……ああ、確かに、神の味だ」


 思わず苦笑する。だが、門番たちは本気だった。

 ただ、その顔には迷いも見える。

 大きなため息をつき、年長の門番が真面目な声に戻る。


 「……だが、我々の判断で入城を許すわけにはいかん」

 「でしょうね」

 「ただし……。巡礼者なら、話は別だ」

 「巡礼者?」

 「この街は聖グリフォンの爪を置く、アウレリアナ修道院を中心とする街だ。神に祈る旅人であれば、1度だけ無料で通れる決まりがある」

 「……祈り、ですか」


 田中は小さくうなずいた。

 宗教社会なら、そういう制度があるのは理にかなっている。

 そして、今の自分にできるのは、それを利用することだけだ。


 「なるほど。では……巡礼者ということで」

 「なら通っていい」


 門番たちは槍を持ち直し、道を開けた。

 彼は、深く頭を下げる。


 「ありがとうございます」


 通り過ぎようとしたとき、背後から声がかかった。


 「おい、巡礼者!」


 振り返ると、先ほどの門番が真っ直ぐに言った。


 「困ったら修道院へ行け。施しがある。腹が減っても寒くても、神は見捨てん。……そこに行けば、何とかなるだろう!」


 その言葉に、胸の奥がわずかに熱くなる。

 異世界で最初に交わした人の言葉が、思いのほか優しかった。


 「……ありがとうございます!」


 門番は軽くうなずき、槍の先を地に戻した。




 城門を抜けると、空気が変わる。

 石畳の道、鐘の音、焼きたてのパンの香り。

 人々のざわめきの中に、祈りの声が混ざる。

 田中はゆっくりと歩きながら、小さくつぶやいた。


 「……この街では、優しさも制度の一部なんだな」


 最後のグミを口に放り込むと、街の置くから鳴る鐘の音の方へと歩き出した。




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果汁グミ、美味しいですよね?




※同名の小説を「小説家になろう」にも掲載しております。

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