ハイエルフはお年頃 ~エルフの娘は好奇心旺盛です~
香月 優
第1話
「はあ――もう雑草のスープも飽きたなあ」
フィリアは、森の中で、誰にともなくつぶやいた。
マグカップの底に残っていた、薄い塩味の雑草のごった煮を飲み干すと、ため息とともにがっくりと肩を落とす。その動きに、さらさらの金髪がさらりと流れ、長くとがった耳が顔をのぞかせる。
若いエルフだ。輝く金髪に碧眼と長い耳。可愛らしい、エルフの典型的な容姿だ。装備は仕立てはいいものの地味なマントに、防御重視の長袖長ズボンにゲードルと、足下には編み上げ靴。水筒や鍋釜をつるした背嚢がひとつ。武器として弓を携えている。
「塩も残り少ないし――もうすぐ次の街だから、保つとは思うけど」
雑草とはいえ、塩味がしっかりついていればまだしも、手持ちの塩が残り少ない――前の街で調達し損ねてしまった――ので、塩がなくならないように、加減して味付けせざるを得ない。こういう時のために持っていた保存調味料も、底をついて久しい。
森の草木には詳しいので、食べられる雑草の調達には困らない。飢えることこそないが――。こんな食生活が数日経つ。ちょうど街と街の間で、塩の入手手段がなかったのだ。
ちなみに、魚釣りは苦手で捕まえられない。鳥や獣を取るという手もあるが、一人では食べきれないので取っていない。
――飢えないだけじゃ駄目なんだなあ……つくづく実感……。
以前、料理がてんで駄目だという知り合いの愚痴ーー旅でどれだけ食べ物で苦しんだか――を、さんざん聞かされたことがある。同じ冒険者だ。その時は何を大げさな、と思って聞いたが、ここまでくるとさすがに実感する。
――たかが料理。されど料理。料理って、バカにならないのね。
ちなみに、その時の愚痴は主に、塩辛いだけで、食べられるだけマシという冒険者御用達の堅い干肉と、これも携帯用の、歯の立たないほど堅い保存用ビスケットだけの食事がどれだけ不味いかを、逆に、愛しているのではないかと思えるほど情熱的に熱弁された。しかし今のフィリアにとっては、薄い塩味の雑草のスープと、その保存食だけの食事の、どちらが上等か判断に迷うところだ。
「考えていても仕方ないか。よしっ」
気合いを入れ直して、立ち上がる。
「ここで何か獲物を取って、明日には城に入ろうっ!」
路銀も残り少ない。何か高値のつく獲物をとって城に入ろう。宿屋で美味しいもの――せめてまともな味と材料のものを食べられるように。
城塞都市ジェーダ。この南方地域随一の都市であり、交通の要衝でもある。起源は古く、五百年以上前から存在が記録されている。
「はあ……すごいなあ」
フィリアは、城塞都市の城門の周囲に描かれている、城の起源や由来を描いた絵物語をずっと眺め続けていた。
古王国――人が五百年前に作った王国だ――の時代から、現在に至るまで、ずっと書き続けられてきた壁画らしい。
古王国時代の様式化された絵から、現代の比較的写実的に人を描くようになった時代までの絵のタッチの違いだけ見ても面白い。それに、各エピソードの描き方も描き手によって異なり、興味深い。
「画家をこういう形にで使うって、おもしろい」
住民達も、こういう文化的なものを日常から目にすることは、非常によいと思う。
都市の成り立ちや歴史を住民に教えることによって、住民達はこの都市の一員であるという自覚を持ち、この都市を愛し、働くことになるだろう。
「ヨーデン家――なかなかやるわね」
フィリアは、時が経つのも忘れて、壁画に見入っている。
「えーっと、もしもし?」
ふと気がつくと、衛兵の一人に声を掛けられていた。
ずっと絵を眺めているフィリアに、若い衛兵が戸惑っているようだ。
「はあ、なんですか?」
「あのう、町に入りますか? ずっと城門を眺めているけど?」
「あ、はい、入ります入ります」
ずいぶん長い時間、城門の前で絵物語に見入っていたらしい。あわててフィリアは衛兵にあやまって、城門に向かった。後ろ髪を引かれる思いで、外壁に描かれた絵物語を振り返りながら。
「えーっと、フィリアさん、ですね。中央から旅行してこられた……ずいぶん長旅ですね。職業は冒険者、と。こちらにはどんな目的で?」
「特に目的は――強いて言うなら、魔法の収集、ですかね」
言われた衛兵は、目を白黒させる。驚いているのは、肩に巨大な赤ヘビを抱えているからだろう。どう見ても魔法を調べる、という風体ではない。「狩りの帰り」と言った方が通りがいいくらいだ。
「収集、ですか……わかりました。お気をつけて」
「ありがとうございます」
そう返事をして、冒険者ギルドのカードを返してもらい、ジェーダの町へ入る。
ジェーダは、この地域で一番大きい力を持っているヨーデン家が統治している都市国家だ。元は交通の要衝の地にあった小さな宿場町だったが、ヨーデン家が街道を整備し、町を広げ、現在の巨大な城塞都市まで育て上げたという。
「本当に、外壁の絵物語通りね」
外壁には、小さな町だったジェーダが大きく成長する過程が、そのまま絵本の様に物語として描かれていた。自慢というよりは、歴史をそのまま語っていたというところか。実際、この町の歴史なのだから、ほほえましい。
街並は、数百年の歴史のある街だけあって、落ち着いたたたずまいであり、行き交う人が多く活気があり、治安も良さそうだ。
フィリアは、入国したそのままその脚で、冒険者ギルドに向かった。
ジェーダの冒険者ギルドは、ひんぱんに出入りする冒険者達が利用しやすいように、城門からすぐのところにあった。
羽根戸をあけて、中に入る。
「いらっしゃ……」
午前中でまだ空いているせいか、愛想良く挨拶しかけた若いギルド職員が、フィリアの風体――というか、肩に抱えた赤ヘビを見て声をとぎれさせる。
「買い取り、お願いします」
どすん、と大きな音を立てて、カウンターの上にヘビを置く。
「は、はい」
あまりの大きさに、職員がどん引きしている。
フィリアがカウンターに乗せたのは、二つ折りにした、胴体の太さが拳ふたつ分ほどもある、大きな赤ヘビだった。長さは三メートルほどもある。結構重かった。
「苦労して、胴体の皮に傷をつけないように注意したの。高く買ってくれないかな?」
拝むようにして、職員にお願いする。赤ヘビの皮は、きれいな赤みがかった鱗が人気で、高く売れると聞いている。
「は、はあ――ちょっとまってくださいね」
職員が慌てて奥へ引っ込むと、買い取り担当らしい職員をつれてきた。
「おう、これは――」
四十代らしい筋骨たくましいおじさんが、まじまじとヘビの状態を確認する。
「ずいぶん状態がいいなあ、お嬢ちゃん。どうやってしとめたんだい?」
信じられない、という顔をしてフィリアに聞く。
「ほら、頭を弓で撃ったの」
フィリアが、カウンターからはみ出している、ヘビの頭を指す。
「……これは! なんて腕だい、お嬢ちゃん」
ヘビの頭には弓が三本刺さっていた。しかもそのうちの一本は、口の中から上顎を貫通している。
「ちょっと弓には自信があるの」
てへっ、とばかりに舌を出す。
「さすがエルフ」
おじさんが目を丸くしてそれを見つめた。
上から下まで、まじまじとヘビを見聞したおじさんは、うなずいた。
「皮に傷もほとんどないし、血抜きもしてあるから肉の状態もいい。捕まえるのが難しい赤ヘビをこの状態で捕まえるとは、大したもんだ。わかった。普段の二倍出そう」
「やったあ!」
首尾よく資金を調達したフィリアは、ひさしぶりに普通の宿に泊まり、二週間ぶりににまともな味の食事をとり、風呂を使って、ふかふか……というわけにはいかないが、ふつうのベッドでぐっすり眠るという「普通の生活って、こんなに贅沢なんだ」と実感する一晩を過ごした。
故郷を旅だった後、楽な旅をして来た訳ではないが、さすがに塩すら切り詰めなければならない状況に陥ったのは、初めてだ。普通の宿のありがたさが身に染みた。
久しぶりの新鮮な朝食に大満足し、食後の茶を飲みながら、これからの行き先をどうしようか、と考えているところに、来客があった。
先日の冒険者ギルドの職員だ。
「えっと、フィリアさん、ですよね」
赤ヘビにどん引きしていた若い職員だ。
どう見ても、赤ヘビとフィリアを同列に見ている態度で、向かい合って確認する仕草の腰が引けている。
「はい、なにか?」
さすがに不本意なので「どういうこと?」という表情をあからさまに浮かべながら、聞き返した。
ギルド職員は、昨日ギルドを訪問した時以上に、不安そうな表情で話し始めた。
「え、えっと……実は、ギルドマスターが、昨日見たフィリアさんの弓の腕前を思い出して、お願いしてこいと……」
「え?」
――あのおじさん、ギルドマスターだったんだ。貫禄あったもんなあ。
確かに弓は腕に覚えがある。故郷でも高い評価を受けていた。
でも、自分は魔法使いだという自覚がある。
ギルドマスターともあろう人が、エルフを見てそれと気づかないはずがない。
何を依頼したいのだろう?
「実は、領主様のヨーデン家で、急遽腕の立つ冒険者を集めておりまして……」
すばしっこい赤ヘビの頭を弓で三本、しかも一本は口の中を射抜いてしとめたフィリアの腕前を見込んで、是非ともヨーデン家の緊急募集に推挙したいので、応募してもらえないか、ということだった。
「うーん……」
弓の腕を見込んで、とは。
――私、基本、魔法使いのつもりなんだけどなあ。
弓の腕前を誉められるのは、もちろん嫌な気はしない。だが、もし戦闘となれば、前衛や直衛といった白兵戦担当のサポートがなければ、魔法使いとしての特性を生かした戦闘は難しい。
この後の旅の予定は立てていない。漠然と北に行こうか、と考えていた程度だ。
ただ、二つ返事をして自分を安売りしてもいいことははない。乗せやすいと侮られて足元を見られるだけだ。考え込んでいるのは半ばはポーズだった。
ヨーデン家は、近隣の評判も悪くない家と聞く。依頼料を踏み倒されたり、内容を違えたりする心配もないだろう。
そう考えると、むしろ願ったり叶ったりだ。何を請け負うことになるとしても、路銀はいくらあっても困ることはない。
だいいち、冒険者ギルドに世話にはなっている身だ。断りにくい。
「わかりました。その募集、応募してみましょう」
「ありがとうございます!」
若いギルド職員がはじめて、解放されたとばかりに、ほっとした表情をした。
――傷つくなあ。わたし、そんなに怖いのかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます